「あれが噂の王子様?」
「ああ、横に居るのはエリック殿下が……控えめに表現していたが、殿下達にちょっかいを掛けて暴れていると言っていた令嬢だ」
「うわぁ……」
説明しながらこちらに近づいてくる二人をヴァネッサと共に眺めていると、クリスチャン殿下が急にコルドニエ嬢の顎を掴み口付けをした。
「何をやってるんだ……」
「デートじゃない?」
「閉園後の公園でか? 護衛が見当たらないのも不可解だ」
「一国の王子が、護衛も付けないで二人っきりで忍び込むなんてしないんじゃないかな……?」
俺とヴァネッサが困惑しているとコルドニエ嬢が殿下に応えて口付けを返し、二人は歩みを止めて夢中で互いを求めあった。
「熱々だね……クリスチャン殿下って、婚約者はいないんだよね?」
「分からない。居たらこんな火遊びはしないと思いたいが……」
ナメクジの交尾の様に舌を絡め合わせるのに満足したのか、クリスチャン殿下とコルドニエ嬢が再び池に向かって歩き出した。互いの事しか眼中にないのか、少し周囲に気を配れば俺達が宙に浮いている事に気付いたはずだがあろうことか気付かないまま俺達の真下まで辿り着いてしまった。
「クリスチャン殿下ぁ」
「クレアは甘えん坊だな」
聞きたくない殿下の甘いセリフに鳥肌を立たせながらヴァネッサと目を合わせる。
「降りるタイミング、完全に逃しちゃったね……」
確かに今俺達が登場したら面倒事になりそうだが……逆にずっと隠れているのも得策ではなさそうだ。
「もっと早く降りた方が良かったかもしれないが今からでも遅くはない。俺達には公園に居る正当な理由がある……変に隠れて後で発見されたら、盗み聞きしていたと騒ぎ立てられかねない。今すぐにでも降りた方が――」
「レイナ様との婚約を取り消してくれるって約束してくれて、クレア感動ですぅ!!」
「お前と結ばれるためならどんな障害でも取り除いて見せるさ」
下降するつもりだったが魔力の操作を止め、氷の足場を音も無く動かしながら殿下達の死角になる木の裏へと移動させる。
「でも、レイナ様にちょっとだけ申し訳ないですぅ」
「クレアは優しいな。あんな可愛げのない女は王妃に相応しくないし、そもそも俺の婚約者に選ばれるべきじゃなかった」
「最低……」
ヴァネッサの呟きは容易く婚約者を捨てると言い放ったクリスチャン殿下に対してなのか、自分が殿下の婚約者としてなり替わることを「ちょっとだけ申し訳ない」で済ませたコルドニエ嬢に対してなのかは分からない。
とにかく気が立っている様子のヴァネッサの背中を摩りながら、大人しくヴァネッサの肩に乗っているシエルと目を合わせた。
「鳴かないで偉いぞ、もう少しだけ我慢していてくれ」
「……!」
小声でそう言った直後、シエルが胸を張り翼を広げて了解の合図をした。
前々から気づいていたが、こちらの言葉の意味をちゃんと理解して行動してくれている事には常々驚かされている。
「いつ私を婚約者にしてくれるんですかぁ?」
「もう少しだけ待ってくれ。真実の愛を見つけたと言えば父上も理解してくれると思ったが、中々頭を縦に振ってくれない。レイナの実家のルーシェ公爵家も、理由を説明すれば婚約解消を受け入れると思ったが……思いのほか渋られてる」
「そんなぁ!」
大袈裟に嘆きながらクリスチャン殿下にしなだれかかったコルドニエ嬢の水色の髪を掬い上げ、口づけを落としてから殿下がどや顔で囁く。
「心配するな、婚約を解消できないのであれば破棄してしまえばいい。分からず屋の父上を説得するのももう止めだ」
「それじゃあ!」
「もうレイナとの婚約を破棄してクレアと結ばれる舞台は決めてある。冬の到来を告げる舞踏会で大々的に発表するつもりだ……生徒達だけでなく父兄もあつまる場で既成事実を作れば、父上も納得せざるを得ないだろ?」
「殿下ぁ!」
「馬鹿『なの?』『なのか?』……」
小声ではあるものの、あまりに杜撰な計画に思わず心の内に留めるつもりだった突っ込みを口に出してしまった。我慢できなかったのはヴァネッサも同じだったようだ。
「もう、本当にこの国嫌……」
「悪い人達ばかりではないんだが……気持ちは分かる……」
殿下の告白に感極まったコルドニエ嬢がクリスチャン殿下を押し倒すように襲い掛かり、月下のたわけ達が熱い接吻をし始めた。殿下は行為に夢中で目を閉じているが、彼の視線は俺達の方に向けられているのでこのままでは見つかってしまう。
地上の二人が盛り上がっている隙に、隠れていた木を死角にしながら氷の足場を移動させて池から距離を取った。五十メートル程離れた位置に生垣に囲われた井戸を見つけて、急いで生垣の裏に着陸する。
井戸は一般客に封鎖されているのか、生垣の外側は更に柵に囲われていたのでここなら殿下達に見つかることも無いだろう。
「真実の愛って、私小説以外で初めて聞いたかも……」
「そもそも真実の愛とは何なんだろうな……」
「ぴー……」
井戸を囲みながらため息を吐き、何の気なしに井戸の底を覗くと水面下で何かが月の光を反射して光った。
「どうしたの?」
「井戸の底に何かが――」
光っていたものが何なのか気づき、井戸の端から乗り出して底を確認しようとしていたヴァネッサを慌てて止める。
「デミトリ!?」
「見ない方が良い……」
水を吸って醜く膨れ上がり最早原型を留めていない人だった何か。その腕の腐肉に埋もれてしまい、覗き見える箇所が鈍く月光を反射している腕輪を見つめながら長い夜になる事を静かに覚悟した。