「ごめん……」
「もう、気にしなくていいよ! 元はと言えば足を踏み外した私が悪いから……」
「堅物だと思っていたがデミトリも男の子だったという事だ」
ギラリとニルを睨んだが、飄々とした様子で抜け道の奥へと進んでいってしまった。
「……怪我はないか?」
「落ちた時に受け止めてもらったから大丈夫だよ」
「よかった……その―― 行こう」
何があったのかについてはこれ以上触れず、ニルの後を二人で追った。梯子の掛かった抜け穴とは違い、地下道の壁は石造りになっており地面も歩きやすいようにならされていた。
「地上から隔絶された空間なのに妙に明るくないか?」
「この抜け道自体が強大な魔道具の様なものだ。動力が点けられていない時は目と鼻の先すら見えない暗闇だが、今は使用中だからな」
――魔道具か……先程の話から察するに、正しい手順で起動しなければ防衛機構が発動するんだろうな。
「このまま進んで行くと王城の中庭に出る。出口を閉めたらまた別の抜け道を通ることになるからそのつもりでいてくれ」
「今回抜け道を通って王城に向かっているのは、開戦派に所属している人間が俺達を監視していた場合に備えての事だと予想しているが……王城内でそこまでする必要があるのか?」
「心配するな、まったく警戒していない訳ではないがさすがに開戦派に王城内でそこまで好き勝手を許すほど我々も甘くはない。どちらかと言うと、夜分遅くに王族と密会している事が公になってしまった時を危惧していると言った方が正しい」
「私達は一応王家の影ですけど、それでもですか?」
「君達が王家の影に所属しているのを知っているのは同じ王家の影と王族だけだからな。ヴァネッサがアルフォンソ殿下と逢引きしているだのデミトリがグローリアに夜這いを掛けただの噂されたくないだろう?」
ニルの発言に顔を顰める。ヴァネッサの方を見ると、彼女も不快感を隠そうともせず表情を歪めていた。
「貴族は噂好きが多い……いや、どちらかと言うと人の性と言った方が正しいかもしれないな。王城に勤めている使用人や兵士達もその類の話には常に貪欲だ」
「貴族間で噂話をするのはさておき、噂の出どころが使用人や兵だった場合突き止められたらただでは済まなそうだが……」
「だからこそ盛り上がるんだろうな……知ってはいけない秘密程、誰かに話したくなるものらしい」
「あまり共感できないです……」
前世でも噂話……とりわけ人の不幸は蜜の味と言われていた。異世界だとしても人の本質は変わらないのかもしれない。
「私も同感だ。同僚と噂話に勤しむぐらいならアロアと過ごしたい……そう言えば、面白い噂話を聞いたな」
「……噂話には勤しまないんじゃなかったのか?」
呆れ気味にニルに問いかけると、悪戯っぽい笑みをしながらこちらに振り返った。
「そう釣れない事を言うな。デミトリに関する噂だぞ?」
「デミトリについて?」
気になった様子でこちらを見つめるヴァネッサと目が合ったが、全く心当たりが無く首を振る。
「アルケイド公爵邸を襲った賊を単身で屠った異国の傑物。情け容赦のない戦いぶりは、まるでヴィラロボス領の氷山に住まう幽氷の悪鬼が如く――」
「何だそのふざけた呼称は……」
「茶会の招待客達の中にヴィラロボス辺境伯爵家の令嬢が居た。彼女が君の雄姿を見て幽氷の悪鬼と呟いたのを周りの招待客達も聞いていたらしく、事情聴取の際皆口々に君の事をそう呼んでいたそうだ」
――ヴィラロボス辺境伯爵家の令嬢……?
あの時、友人の為に勇気を振り絞って行動した令嬢の事を思い出す。
――呼称が広がってしまったのは彼女のせいではないだろうが……
「既に噂話に疎い私の耳にまで届いていると言う事は既にかなり広まっていると思うぞ。デミトリは異能を持っているし、このまま正式に二つ名になるかもしれないな」
「やめてくれ……」
「えっと……かっこいいと思うよ?」
ヴァネッサの心遣いが逆に辛い。
「……悪鬼と呼ばれる位だ、どうせ化け物の類だろう?」
「氷と死霊を操る魔物と言う事ぐらいしか私には分からないが、物凄く強いらしいぞ?」
「魔物と比較されても嬉しくないんだが……」
「二つ名なんてそんな物だ。ドラゴンスレイヤーの称号が分かりやすく竜を倒したものを表すように、二つ名も端的にその者の能力を伝える上で魔物や魔獣にちなんだものが多い。有名所で言うと王都で活躍している白金級の冒険者パーティーのリーダーなんかは『発情バイクロップス』と呼ばれているし、幽氷の悪鬼は大分ましな方だと思うが――」
「「発情バイクロップス……??」」
あまりにも不名誉な二つ名に驚き、思わずヴァネッサと共に繰り返してしまった。
「バイクロップスって……普通そこはサイクロップスじゃないんですか?」
「彼は隻眼じゃないからな。サイクロップス並みの膂力を持った凄腕の戦士なんだが……あくまで風の噂だが相当女癖が悪いらしい。パーティーメンバーも私の記憶が正しければ彼以外全員女性だったはずだ」