「さっ、今日のティータイムの大遅刻は、エステアにごめん~ってするとして、学食を食べそびれるのはマズいから、帰るよ~」
自分のアトリエということもあり、メルアが片付けもそこそこに僕たちに撤収を促す。
「あ、でも待って、ししょーってアルフェちゃんを迎えに来ただけじゃないよね? うちになんか用だった?」
「ああ、それは道すがら話すよ。今日急いでやるべきことでもないからね」
メルアの気遣いに笑みを返しながら、アトリエをぐるりと見回す。この充実した設備ならば、レポートのための追試実験の材料は難なく揃うはずだ。
「……あのっ、メルア先輩、ワタシさっきの魔導書を借りたいです!」
荷物を纏めて帰り支度をしていたアルフェが、ハッとしたように声を上げた。
「氷炎雷撃のヤツ? あれ、めっちゃ面倒だから実戦には不向きだよ~?」
「でも、やってみたい」
メルアのネガティブな発言にもアルフェは揺るがない。
「まあ、うちは使ってないヤツだし、いいよ。やるだけやってみて、自分で決めるってのも成長だもんね」
メルアはそう言うと、古びた魔導書をアルフェに手渡した。
「ありがとう!」
アルフェはそれを丁寧に両手で受け取ると、胸の前で大事そうに抱えた。
氷炎雷撃というのは、火・水・雷の三つの属性から成る強力な複合魔法だ。
火・水・雷の三つの属性を制御しながら魔法を放つという並列思考力を要するので、かなりの素質と技量を兼ね備えている必要がある。まあ、イメージ構築という点では、アルフェはかなり優秀なので氷炎雷撃を扱うことそのものについてはきっと問題はないだろう。
しかし、術式の構築に時間がかかるうえ、効果が三段階に分かれているので、どれか一つでも属性防御で凌がれてしまえば攻撃として不完全なものになってしまう。メルアの言う通り実戦には不向きな、まさに理論上可能、というだけの魔法だ。
だけどきっと、アルフェはこの面倒な、普通の人間ではまず実戦に採り入れることさえしない魔法に勝機を見出しているのかもしれないな。それだけのことをしなければ、メルアには勝てないとわかっているのだ。
「武侠宴舞、勝とうね」
「うん。そのための機兵も、もうすぐ完成するよ」
いつものように並んだアルフェを見上げると、見つめ返してくる浄眼が眩しかった。
* * *
それぞれの寮に向かう途中で、メルアにプロフェッサーから頼まれているレポートのことを話し、材料を用意してもらえることになった。
「なにからなにまで済まないね」
「いやいやいや! だって、ししょーがアレンジしたバージョンのブラッドグレイルを手に入れるためだったら、こんなのぜーんぜん、労力でもなんでもないし!」
ああ、そういえば行き先を考えていなかったが、メルアに渡してしまうのは後々のことを心配しなくていいな。ブラッドグレイルが桁違いの性能を発揮している要因に、僕の血が重要な役割を果たしているのはメルアの浄眼には明らかなわけだし、かといって、それを言いふらしたりしないという安心感もある。
メルアとしては、僕の秘密をおおっぴらにするよりも、僕の知識と技術を学び続ける方がメリットがあるので当然だろう。
「まあ、変にどこかに分析に出したりしないで個人使用してくれる分には、構わないよ」
「もちろんもちろん! あと、武侠宴舞に間に合ったとしても使わないから安心して! 機体性能をこれ以上上げちゃったら、うちがズルしてるみたいになっちゃうからね」
「助かるよ」
一から十まで言わなくても、色々と察してくれるのは助かるな。これでレポートの目処も立ったことだし、今夜は簡易術式のアレンジバージョンを考えておこう。これさえ作ってしまえば、実物で検証するまでもなく、レポートの骨格はほとんど出来てしまうわけだから、少し気も楽になるはずだ。
貴族寮に戻るメルアを見送った後、アルフェがさりげなく僕の手を握ってきた。
「少し寄り道してもいい?」
「いいよ。せっかくだから、なにか夜食でも作ろうか」
「ワタシ、ふわふわのパンケーキが食べたい♪」
僕も機兵のバックパックのことを考えるばかりじゃなく、少し気分転換をしたかったのでアルフェのリクエストに笑顔で頷いた。きっとホムたちも喜んでくれるだろう。
「それじゃあ、この前のお店に寄って帰ろう」
「うん」
アルフェが僕の腕に身体を寄せ、嬉しそうに声を弾ませたその時。
「ししょ~!! アルフェちゃん、大変なんだけど~!」
随分と慌てた様子でメルアがこちらに向かって走ってきた。
「どうしたんだい、メルア?」
「エステアが、いないんですけど~!!」