「エリック殿下にデミトリさん? もう授業が始まりますよ?」
「デジレ先生、授業は欠席させて頂きます」
「……! 理由は……すみません、理由を教えてください」
一度言い淀み、一呼吸置いてからデジレ教諭がそう質問したのはあんな事があった後だからだろう。
聞かずとも、先日エリック殿下が提出した抗議文書に関わる問題が発生したと察しているようだが……立場上理由も聞かずに生徒をそのまま帰す訳にもいかないのだろう。
「今まで他の生徒達の目に余る行動を黙認していましたが……僕ではなく、僕の周りの人にまで迷惑が掛かるのであればもう見過ごすことはできません。先日の決闘騒ぎで傷を負ったデミトリに飛び掛かろうとした生徒が居たので、安全の為しばらく休学する予定です」
「問題を起こした生徒の名前を聞かせてもらえますか?」
「クレア・コルドニエ嬢です」
「……分かりました。上にはしっかりと報告させて頂きます」
「お願いします。それでは失礼します」
申し訳なさそうに頭を下げたデジレ教諭を見て、微妙な表情をしているエリック殿下が何を思っているのかは推し量れないが……空気がとにかく重々しい。デジレ教諭と別れ再び無人の廊下を二人で歩き、校舎の出口に目指す。
外に出れば少しはこの陰鬱とした気持ちも晴れると期待していたが、その期待は見事に裏切られる事になった。校舎を出ると雪は降っていなかったが、暗い雲に覆われた灰色の空が余計に気持ちを沈ませる。
無言のまま留学生寮への道を進んでいると、館の方からイバイが駆け寄って来た。
「出迎えありがとう、イバイ」
「エリック殿下、どうなされました? 何かまた、問題が……?」
「自室に戻ってから説明しても良いかな?」
エリック殿下越しにイバイと目が合ったので、何となく伝わるだろうと思い頷いてみる
「勿論です! 学園から留学生寮までそう距離はないとはいえお二人共体が冷えたでしょう。デミトリ殿、私は先に戻って暖かい飲み物を準備させるので殿下の事を任せてもいいだろうか?」
「ああ、任せてくれ」
来た時と同様の俊足で館に走るイバイを眺めながら再び歩き出し、程なくして留学生寮に到着した。普段はエリック殿下の計らいで大袈裟な出迎えをしていないが、今日は玄関前に従者団がほとんど全員集まっている。
「みんな、仕事の邪魔になるから出迎えなんてしなくても良いんだよ?」
放った言葉とは裏腹に、見知った従者団の面々を見て先程までと比べて明らかにエリック殿下の声色が和らいでいるのが分かる。
「我々の仕事は殿下の心の安寧を守る事です。ささ、こちらへ」
「ここから先は任せてもいいだろうか?」
「……!」
「デミトリ?」
俺の名を呼び振り返った殿下のうしろで一瞬驚いた表情をしたイバイが、今度は俺に向けて力強く頷いた。
いい加減ヴィーダで頷く事が何を意味するのか聞かなければいけないなと思いつつ、問題なさそうなのでイバイを含む従者たちがエリック殿下を寮の奥へと迎え入れる様子を見届ける。
出会ってからまだ日が浅い俺が居るよりも、今はずっと共に過ごして来た従者団の面々と過ごす方が殿下の精神衛生上いいだろう。殿下に直接そんな事を言ったら否定されてしまいそうだったから、イバイが上手く引き剥がしてくれて助かった。
「これからどうするかだな……」
「ピ?」
内ポケットからシエルを出して肩に乗せ、雪一面の周囲を無意識に眺める。
「……セレーナとの練習試合の約束があるから、夕方まで暇を持て余す事になるな」
「ピー」
ヴァネッサは今日もトワイライトダスクのジェニファーとイラティと過ごしている。俺とシエルだけで部屋に戻っても、昨日と同じくあてもなく時間を潰すことになるだろう。かと言って城下町に出向く用事も無いが……。
「そうだ、薬屋を探しに行くか」
「ピー?」
「中級ポーションは冒険者ギルドで買えるが、高級ポーションも何本か補充したいからな。何かと生傷が絶えない生活を送っている以上、備えないと――」
「ピ!!!!」
急に大きな声で鳴き翼を広げたシエルに驚き体がびくつく。シエルの方を見ると、不機嫌そうに翼をばたつかせている。
「……もしかして、そもそも怪我をしないようにするべきだと思うのか?」
「ピッ!!」
翼を畳み、熱心にこちらを見つめるシエルの頭を撫でる。
「……そうだな。本当はそれが一番なのは俺も分かってはいるんだが、残念ながらそう簡単には行かない運命らしい」
「ピー……」
仕方が無いとでも言いたげな雰囲気で先程まで体を大きく見せるために吸い込んでいた息を吐き出し、シエルは俺の肩の上で座り込んでしまった。