「王妃と第二王子……」
やはりアムール国王は交渉相手ではなかったようだ。一目見ただけだが……あの様子からは為政者の威厳を欠片も感じられなかったので驚きはしない。
「当初アムール王国に対して抗議してた件とは別件で起こったゴドフリーの殺害とデミトリの剣の盗難、今回の武闘技大会にデミトリを巻き込むためにクリスチャンが働いた不正……ニル達に調べて貰った内容も含めて話しておいたから二人共頭を抱えてたよ」
「そうか……とにかく、ちゃんと奴が裁かれる様で安心した。王妃と第二王子はとばっちりだと思うが」
「王侯貴族は大体とばっちりの処理をするはめになるから気にしなくても良いよ」
珍しく投げやりにそう言い放ったエリック殿下の横に座っているイバイに視線を移すと、曖昧な表情でこちらを見ながら微笑んだ。
「問題が起こった時、権力と決裁権のある人間に指示を仰ぐのが世の常です」
「……そうか」
クリスチャンを見ていると忘れてしまいそうになってしまうが、権力には相応の責任と義務が伴うと言う事か……。
「諸々の決着が着くのは冬の舞踏会になる予定だよ」
「……理由があるとは思うが、なぜ舞踏会なんだ?」
「冬の舞踏会は優秀な王立学園の在学生と貴族家を繋ぐ目的もある集まりだから、主要な貴族家の当主が参加を予定してるんだ。クリスチャンの廃嫡とニコル第二王子を王太子に任命する場として相応しいって先方の要望もあったんだ……僕としてはちゃっちゃと済ませて欲しかったんだけど」
エリック殿下の言いたい事も分からなくはないが、アムール王国側にも色々と考慮しなければいけない事情があるのだろう。
まさかクリスチャンを廃嫡する事まで決定しているとは思ってもいなかったが……そこまでするのであれば、王妃と第二王子が機を伺う気持ちも分からなくはない。
「クリスチャンもそうですけど、クレアが舞踏会で何かしでかさないか心配です……」
それまでじっと会話を聞くことに徹していたヴァネッサが呟く。
観客席にも選手の声が届いていたのであれば、ヴァネッサはクレアが異世界人だと気付いた上で警戒しているに違いない。
ヴァネッサの一言にエリック殿下の表情も曇ってしまった。
「クレア嬢の出方は確かに心配だ……デミトリはなんとか勝ってたけど、あの異能は危険すぎる――」
「クレアについては心配する必要はないと思うぞ?」
俺の発言に、エリック殿下とヴァネッサだけでなくイバイも目が点になった。
「本当に?」
「デミトリが彼女の能力を看破して倒したのは見てたけど、形振り構わず襲われたら危なくないかな?」
「クリスチャンがセレーナの様な再生魔法使いの伝手でもない限り、クレアは再起不能なはずだ。そうでなくとも事前に準備さえできれば倒し方は幾つかある」
「「え?」」
そうか、恐らく二人は回復魔法やポーションについて詳しく知らないに違いない。
「勘違いをしているみたいだが回復魔法やポーションは万能ではないんだ。例えばこの傷跡を見てくれ」
上着をまくりながら、露になった前腕をヴァネッサとエリック殿下に見せる。
「……これは誰がやったの?」
「やったのはガナディアの人間かな? 難しいけど王家の影にお願いすれば拉致できるはず――」
「落ち着いてくれ! 注目して欲しいのは、俺が何度も高級ポーションを飲んでいるのにこの傷が治っていないことだ!」
説明しやすいと思いイゴールに焼かれた右腕を見せたが失敗したみたいだ。
「そういえば……」
「どういうこと?」
「回復魔法やポーション類は古傷……正確に言えば体が「治した」箇所には作用しない」
「「治した箇所?」」
城塞都市エスペランザで治癒術士のクリスチャンと回復魔法の検証をし始めて色々と聞くまで、俺自身もこの事には気づいていなかった。
「原理は俺も良く分っていないから説明し辛いんだが……仮に俺が腕の皮を剝いだ後ポーションを飲んだら傷跡も治るはずだ。だが、単純にポーションを飲んだだけでは傷跡は元の素肌には戻らない。傷跡は体が傷を「治した後」として扱われるかららしい」
クリスチャンから色々と教わった後に検証したから間違いないはずだ。曰く軍人や冒険者にはとってこの知識は一般常識らしいが、エリック殿下が知らないのは普段からポーションを飲んだり回復魔法を受ける習慣が無いからかもしれない。
反面、エリック殿下に万が一があれば治療するための知識を蓄えているであろうイバイは、俺が説明してるポーションや回復魔法の仕様について知っている様子だ。
「……それは分かったけど、クレア嬢との関連性が分からないよ?」
「俺との戦闘が終わった段階でクレアは息をしていなかった。そして医療班がクレアの元に到着するまでに一分以上経っていた。そこから搬送されて回復魔法を掛けられたのが早めに見積もっても二分以上経った時点なら……クレアは満足に回復できていない可能性が高い」
心肺停止後の無酸素状態で回復魔法を掛けられたとしても、傷跡と同じで死滅した脳細胞は元に戻らないはずだ。慌てて心肺蘇生を試みた所でポーションや回復魔法では不可逆な脳の傷跡が出来てしまっているだろう。
これを前世の知識に頼らずに説明する方法が思い浮かばないが……。
「あ」
俺の言いたい事が分かったのか、ヴァネッサが何かが頭の中で噛み合った様に呟く。
「ごめんね、僕だけ付いていけてないみたいだ」
「平たく言ってしまうと回復魔法やポーションは新鮮な怪我には作用するが、一度定着してしまった体の状態を元に戻す力はない」
「定着……?」
上手く伝えられないな……俺も良く理解できていないことを、これ以上エリック殿下に中途半端に説明しても酷だろう。
「要はクレアが生き延びたとしても重大な後遺症が残るか、意識不明の重体のままの可能性が高い。治っていたとしても対策は幾つか考えてあるからあまり心配する必要はない」
「なる、ほど……? あまり良く分からないけど、そこまで言うなら信じるよ!」
――――――――
「クレア、クレア!! よかった、起きたのか!!」
「うぅ……?? あー……」
「……クレア?」