ドレスの裾を強く握り、仄暗い部屋の中でも分かるほど白くなってしまったヴァネッサの手が痛々しい。彼女の手を取ると、傷付いたガーネットの様な瞳と視線が交差した。
「……今から俺が話す内容を聞いて、俺と距離を置きたいと思ったら素直に言ってくれ」
「なに―― 離れるのはいやだよ――」
「俺はヴァネッサが居ないと駄目なんだ」
――我ながら重いと言うか、病んでいるな……
「えっ……?」
「がらくた市で話しただろう? 俺は……結局自分さえよければ他の事なんてどうでも良いと思って行動している」
「そんな事――」
「ある。ヴァネッサの目に俺がどう映っているのか分からないが、俺は……恐らく俺が嫌っている神々と同じぐらい自分勝手かもしれない」
「そんな事ない!」
改めてそう考えると悲しくなってくる。本質的に奴らと変わらないかもしれないという事実に直面して呪力が暴れ出す予兆を感じたが、ヴァネッサが力強く否定してくれたおかげで落ち着いた。
「……ヴァネッサを助けたのも無責任な関わり方をした自分自身が許せなかったからだ。自分のためであってヴァネッサの為じゃない。今回の件もそうだ。本当にヴァネッサを最優先するなら、殿下に協力するかどうか問われた時、義理は果たしたからもう関わらないと言えば良かった」
「……グローリアの事情を聞いたら助けてあげたいと思うのは普通だと思う」
「それでもヴァネッサとの約束を反故にした事には変わりない。ヴァネッサに相談も無く殿下達に協力する事にしたのも、グローリアを哀れんだのは否定しないが……大部分は人の生き様を虚仮にした神が許せない私怨を優先したからだ」
『俺は自分の気持ちを優先して行動しているだけで、誰にでも手を差し伸べる高尚な考えを持ち合わせているわけではない。結局、自分が一番可愛い偽善者って事だな』
あの日メリシアでヴァネッサに告げた事が頭をよぎる。あの時は無暗に人助けをするつもりが無いのを彼女に納得してもらうために言ったつもりだったが、恐らく自分自身の気質に薄々気付いていたのだろう。
これまでの行動を洗い出して振り返ってみると人の道を踏み外したくないと自分に言い聞かせていた癖にすべての行動が私利私欲の為だった。
「……何でもかんでも自分を悪く言おうとしても無理があるよ」
「無理なんてしていない、ありのままの事実を告げているだけだ……俺は自分さえ良ければ他はどうでもいいと思っている。だからヴァネッサが居ないと困る」
「どういう事……?」
――軽蔑されて俺の元を離れたいと言われたら……いや、考えるのは後だ。
決心を鈍らせないために思考を空にしながら、ヴァネッサに飾り気の一切ない本音をぶつける。
「一緒に居ると落ち着く。話していて楽しい。俺の思考が変な方向に暴走してしまいそうな時、何度もヴァネッサの存在に救われてきた」
「……」
「前世の秘密を打ち明けていて、本当の意味で信頼して話せるのはヴァネッサだけだ。どんな時でも、俺の味方をしてくれる絶対の存在なんて今まで居なかった。グローリアに誰からも必要とされてないと言われた時も、魔力が一瞬乱れてしまったが難なく制御を取り戻せたのはヴァネッサのおかげだ」
――あの時否定できていなかったらどんな反応をしていたのか想像したくも無いな……
「バレスタ商会から解放されて、君の保護を申し出た俺にこんな事を言われたら困ると思っていたから今まで黙っていたが……俺はヴァネッサが居ないと駄目なんだ。だから力になっていないと、助かるべきじゃなかったなんて言わないでくれ。自分勝手な願いだが、俺はヴァネッサに思い悩んでほしくない」
「デミトリがそう思ってくれてても、自分が納得する形で恩返しができてないのは気になっちゃうよ?」
「言っただろう、俺は自分勝手な男なんだ。できれば折り合いをつけて欲しいが、無理なら……俺の傍をはなれてしまっても仕方ないと思っている……」
掴んでいたヴァネッサの手を離し静寂に包まれた部屋の中彼女の返答を待つ。
「そんな悲しい顔しないで……やっぱりデミトリは自分勝手じゃないよ。結局そうやって私の意思を尊重するんだ」
「そう言う訳じゃ――」
「少なくとも、周りを大事にする自分勝手は良い自分勝手だと私は思うよ?」
――良い自分勝手……か。
「……デミトリが本音で話してくれたから、今度は私の番だね」
居住まいを正しながら、ヴァネッサがソファの上でこちらに身を寄せた。
「私は、自分とデミトリ以外どうなってもいいと思ってる」
「そんな事ないだろう……」
「さっきも言ったけど、グローリアの話を聞いて可哀そうだなとは思ったよ? がらくた市で会ったモイセスさんの境遇にも同情した。けどそれだけ。助けたいと思うのは理解できるけど、助けたいとは微塵も思わない薄情な女なの」
どこか寂しげな表情を浮かべながら、ヴァネッサが自分の手を見つめた。