ミケルが去り、一人きりになった部屋の中で気になっていた本を手に取った。
――蜘蛛男の冒険……かなり奇抜な題名だが、一体どんな話なんだ?
――――――――
閑散とした田舎の村で、少年は叔父と叔母と仲睦まじく暮らしていた。
気弱な少年は村の若者達と折り合いが悪く、酷い虐めを受けていた。
「親無しのお前なんか魔物に喰われちまえばいいんだ!」
「どうしてこんなことをするの!?」
いじめっ子達の悪戯で、村の近くの森に一人置き去りにされてしまった少年。
「みんなと仲良くしたいだけなのに、どうして……」
悲観に暮れながら、とぼとぼと森の中を歩いていた少年の右手に激痛が走った。
「痛っ!!」
少年が腕を激しく振ると、近くの木に何かがぶつかる音がする。木の根本には、見たことも無い毒々しい色合いの蜘蛛が横たわっていた。
「なんなんだよ、もう!」
怒りを胸に足早と村へと向かった少年の人生は、その日から変わった。
感じたことのないような力が全身に漲り、今まで足手まといになりがちだった狩りで大活躍した。これまで野兎を仕留めるのにすら苦戦していたのに、猪を片腕で締め落とせるほどの腕力をいつの間にか手に入れていたのだ。
急に力を手に入れた少年は戸惑ったが、徐々に困惑は自信へと変わっていった。
「今の僕なら、なんだってできそう」
自信は行動へと繋がり、少年は気弱さを失っていった。今まで嫌々参加していた狩りに積極的に参加するようになり、あまつさえ村の大人達の制止を聞かずに一人で森に繰り出す始末。
そんな少年の変化を、彼を虐めていた者たちは面白く思わなかった。
「お前、最近調子に乗ってるだろ! 弱虫は弱虫らしくしてろよ!」
罵詈雑言を投げかけながら殴りかかってきた村の若者達を少年は返り討ちにして、主犯の青年に大怪我を負わせてしまった。騒ぎに気付いた大人達に叱られ自宅へと連れて帰られ、しばらくすると難しい表情をした叔父が帰ってきた。
「ピーター、話をしよう」
「別に話すことなんてないよ、ベンおじさん」
「頼むよピーター。最近はほとんど家にも帰らないし、一人で森に狩りに出てる話も聞く。心配なんだ」
「別に心配する事なんてないよ。なにも問題ないから……」
少年の異変に気付いた彼の育ての親である叔父の声は、最早少年の耳には届かなくなってしまっていた。
「ユージーン達について聞いたよ……なんで喧嘩なんかしたんだ?」
「あれは! 僕は売られた喧嘩を買っただけだ!」
「ピーター……お前が悪くないのは私も分かっている。でもあそこまでする必要は無かったんじゃないのか?」
「それじゃあ、黙って殴られろって言うの!?」
少年は叔父の言っていることが信じられなかった。
「違う。ユージーン達の自業自得だったのは分かってる。逃げ出さずに立ち向かったピーターを責めるつもりもない。それでも、力がある者はその力の振るい方に気を付けなければいけない」
「どうして……ベンおじさんもあいつらが、今まで僕に何をしてきたのか知ってるよね? なんでそんなことを言うの!?」
やっと誰にも馬鹿にされない力を手に入れたのに、叔父に諭される理由が少年には理解できなかった。
「ピーター……大いなる力には、大いなる責任が伴う。俺は、お前が自分を誇れるような人間になれるように選択を間違ってほしくないんだ。口うるさい親父みたいになってしまって申し訳ないが――」
「じゃあ放っておいてよ!! 本当の父親でもないくせに!」
「……分かった……」
深い悲しみをその目に宿した叔父から目を背けて、少年はそのまま森へと駆け出した。
森の中を彷徨っていると、少年は村の狩猟長が魔物に襲われている場面に出くわした。
少年と狩猟長の関係は良くなかった。狩猟長は気に入っていたいじめっ子達を贔屓しながら、気弱だった少年に辛く当たっていた。
『てめえがへましても俺はお前を見捨てるからな』
「……いい気味だ」
少年は見て見ぬふりをして、その場を去った。助けようと思えば助けられたが、自分を見捨てると言った狩猟長のために戦う気にはなれなかった。
自分が手伝わなくても、狩猟長の実力なら少し苦戦しているようにも見えたが一人でも倒せると思ってしまった。
叔父との会話で高ぶった気持ちが、ようやく落ち着いた所で少年は村に戻ることにした。
村へ到着した少年は、すぐに異変に気付いた。
「ベンおじさん!!」
「ピーター……」
血だらけで地面に横たわる叔父に、少年が駆け寄る。周囲では、村人達が落ち着きなく会話している。
「なんでこんなことに!?」
「怪我をした狩猟長を追って、魔物が村まで来ちまったらしい!」
「クソ、これ以上被害が広がる前に倒すぞ!」
――あの時、見捨てなければ……!
少年の胸の内で後悔の念が渦巻く。
――僕のせいでベンおじさんが……
少年が握りしめる叔父の手が、徐々に冷たくなっていく。
『ピーター……大いなる力には、大いなる責任が伴う』
叔父の言葉を思い出し、少年は――
――――――――
導入部分の途中まで読み終えた小説を閉じ、表紙に載っている著者を確認する。
「S・リー……」
著者名を確認すると理由は分からないが軽く眩暈がする。両目を指で揉みながらミケルが言っていたことを思い出す。
『新進気鋭の作家が最近公開した作品で、定期的に続刊が発売されているみたいだから次刊が発表されるのが今から待ち遠しいよ』
――最近公開されたばかりで執筆を続けているなら、十中八九著者は生きているな……
詳しくは思い出せないが、前世に似たような話があったはずだ。展開と叔父の台詞を、魂が知っている。
――やっぱり居るんだな……出会わなければいいが……
思わぬ所で自分以外の異世界からの訪問者が居る確証を得てしまい、大きなため息を吐いた。