「こいつが馬鹿で命拾いしたな……」
幽氷の悪鬼本人が完全復活していないと明言していたが、弱体化していなければ倒されていたのは俺だった可能性が高い。
――水魔法は使わなかったが、氷魔法と呪力を操る化け物か……。
今更だがナタリアに付けられた二つ名が近からずも遠からずだった事実に複雑な感情を抱きながら、恐らく息絶えた幽氷の悪鬼を眺めて後処理に悩む。
確実に死亡している事を確認できるまで下手に近付きたくないが、確認するためには無機物のみ収納できる収納鞄に仕舞えるかどうかで判断するしかない。
気は乗らないが、万が一動き出した場合に備えて背後に回ってから試――。
「ディヴァイン・レイ!!!!」
詠唱が聞こえた直後凄まじい閃光が水牢ごと幽氷の悪鬼を穿ち、反射的に閉じた瞼を上げると悪鬼の胸に開かれた穴と光が通った軌跡上にあったはずの水が跡形も無く蒸発していた。
肉の焼ける臭いに構う暇も無く、声がした方向に振り向くと三人の武装した人間達がこちらに向かって斜面を登ってきている。
「流石勇者様です!」
「あれがガナディア王国を捨てた亡命者か……ユウゴ様、あまり近づかないようご注意下さい」
聞き覚えのある声だと思っていたが、黒髪黒眼の青年に向けた二人の取り巻きの発言で確信する。あの青年は俺と同じ存在に転移させられた勇者か……!
「命を救って貰っておいて武器を構えるだと……!?」
「ユウゴ様が倒して下さった幽氷の悪鬼の二つ名を冠する不届き者め、恥を知れ!」
最悪の事態に備えてヴィセンテの剣を抜くと取り巻き達が騒ぎ出した。
「こやつは本物の幽氷の悪鬼を倒し、二つ名を襲名して魔軍に加わるつもりだったのでは?」
「まさか……!? 可能性は十分あります!! ユウゴ様――」
「話がややこしくなるから二人ちょっと黙ってて」
ユウゴの姿が一瞬ブレたかと思うと、超人的な速さで興奮した取り巻き達の傍に移動し、気づけば男達は地に伏していた。
何故勇者が仲間を攻撃したのか理解できず、攻撃に備えて身体強化を最大出力で掛ける。そんな臨戦態勢の俺の気持ちなどお構いなしに、ユウゴがちらちらとこちらを見ながら何かを期待する様に腕を掲げた。
「恐ろしく早い手刀ですよね?」
いきなり何を言い出して――まさか俺の事を試しているのか?
「……俺でなければ見逃していただろうな」
「やっぱり……!」
厳密に言うと目で追うのがやっとだったと言った方が正しいが……ユウゴは俺の返答に満足した様だ。
奴があの準神や命神と繋がっているなら転生者である事を隠しても無駄だ、今は情報収集をしながら時間を稼ぐ事を優先したほうが良いだろう。
「ディアガーナ様が言ってたことは本当だったんだ!」
久し振りに聞く命神の名に虫唾が走り、湧き上がる呪力をなんとか押さえ込む。
「……創作物では当たり前の様に手刀で人を気絶させるが、打ち所が悪ければ命に係わるぞ? 早く治療してやった方が良い」
「え!?!? そうなの!?」
俺の指摘に血相を変えたユウゴが当たり前の様に回復魔法を掛け始めた。
――幽氷の悪鬼の体に風穴を開けたあの攻撃、超高速で移動できる強靭な肉体、そして回復魔法か……。
ユウゴの能力を頭の中で整理しながら退路を確認する。魔力を大量に消費するが、地上では追いつかれる恐れがある以上飛んで逃げるしかないな……今の俺では確実に勝てない。
「それで、なぜガナディアの勇者がこんな所にいるんだ?」
「ガナディア王国の使節団と一緒にヴィーダ王国に来て、ヴィラロボス辺境伯領に魔族が現れるって天啓が降りてきたから急いできたんです!」
確か幽氷の悪鬼は自分の事を邪鬼と言っていなかったか……? 次期魔王だの魔族だの、いまいちどんな存在だったのか分からないな……。
そして『天啓が降りた』とユウゴが言ったが……命神はトリスティシアと違って、過干渉する類の神らしい……。
「……見ての通り幽氷の悪鬼はもう倒れた。用が済んだのなら王都に戻った方が――」
「デミトリさん! 単刀直入に言います、僕と一緒に魔王を倒してください……!!
ほぼ九十度で腰を曲げたユウゴの頭を見下ろしながら、無意識に口を開く。
「断る」
「そ、そんな……!!」
命神は勇者に何をさせたいんだ? 使い捨て同然に扱った俺など放っておいて、勇者と聖女と賢者の三人に魔王を倒させればいいだろう……。
「魔王とやらは俺には関係ない話だ。大体、仲間と力を合わせれば俺が手を貸さなくても何とかなるだろう」
「僕は……です」
「……?」
「僕はずっと一人で戦ってるんです……! だから、デミトリさんの力が必要なんです!!」
顔を上げたユウゴが涙目になっているが、瞳に溜めた涙よりも今まで気付かなかった目の下の深い隈に注意が引かれる。
「……先程気絶させた付人達もいるし、聖女や賢者もいるだろう」
「あの人たちは今回の旅限定の付き添いで、普段は一人なんです……ミコトとリサも……」
話を聞いて欲しそうに沈黙したユウゴに、どういう事かと問いそうになったが慌てて口を噤む。
良く分からないが物凄く面倒事の匂いがする案件だ……変に話を膨らませない方がいいだろう。
「お願いします! 話だけでも聞いてくれませんか……? ずっと一人で、誰にも相談できなくて……」
「……」
参ったな……確か勇者について説明された時、各国である程度支援をしたり要望を叶えるために融通を聞かせる必要があると、アルフォンソ殿下から聞いた気がする。
あまりユウゴを無碍に扱いすぎると、ヴィーダ王国が勇者に無礼を働いたと糾弾されかねない……。
「……俺の仲間達がヒエロ山の麓で待機している、これ以上待たせて心配を掛けたくない。俺は今すぐにでも仲間たちと合流して、幽炎の脅威が去ったのを確認しなければならない」
「そ、そうですよね……」
「その二人は担げるか?」
「え? はい」
まるで地面に落ちた羽を拾うかのように、ユウゴが軽々と片手で気絶した男を一人摘まみ上げたのを見て顔の筋肉が引きつる。どれだけ身体強化に長けているんだ……。
「ヒエロ山の麓に辿り着いた後の事は約束できないが、帰りの道中位なら……話を聞くだけなら可能だ」
「本当ですか!? ありがとうございます!!」