「錬金術師カレン、君に聞きたいことがある」
エーレルト領から王都に帰る日が来た。
馬車に積み込まれる大量の荷物を眺めつつ、カレンは鞄一つ手に持ち出発待ちをしていたところだった。
ちなみに一番荷物が多いのはヴァルトリーデだ。
ほとんどここで暮らしていて、生活の基盤がすべてこちらにあるらしい。
そんなところで声をかけてきたのはホルスト・ブラーム。
明確な敵対表明をしたあとなので、カレンはいささか及び腰になった。
周りの人々はみんな忙しく立ち働いていて、誰もカレンたちに気づかない。
カレンと、そしてホルストも、存在感が薄いせいなのかもしれない。
「君は魔力量の少ない錬金術師だ。ゆえに苦労したこともあるだろう。だというのに何故、強者の味方をするのだね?」
「それは……」
「ユリウス殿に心を奪われているからかね?」
ホルストはうんざりした様子で言った。
幸か不幸か、誰が見てもそう見えるらしい。
ヘルフリートの差し金にはとても見えないそうで、その点でヘルフリートに迷惑をかけることにならずよかったな、とカレンは思っている。
「わたしは強者の味方をしたわけではありませんよ。ただ、頑張って成果を出した人は報われるべきだって思っているだけです」
「だが、君のしたことは弱者を影に追いやった。それがわからないのかい? 仕事を失った冒険者たちが、それを表だって言うこともできずに苦しんでいるのだ。彼らの嘆きはどうでもいいとでも言うつもりかね?」
「そんなつもりはありません」
カレンは心からそう言った。
「頑張っても成果が出なかった人も、ちゃんと助かってほしいと思っています。だからわたし、ブラーム伯爵のお考えには感銘を受けたんですよ。彼らもまた、英雄だって。とても素敵なお考えだと思いました」
「ならば何故、君は彼らを苦しめる?」
「そもそも苦しんでいる人がいるんですか? 苦しんでいるのなら表だって言えばよくないですか?」
カレンは小首を傾げて言った。
あれ以来、冒険者たちはカレンに好意的で、カレンのせいで苦しんでいると言う人の姿を見たことがない。
仕事を失ったという人たちも、カレンの声明に感銘を受けた冒険者たちに奢られまくって、幸せそうに昼間から飲んだくれているのを見かけている。
「もしそんな人がいるのなら、冒険者は気の良い人が多いですし、助けを求めればいいんですよ。そうしたらみんな、こぞって助けてくれると思います」
自分こそが気前のいい次期英雄だと思われたくて、誰かを助けたいし奢りたくてたまらない冒険者がうようよしている。
「助けを求めろなどと、なんともひどいことを言う」
「はい……?」
「それがどれほど矜持を傷つける行為か、女の君にはわかるまい。助けを求める時、自分が惨めな虫ケラになったような心地にさせられるものだ。そんな思いを冒険者たちにさせてもよいと思っているのかね?」
ホルストの責めるような言葉に、カレンは目が点になった。
罪悪感などまったく湧かなかった。
何一つ心に響かなくて、カレンは自分が聞き間違えをしているのかもしれないと疑りつつ言った。
「えっと……助けが必要なのに、助けてとは言えない、という話ですか? 身体的な傷や、心の傷のせいで言えないとかそういう意味ではなく、誇りが、矜持が傷つくから? 大の大人が? 助けを求められないのに、まさか、助けは欲しいということですか? 誰かの力を借りなければならない時に、お願いしますも言えない人を、助けないのが悪いって、そう言っていますか?」
ホルストの暗くじっとりと濁った視線を受けて、カレンはぽかんと目を丸くした。
「……そんな人を助けるのは無理じゃありませんか?」
「生まれながらに格差があるのだ。その格差の残酷さを、魔力量ランクDの錬金術師である君にならわかってもらえると思ったのだがね」
「格差はありますけど、女神様は挽回の機会を与えてくれてます」
「私は生まれつき魔力量が少なかったため、離れに隔離されて育った。本当は流れたことにして、殺すつもりだったらしいがね……我が母の慈悲によって生き延びたのだよ。私が生き延びたのは女神の采配であったと思うかい?」
ホルストは暗い笑みを浮かべた。
背筋に冷たいものを感じ、カレンは後ずさりした。
