「……やっぱり、この国の人達おかしいよ」
「立場上、王族は謝罪するべきじゃない。わざわざ謝りに戻ってきてくれたんだし、少しだけ大目に見ても――」
「デミトリ」
背中を支えていた手を引かれ、ヴァネッサの膝の上に頭を乗せられがっちりと頭を掴まれる。美しい緋色の目に一瞬見惚れそうになるが、瞳の奥に宿る激しい怒りに気づき内心冷汗をかく。
「ああいう馬鹿はこっちが歩み寄ると付け上がるから、絆されたらだめだよ」
「分かった……」
――――――――
迎賓館の客室で、ベッドの天蓋を眺める生活を始めて三日が経った。
決闘後、アルフォンソ殿下に指示された騎士達に担架に乗せられ迎賓館まで運び込まれた。流石王家の影と言うべきか、事の顛末を既に共有されていたアロアにヴァネッサが連れて行かれ、話し相手もする事も無い状態で客室に放置されてしまった。
ポーションのおかげで傷は癒えていたので、すぐに動いても問題ないと思っていたが検診のため訪れた治癒魔術士に失った血が作られるまで絶対安静を言い渡されてしまった。
――ストラーク大森林ではどれだけ血を流してもポーションを飲んでから、それほど時間を置かずに動き回っていたが……
治癒魔術士が少し大げさに診断したのではないかと横になりながら考えていたが、過去の記憶を掘り起こしてある事に気づいた。
うろ覚えだが、数百ミリの血液を献血しただけで完全に回復するまで数週間掛かったはずだ。
――俺の認識が、ずれているのかもしれないな……
「ただいま……」
「おかえり」
今日の指導を終えたヴァネッサが、部屋に入るや否やベッドに直行してきた。アロアと同じ作りの漆黒のドレスに皺がつく事も構わずに、横になりながら枕に顔を埋めた。
「今日も大変だったのか?」
「あの王子、やる事が陰湿すぎる……」
ヴァネッサから聞いた話が本当なら、やっている事は陰湿というよりもしょうもない部類だと思う。
「アロアさんまで巻き込んで、本当に馬鹿じゃないの……?」
ヴァネッサに言われた事に対する仕返しなのだろうが……アルフォンソ殿下はアロアに指導中『馬鹿』という単語を積極的に使うように指示したらしい。ヴァネッサを馬鹿にする発言をしていたなら、俺もすぐに止めさせたが……
『こういう所に気を付けないと、損害が馬鹿にならないから』
『馬鹿馬鹿しいと思うかもしれないけど、ここに気を付けるだけで効率が全然違うの』
『悪意を持っている人間は馬鹿正直に教えてくれないわ、注意しないといけないのは――』
という具合に、とにかく馬鹿という単語を会話に盛り込むらしい。一国の王子がするにしては、あまりにも馬鹿らしい仕返しだ。巻き込まれているアロアが一番気の毒かもしれない。
「……反応すると、相手の思うつぼだ」
「そうだけど……」
「やってることは、かなりしょうもない。好きな子にちょっかいを掛ける子供だと思――」
信じられない速度で枕から顔を挙げたヴァネッサに、見たことが無い表情で見つめられながら頭を鷲掴みにされた。
「冗談でも、言っていい事と悪い事があるよね?」
「すまない……」
「ご」
「ご……?」
「ごめ」
「……ごめん……」
「な」
「ごめんなさい……」
――毎回ヴァネッサの機嫌を損ねているのに、なぜ軽口に挑戦してしまうんだ……
先程の身のこなしと、流れるような身体強化。驚異的な魔力制御の習得速度の事も考えると戦士としての資質はヴァネッサの方が俺よりも高いと思う。
謝罪に満足したヴァネッサが手を緩め、ようやく解放された頭を指で揉む。
――恐ろしい力だ……早めに身体強化の力加減を指導してもらえるように、アロアにお願いしたほうが良いかもしれないな……
「何か失礼な事考えてない?」
「そんな事ない……です……」
「……体調は良くなってる?」
先程とは一転して、落ち込んだ声色で静かに問いかけられる。
「ポーションを飲んで、傷はすぐに癒えたからもう平気だと思うんだが……」
「すごい血を流してたから、無理しちゃ駄目だよ」
ずっと一緒に行動しているから時折忘れそうになるが、ヴァネッサとはそれ程長い付き合いではない。俺が負傷したのを見たのも今回が初めてで、かなり心配している様だ。
「正直、三日前とあまり体調は変わらない気がするが……」
「前見せてもらったけど、デミトリの自己治癒の速度っておかしいよね? 怪我しても平気だと勘違いしちゃうのも、そのせいだと思うよ」
困った人を見る目をしながら溜息を吐くヴァネッサの発言を、否定できない。
「……実際なんとかなっているつもりなだけで、今まで無理をしていた可能性は否めない。治癒魔術士も最低四日間は安静にしていろと言っていたし、明日まではゆっくりするつもりだから安心してくれ」
「絶対だからね!」
そう言い残して、ヴァネッサが着替えを持ってシャワー室に入った数瞬後、客室の扉が叩かれた。
「デミトリ殿、入室の許可を頂けませんか?」
ドア越しに聞こえた声に聞き覚えがない。念のためベッドの横に置いてあった収納鞄を掴んでから、声の主に返答する。
「……申し訳ありません、どなたか伺ってもよろしいでしょうか?」