「エリック殿下、少しいいか?」
「もちろん」
会議を終え、全員が各々のそりへと戻る途中エリック殿下を呼び止めた。
イバイに付き添われる殿下を連れて未だに半分氷結しており歩くたびに表面がひび割れる雪の上を進み、少しだけそりから離れた場所で立ち止まる。
「場をかき乱すだけだと思い会議では議題に挙げなかったが、その、幽氷の悪鬼の件は本当に大丈夫なのか? 対策があるとは聞いているが……」
「……アルセが心配なんだね?」
エリック殿下の問いに素直に頷く。
「ナタリア様も幽氷の悪鬼を目撃してからどこか危うさを感じるから心配だが、彼女は俺達と行動を共にするだろう? アルセ殿に関しては会議で実家に送り届けると良いように言ったが……散々アムール王国で力を貸してくれたのに、彼が困っている時に置き去りにする様で不義理を働いている気がしてならない。」
「なるほど……」
「本当は共に戦えればいいんだが……立場上それが許されないのは理解している。殿下の身を危険に晒す訳には行かない以上、ヴィラロボス辺境伯領に向かうのが最善策というのも重々承知している。それでも、何か力になれる事があるのであれば――」
「気にし過ぎだ」
「アルセ殿!?」
自分で思っていた以上に焦っていたらしく、背後から近づいて来たアルセに全く気付かなかった。
「デミトリ殿、こういう事は面と向かって言って欲しい。水臭いじゃないか」
「すまない……」
「その気持ちだけで私は十分だ。それでも力になりたいと思ってくれるなら……私の代わりにナタリア姉さんを守ってくれないだろうか?」
「ナタリア『嬢』『様』を??」
アルセの突然の願いにエリック殿下も驚きながら反応した。
「十一年前、ナタリア姉さんは幽氷の悪鬼に兄君を奪われた。私は姉さんが家族と領民を守るために、ニコラス兄さんと同じ道を歩んでしまうのを危惧している……」
慰霊碑でナタリアが祈りを捧げていた兄と同じ道……?
「デミトリ殿は幽氷の悪鬼の対策をまだ説明されていないと思います。私の方から共有してもよろしいでしょうか?」
「むしろ、アルセに説明して貰えると助かるよ」
エリック殿下の了承を得て、アルセがこちらに向き直る。
「幽氷の悪鬼の被害を抑える方法は酷く単純だ……何百年と言う歴史の中で、それしか対抗策が編み出せなかったと言った方が正しいかもしれない」
「ここ数百年は姿を確認する事も出来ていないとは聞いていたが、それほど状況が悪いのか……」
「ああ、唯一確立された方法は幽炎が人里に到達しない様に隔離する事だけだ」
幽炎を隔離する……?
「詳しい原理は解明できていないが、あの炎は氷や雪の上しか進むことが出来ない。風魔法で無理やり雪を掃い、土魔法で行き場を失った幽炎を囲う……原始的な手段だが、この方法で今まで被害を最小限に留めて来た」
風魔法と土魔法か。ナタリアが風魔法の使い手で、アルセが土魔法の使い手なのは偶然ではないだろう……幽氷の悪鬼対策に有効な属性魔法を受け継げるように、跡継ぎの婚姻相手には必ず特定の属性魔法の使い手を選んで来たのかもしれない。
「火魔法と水魔法は――」
「先人達の記録によると過去試してみたものの被害を拡大させるだけだったらしい。火魔法に溶かされた雪は周囲に流れ再び凍りついて幽炎の新たな通り道となり、水魔法も放たれた直後は雪を崩せても熱を奪われいずれ凍ってしまうため逆効果だ」
「……高火力の火魔法で雪を蒸発させるのも――」
「数十年前、風魔法の使い手が不足していた際苦肉の策で試した事があるらしいが……結果は悲惨だった。霧状の水蒸気に変化した雪が冷気に触れて一瞬にして氷の粒子に変わり、宙を舞う氷に燃え広がった幽炎に吞み込まれた火魔法の使い手達は全滅した」
幽氷の悪鬼を食い止められるかどうかで生きるか死ぬかの状況だ。俺が思い付きで考えられるような方法は、言うまでも無く既に試されているようだ。
「火魔法と比べて氷の総量が増える分、水魔法の方が特に対策には向いていないという見解で一致している……迫って来る幽炎を退けようと錯乱した魔術士が放った水魔法が凍り、燃え広がった幽炎に行く手を阻まれて被害者が逆に増えた記録が何件もある。今では緊急時を除いて火魔法と水魔法の使い手には出動させない決まりになっている」
幽炎とやらは俺とヴァネッサの魔法属性と絶望的に相性が悪そうだな……やり様は幾らでもありそうだが。