城塞都市セヴィラでレイナ嬢と別れ、そのまま滞在せず素通りする形でヴィラロボス辺境伯領を目指し始めて一日。夜通し走り続けた二台のそりはヒエロ山の麓に差し掛かる寸前の所まで来ている。
このままの配分で進めば正午にはヒエロ山を通り越して明日の午前中には城塞都市ボルデに到着するだろう。
「なんだか落ち着かないね」
「状況が状況だから、今までみたいに札で遊ぶ気にはちょっとなれないよ」
ヴァネッサとセレーナが借りている個室は屋形の右半分、現在の進行方向に倣て言えばそりの西側に位置する。彼女達の個室の窓からはヒエロ山の様子を伺う事が出来ないため、少し窮屈だが就寝時間以外は三人で俺の部屋に集まっている。
「ニルさんが説明してた時は半信半疑だったけど、ほんとに土の上でも全然問題なく進めるんだね」
「私もヴィーダ式のそりは今回初めて乗ったけど、本当にすごいと思うよ」
そりが走っている街道は夜中に降った新雪が少し積もってはいるがほとんど地面が見えている状態だ。摩擦が増すはずの土上でも雪上と同等の速度を維持できているのは、スレイプニルの脚力の賜物だろう。
「この悪天候の中、ここまで除雪作業が進んでるのにはもっとびっくりけど……」
「ここに至るまでの道中もそうだったがかなりの数の人間が除雪作業に協力しているからだろうな」
窓の外を覗く度に必ずと言っていいほど除雪作業に勤しむ人影が映る。城塞都市の住民総出で幽氷の悪鬼対策に取り掛かっていると見ても良いだろう。
明らかに一般市民……それこそ城塞都市セヴィラの近くでは老人や子供までも円匙を手に持って必死に雪を退けているのを見た時、事の重大さを再認識した。
「この天候の中除雪作業を続けるのは……」
吹雪とまではいかずとも、激しい風に乗ってそりの窓を叩きつける雹になる寸前の大粒の雪を見ながらため息が零れる。この環境下での肉体労働は、幽炎と対峙する前に作業している人間の命を刈り取りかねない。
「最終的にはヒエロ山に向かった対策部隊任せになるけど、城塞都市までの道の雪の状況次第で彼等が生きて帰れるかが左右されるから」
セレーナの補足に心が重くなる。
アルセの希望でセヴィラ城塞都市にある辺境伯邸に居た家人に軽く状況を説明した上で、彼は途中までそりで同行しながらヒエロ山の麓で降ろしてもらい、対策部隊とそのまま合流する予定だ。
時間が経つにつれて悪化していく天候と呼応する様に、説明できない不吉な予感が増していく。
「わっ!?」
溝の上を通ったのか、そりが急に揺れて窓から外を覗いていたヴァネッサが姿勢を崩した。
咄嗟に寝台から立ち上がり背中を支えた俺と、横に立っていたセレーナに肩に腕を回されたヴァネッサが交互に俺達の顔を見る。
「ありがとう……両手に花だね?」
「俺は花なんて柄じゃないだろう……」
「ヴァネッサちゃん、運動神経は悪くなさそうだし鍛えないと損だよ?」
鍛錬の勧めにヴァネッサがたじたじの様子だが、セレーナはあれから気持ちの整理は付けられたのだろうか……?
『……私には何もできないよ。ゴドフリーを見て、思い出して、震えてもう剣もまともに握れない』
「どうしたの?」
「……なんでもない」
「あの、二人共そろそろ離してくれないと流石に恥ずかしいよ」
「ああ、すまない」
窓を離れ三人で並んで寝台に座る。
今朝部屋の中を飛び回り遊び疲れて昼寝をしているシエルの寝息だけが聞こえる沈黙がしばらく続いた後、個室の扉が叩かれた。
「開いてるぞ」
「失礼します!」
王家の影のカミールと呼ばれていた青年と、確かクレアの異能対策会議に同席していた女性が開かれた扉の先に立っている。
「何かあったのか?」
「一号車に乗ってるニルさんから、幽炎対策について何か考えがあれば聞いておいて欲しいとお願いされたんです」
走行中のそり間でどうやって……何かしらかの連絡手段があるのか?
「幽炎対策であれば俺よりもアルセ殿の方が適任だと思うぞ? 俺の付け焼刃の知識で考えた対策は却って被害を増やしかねない」
「アルセ様とナタリア様が保有している知識に関しては王家は既に把握しているので……今回は活かせなくても、デミトリさんの新鮮な視点から生まれた発想が今後の幽氷の悪鬼対策に活かせる可能性があるので是非お聞きしたいんです」
妙に評価されてしまって困るな……そこまで大層な考えは無いんだが。
「もちろん、任意ですから無理にとは言いませんが……」
「参考にならないかもしれない事を了承して貰えるのであれば、共有すること自体は問題ない。せっかくだからヴァネッサとセレーナにも参加して貰っても良いだろうか?」
「「私達も??」」
完全に話すのを俺に任せるつもりだったのか、寝台の上で寛いでいた二人が姿勢を正す。
「俺も昨日の今日で幽炎について触りを聞いただけだ。二人と話しながら考えた方がいい案が浮かぶと思う」
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