最低の誕生日から、三週間の時が経った。
ポーションのおかげで何とか傷が癒え、現在草木が生い茂るストラーク大森林の獣道を歩きながら領軍小隊を斥候として先導している。
普段はグラードフ家の屋敷の離れで軟禁生活を送っているが、辺境伯家の務めの一環として領軍が行っているストラーク大森林への遠征や訓練には強制的に参加させられている。
遠征の内容は主にヴィーダ王国の再侵攻を警戒した偵察と、グラードフ領近辺の魔物の間引きを目的とした討伐任務だ。
遠征と訓練の時だけ外出する許可が下り、それ以外の時間は離れで自主鍛錬。そして時折思い出したかのように父や兄に呼び出され何かしらかの理由を付けて暴力を振るわれる。そんな魔物が蔓延る森と、決して安全が保証されているわけではない屋敷の離れとの往復を繰り返す灰色の生活を十四歳から三年間続けてきた。
ガナディア王国では戦時中などの緊急時を除き、よほどの事がない限り十五歳よりも若く国軍や領軍に入隊することはない。色々な意味でおかしいグラードフ領でもそれは変わらない。
それにも関わらず、俺が異例の若さで領軍に入隊させられた原因はイゴールだ。
鑑定の儀を受けた十歳から軟禁生活を送っている俺には全く無縁の話だが、普通の貴族家の子供は十五歳から三年間貴族学園に入学する。俺より一年早く生まれたイゴールは、俺が十四歳になった年に貴族学園に入学した。
学園在学中は領地を離れ、王都の学園で過ごす。夏季と冬季の休暇に帰省しない限り貴族学園の生徒は一年の大半は王都に居ることになる。
元々イゴールとの兄弟仲は悪く、幼少期から虐められていた。俺が鑑定の儀を受けてからはいじめに暴力が加わり始め関係が更に悪化した。そんな大嫌いな兄が学園に入学する。卒業までの三年間、顔を合わせる機会が減ることに歓喜したのも束の間。
離れに軟禁され始めてから早四年。普段の扱いから学園に出立するイゴールの見送りに呼ばれるはずないと思っていた自分が、見送りに参加させられていた時点で嫌な予感はしていた。
そしてその嫌な予感は的中した。学園へと向かう馬車に乗る直前、イゴールは特大の爆弾を落としていったのだ。
「学園在学中、可愛い弟の面倒を見てあげられない事が心配です。父上、デミトリがグラードフ家の名に恥じない戦士に育つため……私が学園を卒業しグラードフ領に舞い戻るまで、領軍に従軍し成長する機会を与えてあげてください。」
「イゴール……! 良いだろう。聞こえていたなデミトリ! 覚悟しておけ!」
イゴールのお願いに二つ返事で了承した父が俺に怒鳴っていた時、その背の先で邪悪な笑みを浮かべたイゴールの顔は今でも忘れていない。
――今回の遠征は兄上が指揮している、気を引き締めなければいけないな。
先日父に半殺しにされることになった元凶の兄は、先日三年間の学園生活を終えてグラードフ領に帰ってきていた。
貴族学園を卒業した者は、嫡子であれば領主代行として様々な経験を積み当主たる者に相応しい実績をあげる事が求められる。イゴールもその例に漏れず、今回のストラーク大森林への遠征も領主代行としての実績を積む一環だ。
今回の遠征の目的は、事前に別働の調査隊が発見した魔物の巣の殲滅。
調査隊が確認した段階ではまだ少数のゴブリンが巣作りを開始した直後で、領地に対する脅威はほぼ無いに等しい。
ただ魔物の巣は魔物の巣。
今回の遠征が「次期当主が領民のために魔物の巣を駆逐した」という実績作りのために御膳立てされたものだったとしても、討伐遠征自体はグラードフ家の重要な責務の一つだ。
――目的は完成すらしていないゴブリンの巣の破壊とゴブリンの駆除。事前調査もされていて行軍予定経路の安全は確保済み。一個小隊は完全に過剰戦力だな……必要がないのに斥候に任命したのは嫌がらせのためか。
自分はそもそも領軍に入隊したものの、正規兵のような扱いを受けていない。固定された部隊に所属しておらず「戦闘を任せられない無能だけ集めた」と父から聞かされた、遊撃班に所属している。
