あの化け物と対峙してから、森の中で遭遇する生き物が徐々に変化していくのに気がづいた。
――あれはバット・スクィレル……だったか?
体長三十センチ程の、翼を持ったリスが木々の間を飛び回っている。
――あれはオストプアー……で合っているのか?
前世の記憶で言えばダチョウをそのまま鶏サイズに縮めたような珍妙な鳥が五羽、全速力で森の中を駆けていく。いずれも資料で読んだことしかない魔獣だ。
ストラーク大森林の中でも主にヴィーダ王国側に生息しており、グラードフ領近辺ではここ近年見かけられていない。
――泥色の化け物と対峙した後、どれだけ記憶を掘り起こしても該当する魔物の知識を思い出せなかった。ストラーク大森林の中でもヴィーダ王国側に生息する魔物だと推測していたが、正しかったみたいだ。
なるべく魔物や魔獣との遭遇を避けているため大森林の中を右往左往しながら進んでいるものの、着実にヴィーダ王国に近づけていることに安心する。
目標に少しずつ近付けているという事実に勇気付けられながら、今後について思案する。
――大森林を抜けた後、どうやってヴィーダ王国に入国するのかそろそろ本格的に考えないといけない。
不戦条約が結ばれているとは言え両国間の関係は戦争時から特に改善していない。
――……馬鹿正直に「グラードフ領から逃げて来た辺境伯家の次男です」と伝えて。入国しようとすれば確実に面倒なことになるな。
目標達成を間近に感じ、若干浮ついていた気持ちが徐々に萎えていく。
――出来れば亡命を求めたいが、脱走兵かつヴィーダ王国の国境に面しているグラードフ領の人間だからな……しかも腐ってもグラードフ家の人間だ。受け入れて貰うのは難しいだろう。
――かといって不法入国するのは出来れば避けたいが……他に方法がないなら、密入国することも覚悟はしておかないといけないな。
理想を言えば瑕疵のない状態で入国するのがベストなのに変わりないが物資も底をつきかけている。
仮にヴィーダ王国へ入国できなかった場合、物資が尽きた後大森林の中で自給自足しながら生き残るだけの知識も技量もない事がこの逃亡期間中嫌になるほど分かった。
潤沢な物資を抱えながら森の中を移動する事と、物資のない状態で森の中で生き抜く事の違いは大きい。
それこそポーションがなければ死んでいた場面に何度も遭遇しているのに、肝心のポーションがもうないのだ。
無理やり自分を奮い立たせて日々森の中を前進しているが……日に日に蓄積された肉体的、そして精神的な疲労がここ最近隠しきれなくなってきている。
順調に見えて、かなりぎりぎりの綱渡りを続けている事を自分が一番よく分かっている。
――ここまで来れたのは確実に二人のおかげだな。物資や武器を借りられたのもそうだが……
自分の自己満足のために二人の遺体をここまで連れてきてしまった。
死にたくないのは当然として、二人をドルミル村に送り届けると言ったからにはそれまで死ねない。一方的に告げただけの約束が、無理な旅を続けて摩耗する精神の支えになっている。
――とにかく今は進むしかない……な?
妙な違和感に眉を顰める。
あの泥色の化け物と対峙してからというもの、時折似たような違和感を感じるようになった。魔力感知の修行の成果なのだろうか? 正直全く喜べない。
「はぁー……」
思わずため息が漏れる。
泥色の化け物と戦った後、再び違和感を感じた時はあの化け物とまた遭遇したくない一心で違和感を感じる方向と真逆に進んだ。
違和感を振り払おうとすればするほど妙な悪寒を感じたのが印象的だった。
逃げた結果ゴブリンの群れに遭遇し、何とか倒すことに成功したが生きた心地がしなかった。
数日後、また違和感を感じたので今度は逃げるのではなく細心の注意を払いながら違和感を感じる方向に近付いてみたら、マイアー・ウルフの群れに遭遇して死にかけた。
傷を負いながら各個撃破でなんとか数を減らしていた所、不意を突かれ一匹のマイアー・ウルフに背後から噛みつかれてしまった。
即座に武器を落とし、背後から自分に噛みつくマイアー・ウルフを両手で掴み背負い投げの要領で地面に全力で叩きつけた。
他のマイアー・ウルフよりも若干濃い毛色と大きな体躯をしたその個体は運よくそのまま絶命し、自分を取り囲んでいたマイアー・ウルフ達が一目散に逃げていったため九死に一生を得た。
あの個体が群れの長だったのかもしれない。
噛みつかれた肩の傷は骨まで達していて出血も止まらなかったので、最後の高級ポーションはここで飲むはめになってしまった。
――この違和感を感じ始めてから碌なことがないな……いや、運が悪いのは今に始まったことじゃないか。
自嘲もほどほどにどうすればいいのか考える。近付いても逃げてもだめなら一体どうすればいいのか分からない。
――まだ試していないのは、その場に留まる位か……?
なんとなくそれもダメな気がしているのだが無暗やたらに移動するのも得策ではない。
もう回復手段がない。重傷を負ったらそれで最後。可能な限り移動中の不意打ちや急な会敵は避けたい。
――少し進んだ場所に戦いやすそうな草地がある、取り敢えずあそこに移動しよう。
小川の流れるそれなりの広さの開けた草地。
――遠征の野営予定地に似てるな……
「やあ!」
声が聞こえたのと同時に全身の血の気が引く。
振り向くと、鎧を纏った若い兵士が片手を上げながらこちらへ向かって歩いてきていた。