月の光に照らされた薄暗い水中で、黙々と先程の手順で清掃作業を進めて行く。定期的に呼吸の為に水面まで上がる以外ずっと水中で過ごすのは不思議な感覚だった。
時間が経てば経つほど、まるで水と一体になったかのように水中での魔力操作が体に馴染んでいく。
水の抵抗があるため地上で魔力を操作している時よりも魔力の消費が激しい反面操っている水魔法と魔力の流れが分かりやすく、池の底にへばり付いた汚泥を次々と氷魔法で除去していく作業を繰り返していると魔力制御の精度がどんどん向上していった。
依頼の内容を聞いた時収納鞄を使って池の水を抜く方法も考えはしたが……水魔法の検証と魔力制御の特訓も兼ねて収納鞄を使わないと判断した事は正解だった。
とは言え、仮に魔法の検証や特訓をするつもりがなかったとしても収納鞄を汚したくないので池の水抜きは行わなかっただろう。
ストラーク大森林を横断している途中、手に入れた収納鞄でできる事とできない事を一通り試した結果気体と流体は鞄の口に直接流し込まないと収納できない事が判明した。
例えば地面に置かれた石であれば、収納鞄の口を寄せて収納する意思を示せば鞄の中へと吸い込まれて行く。対称的に同じことを地面に出来た水溜まりの水で試した時は、いくら念じても収納鞄に仕舞う事は出来なかった。
旅の道中、川水を大量に確保した時も直接収納鞄の口を流れる川の中に入れて流し込む必要があった。
水と同様に空気も念じるだけでは鞄に仕舞う事が出来なかったため、固体……正確には俺が個体と認識できないものは直接流し込むことは可能だが念じても収納鞄に仕舞えないのだろうと納得した。
試しに収納鞄を振り回した時、少量の空気を収納できたため恐らく考え方は間違っていないだろう。
川と違いただそこに水が溜まっている池の水抜きを収納鞄で行う場合、収納鞄を池の中につける必要が出てくる。一応水膜で収納鞄を覆って保護する事もできるはずだが……魔力操作を誤ってしまった時の事を考えると、汚れた池の水にカテリナ達の遺品を晒したく無いので試す気にはならなかった。
――氷で覆っているとはいえ、結局汚泥を含んだ氷球を収納鞄の中に仕舞っているけどな……
色々と理屈めいた言い訳を連ねたが、考えている事とやっている事が矛盾しているので結局気持ちの問題なのかもしれない。汚物に晒すのと汚物を入れるのとで何が違うのか、心理的にどこで許容出来る出来ないの線引きをしているのか考え始めた辺りで作業の手を止めた。
池の底を見渡し、丁度半分程度の清掃が完了したのを確認してから水面に上がり池のほとりに向かう。
「デミトリ、もう終わったの?」
「まだ半分程度だが、大体要領は掴めた。この調子なら週末までに問題なく依頼を完了できそうだから、今日はもう引き上げようと思う」
やろうと思えば今晩中に清掃を終える事も出来たが、イムランから初心者講習で教わった事を思い出しやめる事にした。
人命が関わっているような依頼や早期達成した場合追加報酬が設定されているような依頼は別として、通常の依頼の場合は、極力指定された期間の終了間際に達成報告する事が望ましいと教わった。
依頼の達成期間は依頼主の希望とギルド側が考える適切な期間に折り合いをつけて設定されるもので、冒険者が無理をしないようにギルドは依頼主と折衝して、ある程度余裕のある達成期間が設けられていることが多い。
そこに依頼受注した即日に依頼を達成する冒険者が現れると、悪い前例が出来てしまい今後似たような依頼の達成期間が短くなってしまい他の冒険者達に迷惑が掛かる事があるらしい。それこそ、無理な日程で討伐の遠征を組んで命を落とした冒険者も過去には居たみたいだ。
そう言った事もあり、極力達成報告は依頼で指定された日付に近い方が好ましいとイムランから聞いたが、要するには空気を読めと言う事らしい。
纏っていた水膜を水球に集めて、体に汚れがない事を確認してから池に放つ。
「デミトリが作業してる間、ずっと警戒してたけど特に何も無かったよ」
「ありがとう。この調子で何事も無く依頼が終われば良いが……」
「ステファンって人が嘘を付いてそうなのは確かに気掛かりだけど、依頼の続行を選んだのはデミトリ的にそれでも問題ないって思ったからだよね?」
事前に事情を説明していたヴァネッサが、伝えた内容を思い起こすように斜め上を見ながら質問してくる。
「そうだな。ギルドに迷惑が掛かる位なら依頼を継続しようと思った理由は、ステファンが不可解な行動や言動をしているものの……逆に言うとそれ以外に文句の付け所が無いからだ」
「凄く胡散臭いけどね……」
「それだけだと依頼を破棄する理由には弱いからな……俺だけ評価が下がるならそれでも構わないんだが」
腰に固定した縄を解き、水に浸って重くなった縄を巻き上げて軽く水魔法で綺麗にしてから収納鞄に仕舞う。
「よし、ヴァネッサも準備が出来ているなら帰ろう――」
「待って!」
歩き出そうとした俺の腕をヴァネッサががっしりと掴む。
「さっき、浮かんでたよね!」