少しの間部屋で休み、宿の食堂で昼食を取った後ニルが訪ねて来た。
ヴァネッサがどう反応するのか心配だったが、変にニルに怯えたり敵視するような態度は表に出さなかった。
「魔法……より正確に言うと魔力は、精神状態に左右されやすい。場所を移すよりも、ここで指導した方がヴァネッサもやりやすいと思うんだが……急に私を部屋にあげるのは嫌だろう? どこかいい場所を知っていないか?」
ニルからそう質問され、宿の店主の許可を得て三人でパティオ・ヴェルデの裏庭に集まる。相変わらず焼却炉は点いているようだが、誰もいない。
「ここなら、丁度いいな。早速――」
「あの」
ニルの言葉を遮って、ヴァネッサが声を上げる。
「指導を受ける前に、保護と監視魔法について質問させてください」
「ヴァネッサ……いいのか?」
先程までは頑なに反対していたヴァネッサの行動に驚いていると、彼女がこちらに近寄り耳打ちしてくる。
「デミトリは聞いた方が良いと思ったんだよね? 私は、デミトリを信じるよ」
それだけ言うと、ヴァネッサはニルに向き直った。
「そうだな、疑問に思うことがあるなら早めに解消したほうが良いだろう。私に答えられる事なら教えよう」
「保護を……受け入れない選択肢は取れないんですか?」
ニルが、瞳に深い悲しみを宿しながら嘆息する。
「保護を受け入れなかった場合、拘束した上で強制的に魔力を封じることになる。魅了魔法は、耐性を持っていなければ王族ですら傀儡にできるんだ……野放しにされることは許されない。逃亡しようとしたら、生死を問わず必ず捕まえられる」
――想像はしていたが……惨いな。
「王国はそれだけ魅了魔法を危険視してるのに、なんで私はこんなに自由に行動することを許されてるんですか?」
「矛盾しているように思うのは仕方がない事だと思う。先にそこについて説明しなければ、不審に思われて当然だったな……」
ニルがおもむろに懐から懐中時計のような物を取り出す。
「それは?」
「遮音の魔道具だ。今から話す内容は機密情報だ、他言無用で頼む」
説明をしながらニルがまた懐に手を忍ばせ、布を取り出して口元を隠す。
「これは口の動きを隠す為だ。周囲に誰もいないのは確認済みだが、万が一読唇術を使える輩が遠くから見ていたら魔道具を使ってても意味がないからな。二人も、これから私が話す内容について質問をしたい時は口元を手で隠してくれ」
ニルの情報漏洩に対する対策の徹底ぶりに驚きながらヴァネッサと顔を見合わせ、二人して頷く。
「ジゼラも君達に軽く説明していたが、過去国家転覆を企てた魅了魔法を操る悪女が居た。生まれ名はエステファニア・カーディナル。彼女の行いで生家のカーディナル男爵家は没落し、彼女も貴族籍を剥奪された。処刑された時は、ただのエステファニアとして死んだ」
――男爵家の令嬢が、国家転覆なんて企てるか……? 相当な野心家だったのだろうか……
「恐れ多くもエステファニアは当時のヴィーダ王家の第一王子を魅了魔法で虜にして、王妃の座に付こうとした」
――仮に王子を魅了できても、周囲が許さないだろうに……
「あの手この手を使って、王子に付きまとっていた。許される行為ではないのに、第一王子の厚意で更生する機会を何度も与えられていたんだがな……」
口元を隠しながら、ヴァネッサがニルに質問する。
「第一王子様は、エステファニアが魅了魔法を使えることに気づいていたんですか?」
「そうだ……ここからが話の肝になるんだが、第一王子は魅了魔法に対する完全耐性を持っていた。どうしてだと思う?」
――俺も耐性を持っているみたいだが、理由が分からない。第一王子がなぜ耐性を持っていたのか見当もつかないな……
「もしかして――」
「口を覆ってくれ」
ニルに指摘されてヴァネッサが慌てて口元を手で隠す。
「すみません、もしかして第一王子様も魅了魔法が使えたんですか?」
「察しが良いな。第一王子を狙う前は魅了魔法でエステファニアも好き勝手していたみたいだが、皮肉にも最も操りたい第一王子が同じ魔法の使い手だった」
――あまりにも出来すぎている話で、神々の関与を疑ってしまうな……
「第一王子はエステファニアに手を差し伸べ、彼女が罪を重ねない様に手を尽くしたが……彼女は変わらなかった。当時彼女の処刑に立ち会った者が聞いた彼女の怨嗟の叫びは、内容は誰にも理解できないが今でも王家に危惧すべき呪言として語り継がれている」
「……彼女は、何て言ったんだ?」
教えてもらえるとは思えないが、ダメ元で聞いてみる。
「魅了魔法を使えるヴァネッサは知っておくべきだし、彼女のパートナーの君も知るべきだな」
ニルを訂正しようと口元に再び手を移動している最中に、ニルが発した内容にヴァネッサと共に驚愕する。
「『こんなのおかしい! なんでヒロインの私がこんな目に合うの!?』そう叫びながら、彼女はこの世を去って行った」
――やはり、神々が関与しているじゃないか……