「やるのか? ユリウス」
「いや、まだだ。あの門を完全に抜けてきたところを狙う。その方が弱体化していて、倒しやすくなっているだろう」
淡々と言うユリウスにカレンは眉をひそめた。
ユリウスはカレンについていくために階層越境を理解した。
つまり、ユリウスがカレンについていくために階層を越境したとしたら、ユリウスもまたブラックドラゴンのように壊れるということ。
カレンはさりげなさを装ってユリウスに訊ねた。
「階層を越境してきたブラックドラゴンは壊れてるから弱いって話ですけど、治ったりしないんですか?」
「壊れたものは基本、元には戻らない。だから心配しなくて大丈夫だよ、カレン」
「――そうですか」
ユリウスはカレンがブラックドラゴンの復活を恐れたとでも思ったのだろう。
カレンを安心させるように微笑みを見せながら言った後で、カレンの翳る表情を見て気がついた表情になる。
カレンが知りたかったのは、もしもユリウスがカレンについていくために無理をしたとして、そのために壊れたユリウスが治るのかどうか。
「治らないんですね。そっか……そうかあ」
「ええと、カレン。後で話そう。まずはブラックドラゴンの処理を優先で」
ユリウスは笑みで誤魔化すとカレンの注意をブラックドラゴンに逸らそうとする。
カレンは眉をひそめつつユリウスの思惑に乗って黒い竜を見やった。
黒い柱の間からぎりぎり顎門を出す巨大な竜の首を見て、最初こそ驚いたものの、落ち着いてみればそれほど恐さを感じなかった。
それだけブラックドラゴンが弱っているということなのだろう。
牙は鋭く、赤い舌にはトゲがあり、黒いウロコは一枚一枚が鋭利そうだったが――本来のブラックドラゴンが持っているはずの何かがその体に残っていない。
ユリウスはそんなブラックドラゴンを見下ろして寛いだ表情で言う。
「早く出てきてくれないと、表彰式に間に合わないな」
「ユリウス様、この状況で狩猟祭で優勝するつもりなんですか?」
「当然だろう、カレン。新規ダンジョン攻略に加えて弱っているとはいえブラックドラゴンの亡骸を持って地上に戻れば、私の優勝は間違いないだろう。そして君は私の獲物を受け取ることで、狩猟祭の女王となるのだよ」
狩猟祭の女王に選ばれるのは、貴族社会では名誉なことなのだろう。
カレンにはピンと来ないまでもユリウスの温かな笑みを見ればそれがわかる。
それはユリウスの思いやりで、カレンに対する婚約の贈り物なのかもしれない。
誠意のこもった贈り物を前にしても、カレンの頭の中ではぐるぐる一つのことばかりが巡っていた。
壊れた魂は元には戻らない。
今のままのカレンでいたら、いずれユリウスの魂を壊させてしまうかもしれない。
やめてほしいとお願いして、ユリウスが聞いてくれるだろうか? と考えて、カレンは乾いた笑いが零れた。
カレンだって、『もうこのようなことはないようにしてほしい』と願うユリウスの懇願を聞くつもりがなかった。
ユリウスがたとえどんなに危険な場所にいたとしても、迎えに行きたいと思ったら、行くつもりだった。
「引きずり出すか?」
「……おまえがいるならそれができるか。カレン! 君は後ろに下がっていてくれ!」
リヒトとユリウスがブラックドラゴンに対峙する。
カレンはユリウスの指示に従い大人しく壁際にまで後退した。
何があっても対応できるように、カレンは摘んでおいた薬草を一つ取り出して、手袋の中で握り込む。
「大崩壊の時と同じように、門に引っかかっている魔物は攻撃すると出てくるって認識で合っているか?」
「ああ、その認識で間違いない。弱らせることで門を通れるようになる」
「なるほど? タイミングはユリウスに合わせる」
「では、三、二、一、――今だ!!」
ユリウスとリヒトが門から突き出た竜の首に向かって、左右から同時に剣を突き刺す。