遊撃班とは名ばかりで、任されるのは主に斥候。無茶な単独偵察や野営地の設営、荷物運びなどの雑用全般だ。一兵卒にすらなれないと評価された力量の者がかき集められて、都合よく各部隊に使い潰されている。
今回の遠征ではイゴール直々に斥候役を任命されてしまったため一時的にイゴールが指揮する小隊に同行している。次期当主になるための点数稼ぎをしつつ、不出来な弟を虐めることができる今回の遠征は兄にとって一石二鳥なのだろう。
――万が一魔物の発見が遅れたり、報告する前に小隊の方に流れたら懲罰される。集中しよう。
ストラーク大森林の奥地ならいざ知れず、数日の行軍で容易に到達できる範囲に大した魔物も魔獣もいない。加えて現在のように小隊規模の人数で森の浅地を踏み荒らす集団は魔物からしても異質なようで、警戒されているのか周辺に気配が一切しない。
時折今回の討伐対象であるゴブリンよりもはるかに弱いティンバー・ラットや、ウェルド・ラビットのような小型の魔獣が遠目に見えるが、こちらに気づくと一目散に逃げていく。
危険性は皆無だったが些細な失敗も許されないという重圧のせいで必要以上に神経をすり減らしながら斥候を続け、数刻後小川の流れる開けた野営予定地に到着した。
――周囲に魔物の気配もしないし報告に戻るか……。
夕刻に差し掛かり、野営地を囲む木々に日差しが遮られ周囲はすでに仄暗い。
小隊に合流するのは気が進まないが仕方がない。魔物や魔獣を警戒して森の中を進んでいた時よりも幾分か重い気分になりながら来た道を引き返した。
――――――――
「――報告は以上です。」
小隊と合流し野営地の安全が確認できた事と、事前調査を行っていた別働隊からの報告と照らし合わせて野営地までの道程に異変がなかった事を手短に報告した。
「ご苦労様デミトリ。有能な弟が居るおかげで今回の遠征は気が楽だよ」
隊員達からどっと笑いが巻き起こる。
――このやり取り、何回目か分からないが兄上もよく飽きないな……
「……恐縮です。」
「堅苦しいな、デミトリ。兄弟なんだ、もっと気楽に接してくれてもいいんだよ?」
――下手な事を言えば難癖付けて来る癖によく言う。
嗜虐的な視線でこちらを見下す兄から目を逸らさず、じっと堪える。
「……まぁいい。我が弟デミトリが勇猛果敢に道を切り開いてくれたおかげで無事ここまで辿り着けた! 各自野営の準備を進めて、明日の討伐に向けて英気を養ってくれ!」
掛け声と共に兵士達が散っていく。
自分もその場を後にしようとすると、兄から声が掛かった。
「すまないデミトリ、一つ伝え忘れていた事があってね」
「……なんでしょうか」
「学園から帰ってきてから今後の事について父上と色々と話していてね。可愛い弟にすぐにでも報告したいと思っていた事があるんだ」
これから言う事は余程愉快な事なのだろう。兄は唇を三日月のように歪め、頬を紅潮させながら続ける。
「今回の遠征からグラードフ領に帰還次第、デミトリには正式に私の小隊に所属して貰うことになったんだ! 遊撃班じゃない、正式な部隊所属だ。これからはずっと一緒だよ! 遠征だけじゃない、訓練の内容も私の裁量で決めてあげられるようになるんだ」
これから訪れるであろう未来を想像しただけで絶頂に至ったかのような、恍惚とした表情で語りかけてくる。
「私が学園に行っていた間、失われてしまった兄弟の時間を取り戻そう……楽しみだね、デミトリ」
――嘘だ……
「言葉も出ない程喜んでくれるなんて嬉しいな! 早く領地に帰れるように、こんな遠征早く終わらせてしまおう」
告げられた内容に絶句し硬直したままの俺を置いて、満足げな表情のままスキップするような勢いで兄が去って行く。
その後、普段扱き使ってる遊撃班の俺が設営に参加していないことに痺れを切らした兵士に怒鳴りつけられるまで、放心状態のままその場を動けなかった。