時系列的には第305話の直前のお話です。
「どうかなされましたか、エリック殿下?」
「な、なんでもないよ! 心配しないで」
作業の手を止めて執務室の窓から裏庭で素振りをするセレーナを眺めていたら、イバイに声を掛けられてしまった。
慌てて窓から離れて椅子に腰を掛けようとした時、デミトリに言われた言葉が頭の中で木霊する。
『せっかく話す機会があるのに避けていたら勿体なくないか?』
――そんな事を言われても、なんて話しかけたら……。
悶々と悩みながら席の前で硬直していると、僕を見つめながら困惑しているイバイと目が合った。
「ちょ、ちょっとだけ外の空気を吸って来るね?」
「……承知致しました。進められるところは私達で進めておきますので、どうぞごゆるりとお過ごしください」
訳知り顔で微笑みながらそう言ったイバイに心を見透かされている様で顔が熱くなったけど、構わず執務室をでて裏庭に向かう。裏庭へと繋がる扉が妙に重く感じながら気合を入れて開いて、一直線にデミトリとセレーナが練習試合で使ってる一画を目指す。
「や、やぁ!」
「エリック殿下……?」
声が上ずってしまったけどもう後戻りはできない。素振りをしていたセレーナが僕に気付いて手を止めてしまった。
あれだけ激しく剣を振っていたのが不思議な位涼しい顔をした彼女に見つめられて鼓動がどんどん早くなっていく。
「ま、まだデミトリは来てないみたいだね?」
「……はい」
会話が全く続かず、微妙な沈黙が訪れる。外はかなり寒いはずなのに、じんわりと体中から汗が滲み出す。
――な、何か話さないと……!
「えっと、この前観戦した時思ったんだけど……すごい剣の腕前だね!」
「……ありがとうございます」
「デミトリも話には聞いてたけど、強くてびっくりしちゃったよ」
「デミトリさんは私より強いですよ?」
「え……?」
確か、練習試合が終わった後ボロボロになってたデミトリが『勝てる気がしない』って言ってたはずだけど……。
「謙虚なんだね? デミトリはセレーナから一本取るのは大変そうって言ってたけど」
「剣術だけに限れば今の所私の方が上回ってますけど、身体強化も無意識に私を傷つけないために制限してるみたいですし、手加減せず殺すつもりで魔法も使われたら私じゃ手も足も出ませんよ?」
「そ、そんなに強いの?」
「今は手加減をしないように矯正中ですけど、全力を出せれば武闘技大会も余裕で優勝できます」
去年優勝したセレーナにここまで言わせられるなら、本当にそうに違いない。
兄さんからの手紙でヴィーダでの活躍と、幽氷の悪鬼って二つ名を得た事は知っていたけど文字で読むのと実際に戦っているのを見るのとでは訳が違う。セレーナと戦ってる所を見て、相当な実力者だとは思ってたけど……。
「デミトリさんの事、あまり詳しくないんですね?」
「うっ……彼は元々兄さんの元で働いてて、事情があってアムールに来てるけど知り合ったばかりなんだ」
「事情、ですか。じゃあデミトリさんはヴィーダに帰っちゃうんですね」
視線を右手に握った木剣に落とし、寂しそうにしているセレーナを見ているとなぜだか心が締め付けられるように苦しい。
「年明け頃には僕と一緒に帰国する予定だけど、セレーナがヴィーダに来たくなったらいつでも歓迎するよ?」
「……どうしてエリック殿下は私の事を気に掛けてくれるんですか?」
どうしてと言われても、君が気になるからなんて素直に言える訳がない。
「……デミトリの友人と仲良くなりたいと思うのは、そんなにおかしなことかな?」
「友人……私と友好関係を築けてもヴィーダ王家にとって何の得にもなりませんよ?」
「あの……得か得じゃないかは別として、好意的な受け止め方をして欲しいんだけど……人間的に面白くて興味を引かれるって言ったら怒るかな?」
冷めた微笑を浮かべたセレーナに見つめられ、焦ってつい本音を溢してしまった。
僕の発言を聞いてきょとんとした後、見る見るうちにセレーナの冷めた瞳に怒りが満ちて行くのが分かる。
「は?? 面白い?」
「えっと、だって凄く強いのに成績も良くて、一年生の時なんてクリスチャン殿下に言い寄られてその場で振ってたし? 凄く面白い子だなって――」
話していて気づいたけど、今思えば色々なしがらみに縛られてクリスチャン殿下と行動を共にするのに辟易としていた時、セレーナがきっぱりと拒否したのを見た時から彼女が気になっていたのかもしれない。
「面白がられても嬉しくありません……!!」
「ごめん、その、言葉選びが悪かったね……! 自分が持ってないものをいっぱい持ってるから惹かれるって言った方が正しいのかな!?」
「惹かれる……?」
自分が何を口走ってしまったのかセレーナがこれ以上深く考える隙を与えないために、捲し立てるように話を続ける。
「僕は兄さんみたいに文武両道になりたかったけど、剣の腕前はどれだけ努力を積んでも伸びなかったんだ。その分、学業にはかなり力を入れたんだけど……セレーナみたいに両立できる人は凄いと思うし尊敬するってこと!」
「……王族は別に剣の腕なんて無くても困らないんじゃないですか」
慌てる僕を見て呆れたのか、ため息を吐きながらセレーナが困った人を見るような顔で僕を見つめる。
「僕の父上の言葉なんだけど、『人間最後に頼れるのは身分でも権力でもない。自分と信頼できる仲間だ』って言われて育ってきたんだ」
「自分と信頼できる仲間……」
「王族である事なんて関係ないんだ。セレーナの剣の腕は、自己研鑽で培ったセレーナ自身の力だから……ないものねだりかもしれないけど凄いと思うし羨ましいよ。僕は戦う才がなかったから、学業に専念してるけどそれもセレーナには敵わない」
「……煩わしいとは思わないんですか?」
「煩わしい? なんで?」
時が止まったかのように、息を呑んだセレーナが硬直する。
「こんな娘が王族を差し置いて、分不相応な成績を取ってるんですよ?」
「分不相応……? 剣の腕と同じで、成績もセレーナの研鑽の証だからなにも不相応な事はないと思うけど……?」
「私の事を気に掛けてる時点で気づくべきでした……変わってるんですね」
吐いた台詞とは対照的に、初めて自分に向けられたセレーナの笑顔を見て心臓が止まりそうになる。
「デミトリさん、いつまでそこで見てるの?」
「……会話が終わるのを待ってただけだぞ?」
振り返ると、いつの間にかデミトリが僕の後ろに立っていた。先程までの会話の内容を思い出して、顔が徐々に熱くなっていく。
「ぼ、僕はそろそろ執務室に戻るよ! 二人共怪我をしないように気を付けてね!!」
「ああ、分かった」
「……気を付けるよ。じゃあね、エリック殿下」
二人の返事を聞くのもそこそこに、イバイに見られたら怒られそうな速足で留学生寮に向かう。かなり勇気を出して行動してみたけど、既にいっぱいいっぱいだ。
留学生寮に入り、扉越しに聞こえてくる木剣がぶつかり合う音を聞きながらふと先程言われた事を思い出して足が止まる。
――あれ? 最後、敬語じゃなかった……?