「悪神の愛し子……」
ルッツ大聖堂での出来事について共有を終え、ヴァネッサがソファに座りながら頭を抱える。
「……不安に思うのは分かる。俺も具体的に愛し子が何なのか聞けていないが……後で合流すると言っていたし直接トリスティシアに聞くしかない」
「愛し子になったのも気になるけど……」
「他に何か気になっているのか?」
何かが引っ掛かっている様子のヴァネッサにそう問いかけたが、中々返事が返ってこない。
「何か心配事があったら何でも言ってくれ」
「……儀式の事なんだけどね? ちょっと、心配な事があって……」
「……? 儀式は無効になったはずだが、何か見落としているのか?」
言い辛そうにしているヴァネッサの様子にこちらも徐々に不安になってくる。よくよく考えてみるとあの時は目の前の問題と向き合うのに精一杯で、全ての事柄に完璧に対処できたとはとても言い切れない。
「……私の考えすぎなら良いんだけど、デミトリのお願いって……無効になるはずじゃないかなと思って」
「俺の願いが無効に……?」
「悪神は『魂を奪わない』ってお願い以外なら叶えるって言ったんだよね? だったら儀式が無効になってデミトリの魂を奪わない事になる『願いを叶えない』ってお願いも、解釈次第で当て嵌まらないかな……?」
ヴァネッサの言っている事を理解して頭の中が真っ白になる。
「ふふ、ヴァネッサちゃんも中々おもしろそうな子ね?」
「「!?」」
対面のソファに広がった闇の中からトリスティシアが現れ、俺とヴァネッサと向かい合う形で座った。
「えっと……トリスティシア、様?」
恐る恐るそう聞いたヴァネッサにトリスティシアが微笑みかける。
「デミトリの仲間だからヴァネッサちゃんもトリスちゃんかティシアちゃん、好きな方の愛称で呼んでくれてもいいわよ?」
「えっ!?」
「ちなみにデミトリはティシアちゃんの方が好みみたいよ」
トリスティシアが目配せをしながらそう言うとヴァネッサがばっとこちらに振り向き、反射的に首を振る。
「……ティシアちゃん、デミトリは大丈夫なんですよね?」
「心配しなくても大丈夫よ? 魂は奪ってないから」
「儀式を無効にする願いを言うこと自体が不可能だったのか……?」
「ふふ、どうかしら? それに言ったでしょ? 『面白かったからいいわよ』って。今まで私を出し抜こうとした子達の中で、デミトリのお願いが一番面白かったわ」
トリスティシアの気分次第で魂を失っていたという事実に眩暈がする。
「面白かったから……」
ヴァネッサも顔を引きつらせながら、静かに呟いた。
「面白さは大切よ? 退屈なお願いばかり聞いて飽き飽きしてたんだから」
「……他にどんなお願いがあったんですか?」
俺はまだ精神の消耗から立ち直れていないが、ヴァネッサはトリスティシアに対する畏怖よりも好奇心が勝ったようだ。
「そうね……一番面白くなかったのは俺の物になれってお願いかしら。私を支配できれば魂を取り戻せると思ったんだろうけど……儀式が終わった後魂を返せってお願いもあったわね。何のひねりも無くてがっかりしたわ……」
「それは……確かに捻りがないですね。もっと色々考えられるのに」
「あら、話が合いそうね? 参考までにヴァネッサちゃんならどんなお願いをするのかしら?」
妙な所で意気投合してしまったヴァネッサとトリスティシアが、儀式の攻略談義で盛り上がって行く。
「そうですね……私ならティシアちゃんの『貰う』って認識を『手を出さない』に変えてもらう事を願ったと思います」
「ふふ、『魂を奪うな』ってお願いにしないために私が『魂を貰う』って言った事に着目するのはおしいわね。でも魂を貰うのに手を使わないから、『手を出さなくても』魂は貰えるわ」
「捉え方をティシアちゃん任せにするとだめなんですね。でもすごく長い条件もりもりのお願いってなんだか……こう、きっぱり言い切れる感じじゃないと決まらないですよね?」
「その気持ちを分かってくれるのね? だから短くまとめたのに二重に保険を掛けたデミトリのお願いが面白かったの」
――『面白かった』か……
結果的に魂を失わずに済んだのでそれでいいはずなのだが、命懸けで考えた願いの評価が『面白かった』で片づけられてしまうのは腑に落ちない。
――かなり綱渡りをしていたんだな……物語のデミトリはどんな願いをしたのだろうか……
考えに耽っていると、聞き捨てならない発言がトリスティシアの口から飛び出した。
「ヴァネッサちゃんもかなり面白いわね。月神の愛し子なのがもったいないわ」
「「……月神の愛し子!?」」
「あら、知らなかったの?」
「ヴァネッサは大丈夫なのか!?」
俺の切羽詰まった問いに、出会ってから初めてトリスティシアが答えにくそう首を傾げた。
「そうね……今はデミトリがいるから大丈夫だけど、前は大丈夫じゃなかったんじゃないかしら?」
「それは……」
バレスタ商会と故郷での出来事を思い出したのか、ヴァネッサが俯く。
「周りが自分に都合良く狂うせいで誰の事も心の底から信じられない。常人なら耐えられないんじゃないかしら……ミネアらしいわね」
「ティシアちゃん……愛し子の加護と、普通の加護は違うのか?」
ヴァネッサは周囲を狂わせてしまうのは加護のせいだと説明されていたはずだ。愛し子の加護が特別なら理解を深めたら解決する糸口が見つかるかもしれないと思い質問したが、トリスティシアの答えは予想に反していた。
「そう言う訳でもないわ。デミトリだけじゃなくてヴァネッサちゃんも、碌な説明を受けずに転生させられたみたいね……一から説明してあげる」