「デミトリ殿、我々は王城に戻ります! 後ほど殿下から使いが寄越されると思うのでそれまで自室で待機していてください」
「分かった」
手短に今後の動きを共有した後、カルロスとヘクターが王城に向けて発って行った。ヴァネッサと二人きりの玄関ホールで、不意に左手を優しく包まれた。
「ひどい怪我……」
「見た目ほど酷くないから心配しないでくれ。治療用のポーションも貰っている……これからの予定は空いているか?」
「……今日の指導はもう終わったよ」
「良かった、色々とあったから共有したい。一緒に部屋に来てくれないか?」
「……うん、戻ったらすぐに治療しようね?」
ヴァネッサを連れて最早慣れた足取りで玄関ホールの階段を上ろうとしたが、なかなか足が上がらない。
見かねたヴァネッサに支えて貰いながら階段を上り切って重い足取りで客室までたどり着き、ソファに腰を掛けた時には今までの疲れと我慢していた魔力枯渇症の脱力感に襲われた。
そのまま目を閉じてしまえば眠りに落ちてしまいそうなため、かなり無理をしながらなんとか重い瞼を持ち上げなんとか持ち堪える。
「手の傷は私が手当てするからデミトリは休んでて」
「ありがとう……」
どこからともなく取り出したピンセットの様なもので、ヴァネッサが丁寧に俺の手に刺さった呪詛の矢の破片を取り除き始めた。緊張の糸が途切れたからか今まで麻痺していた痛覚が蘇りじわじわと左手が熱くなっていく。
――あんなもの持っていなかったはずだが……ドレスから取り出したのか……?
ヴァネッサが取り出した道具から連想して、茶会で給仕達が制服から暗器を取り出したのを思い出し複雑な気持ちになる。
――アロアがどういう指導をしているのか、今度詳しく聞いた方が良いかもしれないな……
「全部取れたよ」
「ありがとう。助かった」
「ポーションを飲んでて。私はこの木屑を捨てて来るね?」
「すまない、捨てずに置いておいて貰えるか?」
血まみれの木片を掌の上に集めたヴァネッサが首を傾げる。
「……取っておくの?」
「壊れているが元々は呪詛の矢という呪物だ。正しい処理の仕方が分からない上厄介な事に一応証拠品だ……捨てない方が良い」
「えっと……それじゃあ収納鞄に入ってる布の端切れで包んでおく?」
「そうして貰えると助かる」
ヴァネッサが木片を纏めるのを眺めながら、荷馬車を降りる際渡されたポーションを一気に空ける。
――傷の治り具合の速さから高級ポーションだろうな……
派手に出血していたがこの程度の傷であれば中級ポーションでも事足りたはずだ。呪物による傷ということで殿下が気を利かせてくれたのかもしれない。
「これでいいかな……あ! よかった、元通りだね」
「ヴァネッサが矢の破片を取り除いてくれたおかげだ。後、殿下が無駄に効果の高いポーションをくれた事にも感謝しないといけないな」
「……すごい疲れてるみたいだけど本当に無理してない? 他にどこか具合が悪かったりしない?」
「……少し魔力を使いすぎたが、それ以外健康そのものだ」
何も問題ないと証明しようと腕をあげて力こぶを作ろうとしたが、魔力枯渇症のせいで脱力した体が言う事を聞かず左腕を半端に持ち上げるだけに留まってしまった。上手く体を動かせなかったせいで、余計に心配の増した表情でヴァネッサに詰め寄られてしまった。
「本当に大丈夫なの……?」
「心配を掛けてすまない。魔力の使い過ぎで魔力枯渇症になっているがそれ以外は本当に問題ないんだ」
「……私の方こそごめん。心配し過ぎると逆に居心地悪いよね。休むなら横になった方がいいんじゃない?」
「お言葉に甘えたい所だが今横になるのは不味いな……」
――カルロスは後で殿下の使いが来ると言っていたが明日以降の事を話すに違いない。さすがに寝ている場合じゃないな……
「カルロスも言っていたが、このあと殿下に召集される可能性が高い」
「……お茶会で何があったの?」
――――――――
「……」
一通りアルケイド公爵邸で起こった出来事と、グローリアが何をしようとしていたのか説明を終えてからヴァネッサが押し黙ってしまった。すっかり日が落ち暗くなった部屋は静寂に包まれ、揺れるランプの明かりがヴァネッサの顔に影を躍らせている。
「……私がデミトリのために出来ることはない?」
「急にどうしたんだ?」
「デミトリには助けられてばかりなのに肝心な時に私はいつもデミトリの力になれない……」
「そんな事は――」
「あるよ。しかもエンツォとの決闘も今日の茶会も、元はと言えば私と関わらなかったら王都に来てなかったからデミトリは巻き込まれなかったよね? 散々迷惑を掛けて、少しでもいいから恩返ししたいのにいつも何も出来ない……疫病神だね、私……」
――良くない傾向だな……
幸いな事に連日指導を受けていた成果か魔力は乱れていない様だが、ヴァネッサの心は別問題だ。
バレスタの酒場で軟禁され、いざ解放されたかと思えば今度は王城の迎賓館で軟禁されているようなものだ。
――見方によっては、バレスタ商会に居た頃よりも『俺に迷惑を掛けている』と意識させられる今の方が余計に心労が溜まり易いかもしれない……
「……ヴァネッサ。俺はヴァネッサに出会う前から開戦派に目を付けられていた。遅かれ早かれ巻き込まれていただろうし、俺がヴァネッサを守ると決めて行動した結果の責任は俺の物だ」
「気を遣わせちゃってごめんね? 疲れてるのにこんな話したくないよね……」
「ヴァネッサ……」
――想像以上に重傷だな……
「……私はデミトリに助けられるべきじゃ――」
「それ以上言ったら、許さない」