傷は既に完治しているが処遇が決まるまで自由に動き回るわけにもいかず、エスペランザに到着してから部屋で軟禁生活を送っている。
魔力感知の修行も意味がないと分ってしまい暇を持て余していたが、有難いことに気を利かせてくれたミケルがヴィーダ王国の建国記を差し入れてくれた。
――光神ルッツより異能を授かった英雄の活躍により、厄災は退けられヴィーダ王国は輝かしい未来を約束された……か。
建国記をそっと閉じて、テーブルの上に置く。
――ヴィーダ王国も、ガナディア王国と同じように建国の歴史に神が絡んでいる。
命神が授ける加護。光神が授ける異能。異なる力を神々から授かった者達によって、建国された国々。
――命神教だけでなく、光神教とも関わりを避けた方が良いかもしれない。教会に近づかないとなると、呪いをどうするのかが問題だが……
転生時に聞いた勇者という単語や、神に連なる者たちが転生者に力を授けている事実。確信は持てないが、神々が国の行く末に関与している可能性すらある。
――神々が建国に関わってる国同士の関係が険悪なのも気になる。神々も一枚岩ではないのか? まさか、争っているとは思いたくないが……
ずっと部屋に閉じこもっていたせいか、嫌な想像が捗る。
「デミトリ君、入ってもいいか?」
思考の海に沈み切る前に、ふいに扉の外から声を掛けられそちらに目を遣る。
「はい、大丈夫です」
「失礼するよ」
そう言いながら、アイカー・ジステインが入室した。
仕事が片付いたのかどうかは分からないが、疲れ果てた顔をしている。以前はきっちりと着こなしていた軍服をかなり着崩している様子から、相当大変な思いをしているようだ。
「具合はどうだ? 色々と処理が必要で、見舞いが遅れてしまって申し訳ない」
「おかげさまで完治しました」
ジステインがテーブルの向かいの椅子に腰を掛けながら続ける。
「そうか、それが聞けて良かった! 助からなかった命も多かったが君のおかげで生還を果たすことが出来た兵士も多かった。息子もその一人だ、父として礼をさせてくれ。本当にありがとう」
「お役に立てて……良かったです」
――死にかけはしたが、自分の行いで救われた命がある。あの時行動してよかった。
ジステインが柔らかな表情で返答を聞いていたと思うと、纏っている空気が変わる。
「ちゃんとした自己紹介が遅れてしまってすまない。改めて私はアイカー・ジステイン、城塞都市エスペランザの領主代行並びにエスペランザ軍の最高責任者を務めている」
――上位の立場の人間だと思っていたが、エスペランザに限れば頂点じゃないか!
内心焦っていると、少し困ったような顔をしたジステインに問いかけられる。
「早速で申し訳ないんだが、確認したい事がある。君は本当に戦闘能力の低さから、グラードフ領軍では遊撃班に配属されていたのか?」
「……? そうです?」
質問の意図が分からない。ジステインが腕を組みながら目を瞑り、何やら逡巡した後話し出す。
「君を疑っているわけではない。異能で嘘を付いていないのも分かっている。だが今回のクラッグ・エイプの討伐だけでなく君の所持品の中には……恐らくクラッグ・エイプの物と思われる魔石とクァールの物と思われる魔石があった」
確かにヴィーダ王国に辿り着いた後路銀に換えられると思い、他の素材は諦めたが魔石だけ回収していた。
「ストラーク大森林の中でも危険度の高い魔獣を一人で狩れるような猛者が、ガナディアでは正規の部隊に所属出来ないとなると立場上色々と気にせざるを得なくてな……」
――かなり勘違いをされているな……どうしたものか。
正直な所ここまで良くしてくれたジステインやミケル達に、これ以上隠し事はしたくない。かと言って、前世の記憶についてまで言及するのは憚られる。ジステインの異能で本当のことを言っていると信じてもらえても、狂人扱いされかねない。
――最悪の結果になっても、二人の遺体は何とかしてくれると信じて可能な限り話そう。
収納鞄の魔石だけでなく、いくら故人の物とは言えカテリナの日記も見分されている可能性が高い。説明する内容を部分的に秘匿し続けていれば、いつかぼろが出た時に信頼を失うだろう。
