「ピッピッピ~」
忙しなく部屋の中を探検するシエルを眺めながら、ヴァネッサと頷き合う。
「環境が変わったらシエルがどう反応するか不安だったが問題なさそうだな」
「気に入ったみたいだね!」
先日エリック殿下と別れた後ナタリアと共に宿に戻り、ヴァネッサとレズリーに今後の予定について共有した。護衛の件についてヴァネッサの了承を得て、俺とヴァネッサは翌日泊まっていた部屋を引き払い王立学園の敷地内にある「留学生寮」に移った。
「流石王族用って感じの部屋だね」
便宜上「留学生寮」と呼ばれているが、その実態は王立学園の敷地内に建てられた立派な館だ。
他国から訪れた王族や高位貴族を一般生徒と同じ寮に泊める訳にいかず、特別に建てられた物だろうとなんとなく予想がつく。
「俺たち二人が泊まるには広すぎるがこれでも従者向けの部屋と言うのには驚いたな。ヴィーダ王城の迎賓館で泊めて貰っていた部屋と同じぐらい豪華なのは、他国の要人を迎えるために作られた寮だからだろう」
「学生平等を掲げてるんだよね? 結局こんな館を建てて特別扱いしちゃったら本末転倒じゃない?」
「……学園が建前では平等を掲げていても、学生寮で他国の令息令嬢とアムールの生徒間で問題が起こったら国際問題になる。ある程度は仕方がないんじゃないか?」
話ながら少ない荷物の荷ほどきを終え、ヴァネッサと共に窓の外を見る。
「真っ白だね」
「シエルを外に連れて行ったら見失う危険があるな……」
白一色の雪景色が眼前に広がり、その先に学園の校舎が見える。シャウデの森ではなぜあんなに目立つ色の木をコルボ達が住処にしていたのか謎だったが、冬の間雪の保護色に近い色の幹や枝をした木では見分けがつかないからなのかもしれない。
「外に出る時は絶対に離れちゃだめだよ?」
「ピ?」
ソファのクッションの上で寛いでいたシエルがヴァネッサに声を掛けられて首を傾げる。
今はまだシエルが飛べないから良いが、外でどこかに飛ばれてしまったら本当に見つけられなくなってしまうな。
「これからどうする?」
「そうだな、エリック殿下と従者団への挨拶とヴァネッサの紹介も終えたし今日はもう部屋でゆっくりしよう」
「まだ日が沈むまで時間があるけど、杖は買わなくていいの?」
雪を流す為の水路避けの杖に関しては、確かに学園が始まる前に買う必要がある。本当は先日学生区を散策するついでに買う予定だったのだが、セレーナの一件で予定を切り上げて宿に帰ってしまった。
「学園が再開するのは来週だ。明日以降市場に行くついでに買いたいと思っているが、先日あの特待生に襲われたばかりだ……それに俺はなんだかんだ面倒事に巻き込まれる。たまには何事も起こらない平和な一日を過ごしても良いと思う」
「……そうだよね! じゃあ冬っぽい贅沢をしようよ!」
「冬っぽい贅沢?」
ヴァネッサが部屋に備え付けられた暖炉に近づき、薪をくべながら火魔法で勢いよく燃やし始めた。
「寒いのか?」
「違うよ! 冬の贅沢と言えばあったか~い部屋の中で食べるキンキンに冷えたアイスでしょ?」
「そう言う事か」
ヴァネッサが暖炉の火加減の調整を進める傍ら、収納鞄から氷菓子の材料を取り出して準備に取り掛かった。
――――――――
「ぴー……」
パチパチと火花を飛ばす暖炉の残り火に新たな薪をくべてから、すっかり暗くなってしまった部屋で眠りに着いたヴァネッサと、彼女の膝の上で寝ていたシエルを持ち上げてベッドまで運ぶ。
起こさないようにヴァネッサ達を降ろしてから暖炉の前のソファに戻り、一人黙々と続けていた水魔法の実験を再開する。
今までも空いた時間に行っていたが、エリック殿下の護衛を引き受けてしまった今妙な焦りを感じている。学園で戦闘になるとは考えにくいが、万が一に備えて手札は増やしておきたい。
――完全な真空状態は無理だとしても、それに近い超低気圧の空間を作れていると信じたいな。
目の前で燃えている蝋燭の火を水魔法の泡で包み、密閉状態を保つことを意識しながら圧力に逆らい卵程度大きさの泡を無理やり半径四十センチほどの大きさまで引き延ばす。
――炎が消えたのが泡の中の酸素が薄くなったからなのか、元々あった酸素が尽きたのか判断が付かないが……及第点か。
魔力制御が限界を迎え、泡が弾けひゅんと空気が泡のあった空間に引き寄せられたのを感じた。
気圧の違いで元の大きさに押し戻されようとする泡を維持するために、途轍もなく繊細な魔力制御が必要だったが少なくとも低気圧空間の作成には成功しているはずだ。まだまだ検証が必要だが、やろうと思っている事が出来るのであれば対策できる異能が幾つかある。
――これからどんな加護や異能……そして祝福を持った人間に出会うのか分からない。とにかく対抗手段を増やさければ……
アムールの王都までの旅だけでなく、ヴィーダでも俺は幾度も死に掛けた。訳の分からない能力を持った人間と敵対した時、準備不足を嘆くような真似はしたくない。
「……っ、うっ」
そう思いながら胃の中に忍ばせていたヴェネノ・プルポの神経毒を口から吐き出し手で受け止める。シャワー室に移り、アルフォンソ殿下から渡されたガラス瓶を覆った氷にへばりつく融けた氷菓子と胃液を洗い落した。
仮に毒霧を発生させるために収納鞄に忍ばせた神経毒を取り出したくとも、手足を拘束されていたり収納鞄を奪われている状態では意味がない。そんな状況でも対応できるように、文字通り命懸けの方法だが体内に毒を忍ばせる方法を編み出した。
これなら仮に四肢をもがれたとしても、隙を突いて胃に忍ばせた毒瓶を腹を破りながら射出して敵を無力化する事が出来るはずだ。もちろん、俺自身ただでは済まないため最終手段だが……
――これだけじゃだめだ……
毒瓶を握りながらシャワー室を出て、ベッドで眠る一人と一匹を見つめていると焦りがどんどん心を支配していく。
――仲間を守って、俺達の平穏を乱そうとする人間を確実に排除する手段を増やさなければ……