目標は高く設定したが、まずは水の温度を変えられるかどうか確認しなければいけない。
――温度は確か……分子の振動だったか? 水を振動させれば、温度を上げられるのだろうか……
うろ覚えの前世の知識を頼りに何となく試してみるが、掌の上で浮遊している水球がぷるぷると揺れただけだった。
――そんなに細かい魔力は操作できないのか……?
試し始めたばかりだが、全く手応えがない。
水の圧縮に関しては、水球の中心に全ての魔力が集結する様を思い浮かべることによって実現した。魔力の操作は想像力も大事だ。個個の水の分子を振動させる様なんて、とてもではないが想像できない。
――水の温度を上げるのは、一旦保留にしておいた方がいいかもしれないな……
水の温度を上げるのは難しそうなので、逆に温度を下げられるか試してみることにした。氷を想像しながら、水球を巡る魔力を全て停止させようとする。
――なんとなくだが、水を振動させようとするよりも、完全に動きを止めようとする方が出来そうな気はするが……
初めての試みだ、上手く行かなくて当然だが水球に変化が全く現れない。結局その後もヴァネッサが指導を受ける横で数時間挑戦したが、水球は変わらず液体のままだった。
気づけば夕方になり、ヴァネッサの受けていた魔力制御の指導も終了してしまった。
「私は、明日また同じ時間に来る。王家の影になる件の返事は、別に明日聞こうとは思っていないからじっくりと考えてくれ。それではまたな! あまり根詰めすぎると逆効果だからヴァネッサもしっかり休むんだぞ」
そう言いながらニルが去って行く。二人きりになった裏庭で、ヴァネッサと視線が交わる。
「私達も、部屋に戻ろう……」
「そうだな……」
手元に浮かべていた水球を適当な木に放つ。水球が木に当たって弾けた時、微かに何かが割れるような音がした気がした。
――――――――
「王家の影の件……デミトリはどうすれば良いと思う?」
ヴァネッサがソファで膝を抱えながら、こちらに問いかけてきた。
「俺は、受けた方が良いと思う」
「……私の為に無理してない?」
心配そうに見つめられるが、ヴァネッサを安心させられる様な言葉が中々見つからない。
「俺は……ヴィーダ王国の仮想敵国のガナディア王国から亡命してきた。ヴィーダ王国の意向に逆らったら後がないから、保護を受け入れている。それこそ全てを投げ出して逃げるのであれば、別の大陸まで行かなければ一生賊として追われると思う」
深刻そうな表情で、ヴァネッサが次の言葉を待つ。
「俺がヴィーダ王国に従っているのは、目的を果たす為でもあるが……世話になった人達に迷惑を掛けたくないからだ。俺が逃げたら、敵国の諜報員が彼等の手引きで国内をうろついてると開戦派から糾弾されかねない」
「でも、それは王家の影になる理由にならないよ……」
「……どの道、俺はこの国に縛られているんだ。保護されるならメリシアも王都も大差ない、むしろ王家の影になって王家の庇護を受けた方が安全かもしれないだろう? ニルのいう通り、そうする事によってヴァネッサの傍にいて守る事ができるなら一石二鳥だ。無理はしてないから安心してくれ」
抱えた膝に頭を預けながら、ヴァネッサが大きく息を吐く。
「ニルの言っている事を信じられない気持ちも分かる。俺も言われた事を全て鵜呑みにしているわけではない」
「……デミトリは、ニルの事を信じても良いと思う?」
「難しい質問だな……」
どう答えるべきか少し悩む。
「ヴァネッサは、最悪の場合を想定しているんだな?」
膝から顔を上げてこちらを見ながら、ヴァネッサが頷く。
「俺も、色々と考えている。例えばだが……ニルは俺がヴィーダに来てからどう動いていたのかに加えて、王国の内情に詳しそうだったが……最悪の場合王家の影ですらない可能性があるとも思ってる」
「え……」
そこまでは想定していなかった様子のヴァネッサが、息を呑む。
「俺の事を調べた開戦派の手の者かもしれないだろう? 本人が王家の影だと言っていたし、ギルドマスターとも知己の仲に見えたから受け入れたが……ギルドマスターが魅了魔法で操られてないとも限らない。彼女以外にニルの素性を知っている人間はあの場に居なかったし、王家の影だと証明する何かを見せられたわけでもない」
「そんな……」
再び膝に頭を預けてしまったヴァネッサの横に座る。
「あくまで可能性の話だ、俺も流石にその線は薄いと思っている。でもこうやって最悪の場合ばかり想定していると、身動きが取れなくなってしまうだろう?」
「それはそうかもしれないけど……」
膝の上に組んだ腕の上で、顔をこちらに向けながら苦悩した表情でヴァネッサがこちらを見つめる。
「『絶対なんとかなるって信じて行動してれば、大体なんとかなる』」
「え?」
「受け売りだが、好きな言葉だ。計画性も大事だが、どれだけ悩んでも結局なるようにしかならない。それなら、最善を尽くせばなんとかなると考えた方が気が楽だ。
「……そうだね」
「仮にニルが俺達を嵌めようとしていても、絶対に何とかして見せる。なんとかなるから、大丈夫だ」
少しだけ肩の荷が下りた表情をしながら、ヴァネッサが俺に寄り掛かる。
「なんとかなる……か。いい言葉だね! 心配させてごめんね……安心させてくれてありがとう」