ブラックドラゴンは絶叫しながら身もだえると、狭いはずの門からずるりと十階層側にその巨体を現した。
「リヒト、油断は――」
するな、と続けるはずだったのだろう。
ユリウスがそう口にしていた以上は、決して油断していなかったはずだ。
だけど次の瞬間、ブラックドラゴンは這いずる動きで目にも留まらぬ速さでユリウスとリヒトの間を抜けた。
「カレンッッ!!」
ユリウスは言うが早いか動き出した。
だが、もしもブラックドラゴンがカレンを狙っていて、カレンの居場所を『理解』できていたら、きっとユリウスは間に合わなかったろう。
しかしカレンはすでにブラックドラゴンが衝突した壁際にはいない。
カレンはブラックドラゴンに向かっていってしまったユリウスを後目に致し方なくリヒトの側までやってくると、ドッと冷や汗をかいた。
ユリウスはカレンの比ではない汗をかきつつ震える声で訊ねた。
「どうして……カレンがそこに?」
「気配を消して移動したんです。ユリウス様も気づかないなんて、わたしもやりますね」
「気配を、消す?」
「ユリウス、話は後だ! まずは竜退治が先だろう!?」
ユリウスは青ざめた顔でうなずくと、リヒトと共に竜に向かって剣を構える。
「たとえ階層を跨いで弱くなったと言ったところで、流石はドラゴン様だってわけだ。驚かせてくれるじゃあないか」
「……そうだね。私は、先祖の功績を甘く見ていたようだ」
リヒトが冗談めかして言うものの、ユリウスの顔色はひどく悪い。
「しかし、おまえの恋人はそのドラゴンの更に上を行くというわけだ。そもそも気配を消すってどういう意味だ!? 説明してくれ、カレン! 知っておかないと戦いに集中できそうにない!」
きっと、ユリウスが、だ。
カレンはうなずくと声を張り上げた。
「体中の魔力を完全に使いきって無魔力の状態になったら、もしかしたら魔物の目にはわたしの姿は見えにくくなるんじゃないかなって、前々から思っていたんですよ!」
「……ぶっつけ本番かよ、おい」
リヒトは引き攣った笑みを浮かべ、ユリウスと同じくらい青くなる。
だが、薄々ヒントは掴んでいたのだ。
かつてダンジョンの中で活動していた魔力の少ない人々――ホルストたちは、どうやってそんな活動を可能にしたのか。
以前ウルゴの魔道具店で見た魔物避けの魔道具は、無魔力の膜を張っていた。
だから根っこつきの薬草を手袋の中で握りしめておいたし、ユリウスとリヒトが魔物を攻撃するのに合わせ、念のために魔力を使い切った。
どうせカレンの弱さでは、魔力が体に満ちていたところでブラックドラゴンの攻撃には耐えられない。
魔力を使い切っても同じだろうと思っての行動だったが、かなりヒヤヒヤものだった。
カレンはすでに中回復ポーションを使用済みの体だ。
次にいつ回復ポーションを使えるようになるか、わからない。
それに、決して絶対に見つからない方法ではないのだ、これは。
何故なら、かつてペガサスは我が子のために、無魔力地帯を見つけ出したのだから。
「声は聞こえる可能性もあるので、説明はこのへんで!」
「そうだな! すぐに黙れ!!」
理不尽な物言いにムッとしつつもカレンはリヒトに従って口を噤む。
そもそもどうしてドラゴンはカレンを狙ったのか。
カレンがこのパーティーで一番弱いと悟っての蛮行か――再び薬草に魔力を込めて気配を消し、場所を移動し始めたカレンの耳に、ブラックドラゴンの声が届いた。
『ドコ、ニ、イル……?』
しわがれた老人のような声が聞こえて、カレンは薬草に魔力をこめるのを、やめた。
その瞬間、ブラックドラゴンの金色の眼球がぎょろりとカレンを見すえた。
リヒトが間に立ち塞がりユリウスがカレンを抱き寄せて、今度は守りの姿勢は盤石に整えられた。
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