「レイナ嬢の件は何とかなりそうで良かった!」
「質問をしても良いか?」
「もちろん!」
「すまない、俺の理解が及んでいないだけかもしれないが先程のやり取りを見ていて何とかなりそうには見えなかったんだが……」
ルーシェ公爵令嬢を帰した後、伸びをしながら満足げに笑みを浮かべたエリック殿下の様子に混乱する。
「アムール王国からルーシェ公爵家が離反する事を、レイナ嬢は『勝ち馬に乗る』って表現してたでしょ?」
「それは、まぁ、そうだったな」
あの時は気に留めていなかったが、奇妙な言い回しだったと今更ながら気づく。
「それにアムール王家がルーシェ公爵家に対して不義理を働いてるって言ったのに訂正も反論もしてなかったよね?」
「……していなかったな」
「そう言う事!」
どういうことだ……?
「エリック殿下、感を取り戻し始めたのは大変喜ばしい事ですが相手を置いてきぼりにする説明は説明にあらず、ですよ?」
「イバイ、ご、ごめん」
見かねたイバイがエリック殿下を諫めたが、それはレイナ嬢の件についてイバイも殿下と同じ認識だという事を意味する。どうやら俺は完全に話に付いて行けてないらしい。
「あまりデミトリは腑に落ちてないんだね?」
「ああ。申し訳ないが嚙み砕いて教えてもらえると助かる」
「全然気にしなくても良いよ。貴族同士の会話の面倒な所なんだけど、発言した内容よりも黙した内容の方が相手の考えを雄弁に語る事が多いんだ」
黙した内容……。
「さっきの話し合いに当てはめると、形だけでも良いのにレイナ嬢は一度も『王家がルーシェ公爵家に対して不義理を働いている』ことを否定しなかったよね? 言外にルーシェ公爵家、少なくともレイナ嬢は王家の行いに対して不満を抱いている事を表明したのと同義と考えてまず間違いないよ」
言った事だけでなく、言わなかった事一つでここまで断言されてしまうとは……貴族とは本当に面倒なんだな。
別にそう思っていなかったとしても、ルーシェ公爵令嬢は今後アムール王家に不満を抱いていないと主張しようにも、エリック殿下にあの話し合いの場で否定しなかった事を引き合いに出されて返答に相当困るだろう。
「加えて、アムール王国から離反するのを『勝ち馬に乗る』ってレイナ嬢が表現したのも重要なんだ」
「……ルーシェ公爵家、少なくともルーシェ公爵令嬢はアムール王国からの離反について前向きであると?」
「その通り! 問題は、立場上ルーシェ公爵家主導で離反を決定してしまったらレイナ嬢の言ってたみたいに色々と問題がある事だね」
ルーシェ公爵令嬢は公爵家が国を裏切った形になるのであれば離反に同意できないと頑なに主張していた。領民の今後を第一に考えての事のようだったが、彼女の懸念している通りルーシェ公爵家が迂闊に動けば領民への影響は甚大なものになるだろう。
政をあまり理解していない俺から見ても、ルーシェ公爵家は体のいい生贄として使われ八方塞がりな状態に見える。ヴィーダ王国につけば裏切者扱いされ、アムール王国に忠義を尽くせばヴィーダの怒りの矛先が向きかねない。
本当に損な役回りだな……何もしないままでいても、命を預かっている領民が不利益を被る可能性が高い。
「でも逆に言ってしまえば問題さえ取り除いてあげれば味方になってくれるって事だから。要は王家の代表として任命されたレイナ嬢が決定する形でルーシェ公爵家が離反するんじゃなくて、アムール王家に離反を認めてもらえれば良いだけの話だよ」
「謝罪にまだ王家に迎え入れていない第一王子の婚約者を向かわせて生贄扱いする輩だろう? あの様子だと謝罪を受け入れた所で碌に賠償するつもりもなく、ルーシェ公爵令嬢に賠償内容を決める裁量すらも与えていなかった可能性が高い。説得するのは一筋縄ではいかなそうだが……」
「こちらが更に有利に交渉できる立場になっただけだから問題ないよ。丁度父上とも今朝手紙でやり取りがひと段落して、僕も本腰を入れて動けるから心配しないで!」
エリック殿下の成長が嬉しいのか、視界の端で殿下の目付け役でもあるイバイが話を聞きながら満足げに頷いているのが見える。二人がここまで自信に満ちているのであれば俺に出来る事は信じることだけだ。
唯一怖いのは、エリック殿下とイバイの読みが外れていてルーシェ公爵令嬢が本当に諦めてしまっている場合だが……。
「……よくよく考えてみると、賠償内容を決められないと話始めてからルーシェ公爵令嬢は一度も俯いていなかった。受けごたえもしっかりとしていたな」
「相手がクリスチャン殿下なのが不憫だけど、第一王子の婚約者で公爵家の令嬢だ。多分、デミトリが思ってる以上にレイナ嬢は強かな女性だよ? 僕がここまで自信を持って言い切れるのも、彼女が会話を円滑に進める為に僕が提供した話題に的確に答えたり黙してくれたのも大きいから」
俺は全く気づけなかったが、上位貴族流の話術で二人は理解し合えていたのか。
「……改めて自覚したが、貴族同士の会話に付いて行くのは俺には無理そうだな」
「そうかな? 慣れたらデミトリなら問題なさそうだから今回の件で慣れちゃおう!」
「いや――」
そんな期待に満ち溢れた表情で見られても、俺が貴族と直接やり取りする事は……。
――実際のところどうなんだろうな……。
「――そうだな、どこまで身に着けられるかは分からないがせっかくの機会だ。挑戦してみる」
「うん!」
ヴィーダに帰国した後、ガナディアの使節団が帰っていたとしても今後ヴィーダ王国とガナディア王国間の交流が増えたら……俺も貴族界の出来事とは完全に無縁ではいられなくなるかもしれない。学んでおいて損は無いだろう。
「……ちなみになんだが、あそこまでルーシェ公爵令嬢を追い詰める必要はあったのか? 親しい間柄ではないにせよ、エリック殿下が婚約破棄の件で力になりたいと言った位だ。元々信用に値すると人間だと思っていたんだろう?」
「僕はレイナ嬢の事を知ってるけどデミトリは初対面だったでしょ? こちらの陣営に引き込むのに、僕以外の人間がレイナ嬢を信用できないと破綻するから。それにもしもレイナ嬢が保身に走って行動したり、実現できない様な口約束をしてきたら僕も考え直すつもりだったし」
あれは俺のせいだったのか……。