息も絶え絶えで今にも命の灯が潰えてしまいそうなデミトリ殿の口に、ポーションの瓶を押し当て無理やり中身を飲ませる。ポーションを飲み干すと、少しだけ顔色が良くなったように見えるが……とてもではないが傷が癒えきったとは言えない。
横で治癒術士のクリスチャンが苦悶の表情を浮かべながら回復魔法を発動し続けている。クラッグ・エイプの死亡を確認してからすぐさまデミトリ殿を回収し、絶え間なく回復魔法を掛けているのにも関わらず思うように治療が進まない。
――死ぬな、デミトリ殿!
心の中で叫ぶしかないが、状況は良くない。
彼がクラッグ・エイプに立ち向かってくれなければ、自分も今こうして息をできていたかすらも怪しい。眼前に広がる惨劇を見ながら、改めてそう思う。
「動けるものは負傷者の後送を優先! 重傷者はその場から動かさず治療を優先しろ!」
――相変わらず、焦っていると口調が元に戻られるな。
ミケル様に仕えて十余年。どれだけ立派になられても古い習慣は消えにくいらしい。
ミケル様が指揮を執る中、正気に戻った隊員達が忙しなく救助活動に勤しむ。幸いなことに全滅は免れたが、被害は甚大だ。
――年はミケル様と同年代だろうか?
紺色の長髪を、後ろだけ刈り上げた不思議な出で立ちの青年。出会った当初は森の中から幽鬼が這い出てきたのかと疑ったし、勘違いもありかなり敵対的な態度を取ってしまった。
本人は非戦闘要員であるかのようにミケル様に説明していたみたいだが、鍛え抜かれた兵士の肉体とその身に宿す暴力的な魔力。そしてストラーク大森林を一人で渡りここまでたどり着いた事実を踏まえると、油断できなかった。
だがいざ話してみると、物静かで思慮深い人柄が印象的だった。ヴィセンテ殿達の遺体の扱い方や、今回の一件でも分かる。自分には一切得にならないにも関わらず、ミケル様の元へ向かう自分の背中を押してくれた。
戦士として敬意を払うに値する、義を重んじる御仁。ここで死なせるわけにはいかない。
「ミケル隊長、第四班到着しました!」
「サウロ、第二班の魔術士がエスペランザに通信して救援を呼んでいる。負傷者を後送しつつ、第四班は野営地で第二班と連携して撤退の準備を進めてくれ! 治癒術士は重傷者の手当てのためここに残してくれ!」
「了解です!」
切羽詰まった様子で指示を続けていたミケル様が、こちらへ近づいてくる。
「デミトリ殿の容態は?」
「なんとか一命を取り留めていますが、このままでは……」
「全力で治療して……いるんですけど」
クリスチャンが顔を青くしながら返答する。唇も青く染まり、微妙に目の焦点が合っていない。魔力枯渇の前兆が見える。
「クリスチャン、君が全力を尽くしているのは疑ってないよ。サウロ! すまないが第四班の治癒術士をひとりこちらに寄越してくれ!」
「はい! テレサ、ミケル隊長の元に向かってくれ」
「了解です……!」
サウロの呼びかけに応えて、若い治癒術士がこちらに駆け寄ってくる。
「クリスチャンさん、交代します!」
「よろしくお願いします……」
限界まで魔力をふり絞ったのだろう。力なく返事すると、クリスチャンはそのままその場に横たわってしまった。
「ひどい……傷もそうだけど、回復魔法の通りが悪い……?」
「クラッグ・エイプの……突進を受け止めたんだ……即死しなかっただけすごいです……」
「嘘!?」
さすが治癒術士と言うべきか、テレサはクリスチャンと会話をしながらデミトリ殿から片時も目を離さず回復魔法を施している。
「本当だよ、第四班は合流したばかりだから情報を共有出来てなかったね。サウロに説明してくるから後は任せたよラウル」
「了解しました」
自身の部隊を任せられてまだ半年未満、今回はミケル様にとって団長や副団長を供わない初の遠征だった。そこにデミトリ殿との邂逅に加えて、危険度が低いはずの大森林の浅地でクラッグ・エイプとの遭遇。
――かなり無理をされているな。
「あの……」
ふいにテレサから声を掛けられる。クリスチャン同様治療にかなり手子摺っているらしく、額に大粒の汗を幾つも浮かべながら質問を続ける。
「彼は、どうやってクラッグ・エイプの突進を受け止めたんですか?」
「それは……魔力を全て身体強化に注いでいた様だが……」
「なるほど……?」
テレサの疑問はもっともだ。酷い状態だが生きている事の方がおかしいと言える。自分がもしデミトリ殿と同じことをしたら生き残れる自信は一切ない。
視界の端に、デミトリ殿が投げ捨てた魔石が映る。あの大きさの魔石は、それこそクラッグ・エイプ級の魔獣からしか手に入らない。
『もしかして知り合いだったのか?』
――まさか……一人でクラッグ・エイプを狩ったのか?
あり得ないと言いたいが、現に彼は自分たちの目の前でクラッグ・エイプを討伐して見せた。
『クァールや名も知らぬ泥色の化け物と遭遇した時は死を覚悟しました』
ミケル様からの又聞きになってしまうが、彼が脱走兵になったのは戦士の資質が欠けている事が原因だったはずだ。彼からクァールや泥色の化け物に遭遇したと聞いた時、勝手に出会ってしまったが何とか逃げ延びたのだと思っていた。
まさか、一人で戦い勝利していたとは夢にも思わなかった。
デミトリ殿の腰に固定された、収納鞄に手を伸ばす。
鞄の中を確認すると、そこにはクラッグ・エイプの魔石と同じ大きさの深緑の魔石がしまってあった。
――デミトリ殿、貴殿は一体何者なんだ?