――説明できる範囲とできない範囲の選定が難しいが、やるしかないな。
「……少し長くなりますが、それでもいいですか?」
「頼む」
「私は……私の本名はデミトリ・グラードフです。ガナディア王国グラードフ辺境伯領の現当主、ボリス・グラードフの次男です」
ジステインが目を大きく見開いた。
――――――――
「ご存じかどうか分かりませんが、グラードフ領ではかなり偏った思考の人間が多く……過去ヴィーダ王国との戦いに勝利し、グラードフ領を下賜された初代当主のアンドレイ・グラードフが半ば神聖視されています」
「グラードフ家の人間は、初代当主と同様に剣と魔法を駆使して民を守るのが最低条件として求められます。残念ながら自分には魔法の才がなく、身体強化と自己治癒しか取り柄がありません。加えて、ガナディアに生まれた者であれば必ず授かる命神の加護も持っていません」
「そんな自分はグラードフ家の恥、先祖の顔に泥を塗る出来損ないとして扱われていました。そのため正規の部隊に配属されず、名ばかりの遊撃班の一員として主に斥候や雑用に従事していました」
「脱走する直前まで兄が率いるストラーク大森林への遠征に随行していたのですが……遠征中に兄からグラードフ領に帰還次第、兄の部隊に配属されると聞かされました。今まで何度も死を覚悟するような仕打ちをしてきた兄の元では、本当に殺されてしまうのがそう遠くない未来だと思い逃亡を決意しました」
「正直に言うと脱走した当時はそれほど魔力量も多くなく、兄の豪炎の魔法から逃げ惑っている最中に急に増えました。原因については自分でも良く分かっていません」
「兄から逃げる最中、草木に隠されていた穴に落ちてしまい……その先でカテリナ達を発見しました。カテリナの日記の内容を既に確認済みかもしれませんが、彼女たちはソンブラ地下迷宮の探索中でした。ヴィーダ王国側に入口のある洞窟が、グラードフ領付近まで地下を伸びているのを知った時は驚きました」
「カテリナ達が命を落としたソンブラ地下迷宮を一人で切り抜けるのは無理だと判断して、洞窟内にあったクリプト・ウィーバーの糸を利用して穴から這い上がりました」
「地上まで辿り着いた直後、クァールと遭遇してしまい……跳び掛かってくるクァールに向けて、死に物狂いで収納鞄にしまっていたクリプト・ウィーバーの糸を投げつけたら運よくクァールの顔に巻きついてくれたおかげで九死に一生を得ました」
「糸のおかげで噛みつかれなかったものの、跳び掛かってきたクァールにそのまま圧殺されそうになったんですがぼろぼろの体をポーションで回復させ生き長らえました。クァールが糸で視界を奪われている内になんとか急所を突いて倒す事ができ、その時に回収した魔石が鞄の中にあった物です」
「もう一つの魔石は、森林の奥深くで遭遇してしまったクラッグ・エイプの物です。逃げられないと悟り、一か八かクラッグ・エイプの突進に合わせて攻撃した結果倒すことができました。重傷を負いましたが、これまたポーションのおかげで何とかなり……その経験を生かして同じ方法でミケル達を襲っていたクラッグ・エイプに特攻しました」
――――――――
――我ながら嘘みたいな話だな。
ジステインの異能がなければ到底信じて貰えるような内容ではない。森林の中で正気を失った脱走兵の世迷い事と言われても仕方がない。
記憶を探りながら話していたので無意識に視線が足元に落ちていた。顔を上げると、ジステインは両手で顔を覆いながら固まってしまっていた。
「あまりにも荒唐無稽な話で、信じてもらえないかもしれませんが――」
「いや、信じる」
正気を取り戻したジステインが、片手でこちらを制止する。
「家名を……貴族籍であるのを隠したのは?」
「亡命を求めて単身ストラーク大森林を横断する仮想敵国の人間、というだけで門前払いを食らってもおかしくないと思っていました。それに加えて、国境警備でヴィーダ王国が最も警戒しているであろうグラードフ辺境伯家の人間であることを開示しても損しかないと思い……」
「なるほどな……」
「元より名を捨てるつもりだったのと、確認のしようもないと思い秘匿してしまいました。今まで隠していて、申し訳ありません……」