「デミトリ、ごめんね……」
「エリック殿下が謝る必要はない、悪いのは……申し訳ないが、模擬戦中シエルの面倒を見てやってくれないか?」
「それ位お安い御用だよ」
「殿下と一緒に待っていてくれ」
「……ピー」
シエルをエリック殿下に託して、生徒達の視線を感じながら修練場の中心へと移動した。しばらくするとクリスチャンの側近達の集まりから、一目見て生徒ではないと分かる冒険者用の装備を身に着けた男がこちらに向かって来た。
魔法科の授業なので模擬戦と言えど魔法を中心とした戦闘になるのかと思っていたが、こちらに歩み寄る男は腰に剣を下げ革製の軽鎧を装備している。
見た目で判断するべきではないのかもしれないが、魔法使いではなく剣士に見えるが……魔剣士なのか?
「お前が幽氷の悪鬼か……大した事無さそうだな」
目に掛かる長さの緑髪の髪をかき上げながら、値踏みするようにこちらを伺った男が鼻で笑う。こちらの返答も待たずに腰に掛けた剣を引き抜いたが明らかに真剣だ。
「模擬戦に真剣を使うつもりか?」
「びびってんのか? 命を奪わない程度にやりあうなら真剣でも問題ないだろ」
そういう問題じゃないだろう……
グラードフ家に居る時は前世の記憶が無かったから気にしていなかったが、記憶を取り戻した今となっては真剣を使って模擬戦をする意味が全く理解できない。
前世の創作物では、都合よく互いに大きな怪我をせずに済む事が常だったが……模擬戦とはいえ本気でやりあえばそんな事あり得ないはずだ。
「はぁ……」
収納鞄からヴィセンテの剣を取り出し、鞘から刃を開放する。
「模擬戦とは言え魔法科の授業だろう? 魔法を中心に戦うつもりは無いのか?」
「俺が依頼されたのはお前を再起不能にする事だ。手段は問われてない」
馬鹿正直なのは助かるが、依頼をした馬鹿もこの馬鹿も救いようが無いな……。
「……デジレ教諭、模擬戦の勝利条件と終了条件、その他の決まり事を教えてくれ」
「今回の模擬戦は――」
「武器と魔法の使用は無制限、どちらかが戦闘不能になるか降参するまで続行だ!」
クリスチャン殿下に遮られ、怒り心頭のデジレ教諭の額に血管が浮き上がっているのが見える。抗議しても無駄なのは目に見えているので、視線を対峙している冒険者の方に戻し剣を構える。
「……両者準備はよろしいですか?」
「いつでもいいぞ」
「ああ……」
「それでは……はじめ!」
デジレ教諭の開始宣言と共に突進してきた冒険者が、俺に到達するまで後三メートルの所で盛大に足を滑らせて顔から地面に転倒した。
デジレ教諭が修練場の雪を溶かしたのを見ていたから油断していたのか知らないが、冒険者は俺が地面に薄い氷の膜を張っていた事に一切気づいていなかった。金級の割にいとも簡単に罠に嵌ってくれたが……彼は本当に実力者なのだろうか?
素早く駆け寄り、転倒の衝撃で冒険者が手放した剣を蹴り飛ばす。何が起こったのか理解できていない冒険者が立ち上がれないよう首の根に膝を落とし、左腕を捻り上げながら地面に組み伏せる。
「うぐっ!?」
対戦相手を拘束出来たのでデジレ教諭の方を見たが、まだ試合終了の合図を出すつもりは無いようだ。彼の裏でクリスチャンを含む観戦中の生徒達が唖然としているのが見える。
戦闘不能にするか、降参させる必要があるなら……。
「その状態だと呼吸は疎か話すことなど満足にできないだろう? 降参する意思があるなら抵抗せずにゆっくりと右手を上げろ」
俺の忠告を無視して冒険者は右手を地面に突き出し体を押し上げようとして来たので、左腕を思いっきり引っ張りあらぬ方向へと折り曲げる。
「んー!!!?!?」
「「「「ひっ!?」」」」
冒険者のくぐもった叫びに混じって観戦している生徒達が反応したのが聞こえて来たが……理解に苦しむ。模擬戦とは言え真剣勝負だ、怪我位するに決まっているのに一体何を期待していたんだ?
「もう一度だけ言う、三度目はない、降参する意思があるなら右手をゆっくりとあげろ」
「んー! んー!!!?!?」
くぐもった叫び声を上げるだけでこちらの話を聞かず、必死に右手で手放してしまった剣を探す冒険者の行動に呆れてしまう。ヴィセンテの剣を収納鞄に仕舞い、空いた右手で冒険者の右腕を掴み左腕と同様に折り曲げた。
「んぁーーーー!?!? ああああああああ!!!?」
最早戦闘を続行できる状態ではないので冒険者の首に掛けていた体重を減らすと、先程までの余裕からは考えられない程情けない喚き声が校庭に広がる。
「うるさいな……両腕が使い物にならないなら、戦闘不能扱いでいいだろう?」
もう一度デジレ教諭の方を見てそう言うと、絶句している生徒達が目に映る。
「そ、そうですね。勝者、デ――」
「なんだその体たらくは!! 俺は認めないぞ!!」
怒号を上げたのはクリスチャンだった。無理もない、わざわざ用意した金級冒険者がこうも容易く倒されるとは思わなかったのだろう。
「そもそも魔法科の模擬戦なのに魔法を使ってない!! こんな試合は無効だ!!」
「武器と魔法の使用は無制限と言ったのはお前だ」
「減らず口を……!!」
「大体、魔法は使っている」
蹴り飛ばした冒険者の剣を回収し、凍らせた地面の位置まで戻り剣を突き立てると音を立てながら地面を覆っていた氷の膜が割れた。
「金級冒険者が意味も無く転倒する訳ない。魔法で無力化したのが分からなかったのは……相当目が節穴か、想像力の足りない人間ぐらいじゃないか?」
「貴様……!! おい、ベルナルド!! 負けたら報酬の件はなしだぞ!!」
「くそがっ……!!」
……ベルナルド?
聞き覚えのある名前に気が取られている内に、ベルナルドと呼ばれた冒険者が立ち上がってしまった。折れてしまった両腕をだらりと垂れ下げながら、血走った目で粗い呼吸を繰り返しこちらを睨んでいる。
「お、俺は……! まだ、降参してねぇ……!!」
「……そうか、ハルピュイアが言っていた名か」