「恵まれた者は恵まれない者のために尽くすべきだろう。いちいち助けを求めさせるなど、屈辱を与えようという方がどうかしている。それができないのであれば、格差など最初からなくなってしまうべきだとは思わないか?」
「……よく、わかりません」
「いずれわかる時が来る」
そう言うと、ホルストはカレンに背を向けて、杖を突いて歩いていった。
その後ろ姿はひどく小さく、忙しなく行き交う人々は結局、彼の存在に気づきもしなかった。
「あんたへの餞別だ、受け取りな、錬金術師」
「これって……シルクスパイダーの絹糸ですよね!?」
冒険者ギルドから冒険者たちが見送りに来ているのを見て、エーレルト伯爵家は慕われているんだなあと思っていたら、カレンの見送りだったらしい。
新年祭で見かけた冒険者からどっさりと渡された絹糸に、カレンは目を白黒させた。
ヴァルトリーデの化粧品をつくるために、ほんの少量入手しただけでかなりの大金を費やすこととなった絹糸だ。
シルクスパイダーの絹糸は、貴族がドレスにこぞって使いたがるために高価だ。
それだけに、いい化粧品にもなるだろうと思った通りではあった。
「あんたのおかげでこの俺様たちの肖像画がエーレルトの新年祭を飾る可能性が出てきたからな。これは礼だ」
「それってヘルフリート様のおかげじゃないですか!」
「伯爵のおかげでもあるが、あんたの蛮勇のおかげでもある。最近のエーレルトの冒険者界隈はどうも窮屈でな……あの空気をぶっ壊してくれたのは、あんただろ?」
そう言って猛者感の漂う冒険者たちがにやりと笑った。
ホルストが作った世論が窮屈に感じられた人たちもいただろう。
特に強者たちにとっては、ホルストの望む世界観は生きづらいだろう。
それはカレンが望む世界と近しくもあるので、ちょっと複雑な気持ちになりつつもカレンは笑った。
「じゃ、ありがたくいただきます!」
ヴァルトリーデに贈った白粉はエーレルトが用意してくれた錬金工房で急遽つくったもので、研究が足りていない。
これから研究してみたいと思っていたところだったのだ。
「次は私からよろしいでしょうか?」
「あなたは絵描きの……」
「イリーネと申します。この度、カレン様に機会をいただけたおかげで正式にユリウス様の肖像画を描かせていただけることとなりました。お礼となるかはわかりませんが、こちらをお贈りさせてくださいませ」
カレンは受け取った木の板をひっくり返し、ヒッと息を呑んだ。
「ユリウス様の肖像画……!」
勢いのあるタッチで、白銀の鎧姿のユリウスが朝日を背景に、剣で茨を断ち切る絵である。
その足元には朝日に焼かれ金色に輝くドラゴンの骸が転がっている。
光の描写が美しく、色彩豊かで、ユリウスがキラキラと輝いて見える。
「かっこいい……すっごくかっこいい……ウウッ」
「お喜びいただけて何よりでございます。そちら、開くこともできるのですよ」
「開く?」
カレンは肖像画を納めた木の入れ物が、二つ折りになっていることに気がついた。
開いたカレンはまた別の意味で息を呑んだ。
カレンとユリウスが並んで立つ姿が描かれていた。
その姿は、まるで恋人同士である。
「いい肖像画だね。私も欲しい」
「ユリウス様はそうおっしゃるかもしれないとエーレルト伯爵夫人よりお伺いし、もうひと組ご用意しております」
カレンの手元を覗き込んで言うユリウスに応じると、絵描きのイリーネはユリウスに木の板を差し出した。
その表面の額縁には何故かユリウスの肖像画ではなく、カレンの絵が入っている。
「なんでわたしの絵なんですか!?」
「とても美しい絵だね……晴れて交際する関係になれたのだから、君の姿絵を持ち歩きたいと思っていたところだったのだ」
にっこりと笑うユリウスに、カレンは黙り込んだ。
これは自らが招き寄せた試練のようである。
「ユリウス叔父様とカレン姉様が結婚しても、姉様のことは姉様って呼ぶからね」
「結婚はいたしません」
「はいはい」
ジークにあしらわれつつ、カレンは再び肖像画に視線を落とした。
絵とは不思議なもので、顔面偏差値に大きな隔たりがあるはずのカレンとユリウスが並ぶ姿も、何となく雰囲気がまとまって見える。
周りの人々の目にもこんな風に見えていたらいいのにと思いつつ、カレンは懐深くに姿絵をしまいこんだ。