「ううん、ありがとう……!」
ヴァネッサは満足しているみたいだが、急いでいたから髪に櫛を通す暇もなかっただろう。乾き切る前に殿下達の件を片付けないと、後々髪が絡んで面倒そうだ。
「ヴァネッサは、どうすればいいと思う?」
「外で口論してる二人の事? ……気は進まないけど、私がシャワーから出ちゃった以上……招き入れたほうが良いかもしれないね……」
――まだ迎賓館で過ごし始めて数日だが、ここは自分の部屋だという認識は既にある。ヴァネッサも同じだろう。他人を招き入れるのは、精神的な負担が大きいかもしれない。
未だに大声で口論を続ける二人が気づかないよう、小声でヴァネッサに囁く。
「無理はしないで欲しい。借り物の部屋だが、正直に言うと俺は部屋に人をあげるのはあまり好きじゃない」
「……私も嫌だけど、部屋に直接来る様な人だよ? 今日追い返しても、またデミトリに絡んできそうじゃない……? だったら、アルフォンソ殿下が居る今話を聞いた方が良いと思う」
「そうだな……分かった」
ヴァネッサとのすり合わせを終えて、扉のドアノブを覆っていた氷を水に戻す。
「アルフォンソ殿下」
ドアノブを固めていた氷を解きながら未だに扉の先で口論を続ける二人に呼びかけると、口論する声がぴたりと止んだ。
「ヴァネッサが水浴びを中断してくれた。そちらが良ければ部屋に招き入れても問題ない」
一瞬間を置いて、扉が開いた。アルフォンソ殿下とチェッロ騎士団長と思われる男性、そして背後には殿下の護衛が立っている。
「……邪魔するぞ」
部屋に入って来た男性陣がヴァネッサの頭に巻かれたタオルとシャワー室から漏れ出る蒸気を見て息を呑んだのが分かる。ぎこちない足取りでアルフォンソ殿下がソファに腰かけ、隣にチェッロ騎士団長が腰を下ろしたのを確認して向かいのソファに座った。
「ヴァネッサ」
俺の横に立ったまま陣取ってしまったヴァネッサをソファに招こうとしたが、短く首を横に振り拒否されてしまった。表向きは第一王子の賓客と迎賓館の侍女見習いだが、この場でその振る舞いを徹底しているのはアロアの教えだろうか。
「お見苦しい姿で申し訳ありません」
――言葉では謝っているが……
ヴァネッサの圧掛けにも近い謝罪に、王子達の顔が一気に青ざめた。まごまごしているチェッロ騎士団長の代わりに、アルフォンソ殿下が口を開く。
「……エリアス、私を通さず勝手に押しかけたお前に全面的に非がある。彼等も、早く済ませたいだろうから手短に要件を伝えてくれ」
「そう、そうですね! デミトリ殿、単刀直入に言わせて頂きます」
居住まいを正しながら、チェッロ騎士団長が真っすぐとこちらを見つめる。
「デミトリ殿の能力を教えて頂きたい」
「……質問の意図と、何を聞かれているのかが分からない」
「端折りすぎだ馬鹿者」
およそ、王国の盾たる騎士団長がしていいとは思えないほどしなしなな表情でチェッロ騎士団長が慌てている。
「その、先日殿下の護衛――」
「元護衛だ」
「――失礼、元護衛のエンツォとの決闘は多くの騎士達が見届けました。その時、魔法だけでなく異能も使われていましたよね?」
――変に隠そうとするよりも、速攻で水魔法でエンツォを倒せばラスの事は隠せたかもな……
決闘での闘い方を後悔しながら、チェッロ騎士団長の話を聞く。
「エスペランザから上がって来た報告には、デミトリ殿は魔法が使えないと書かれていました。異能も、報告にはありませんでした。今後アルフォンソ殿下の賓客としてデミトリ殿を王国騎士団が守る機会も増えます」
「大げさに言ってるが、王城に来てもらったり俺が連れまわすときは護衛だけでなく王国騎士団も警護に当たる」
アルフォンソ殿下の補足に頷きながら、チェッロ騎士団長が説明を続ける。
「デミトリ殿を守るためにも、実力を教えて頂きたい」
「……断る。大体、護衛や警護対象の実力を完全に把握しないと守れないようなやわな訓練は受けていないだろう?」
王国騎士団が王家に忠誠を誓っていても、どこから情報が漏れるか分からない。既に手の内はほぼばれてしまっているが、隠そうとする姿勢を貫き通せばまだ何か手を隠し持っていると勘違いされる事に賭けてみる。
「それは……」
「だそうだ、帰るぞ」
「待ってください!」
意外にも、アルフォンソ殿下はこの件について深入りするつもりはないらしい。
――元々チェッロ騎士団長が独断できたと言っていたし、決闘の件も謝罪されていた……殿下なりに、俺の能力に関する詮索は控えようとしてくれているんだろうな。
「デミトリ殿の能力が分からなければ危険なんです」
「俺は、別に王国騎士団を襲うつもりはないが……」
「そう言う事ではありません! 確率は低いですが、仮にデミトリ殿が王城で賊に襲われたとします――」