「静かだな」
「数時間前まで幽炎の脅威に晒されていたとは思えない……私の代で幽氷の悪鬼の脅威に終止符が打たれる事になるとは……」
ユウゴやレオの登場もあり幽氷の悪鬼討伐後も何かとごたついてしまったがようやく一段落付いた。
天幕の設営も終わり、静まり返った野営地で共に夜番をしていたアルセがようやく幽氷の悪鬼討伐の実感が湧いて来たのか、感慨深げにゆらゆらと燃える焚火の火を眺めながら吐露する。
「王家の影が数名先行して城塞都市ボルデに向かったから明日にはエリック殿下達に吉報が届くだろう。ナタリア様も喜ぶだろうな」
「ああ、ナタリア姉さんは人一倍幽氷の悪鬼を憎んでいたから……これで少しは心が晴れると嬉しい」
心配げにそう言ったアルセになんと言えば良いのか分からず黙り込む。
幽氷の悪鬼が倒れても失ってしまった家族やこれまでの被害者達は帰って来ない。ナタリアの心の傷が癒えるのはそう遠くない未来だと願いたいが……。
『倒せるならどうしてもっと早く……!』
対策部隊の隊員達の中にも近しい人間が被害に遭ったのか、気持ちの整理が付かず複雑な感情のぶつけ所に困っている者達が数人居た。
野営地の設営中、屍人の死体処理を始めた者達が帰還した時こちらに微妙な視線を送っていた者も少数だったが居たな……。
感情の動き方は人それぞれだ。
幽氷の悪鬼の脅威が去って純粋に喜ぶ者。もっと早く倒せればより多くの人間を救えたのではないのかと悔恨する者。心の余裕が生まれた事によって、元は人間だった屍人の倒し方に不満を抱く者……。
もちろん大多数の人間は素直に歓喜していたので気にしないようにしているが、ままならないものだな。
「……アルセ殿も早く城塞都市セヴィラに帰還して報告したいだろう。夜が明けるまで出発できないのは歯がゆいんじゃないか?」
「長年我が領を脅かしていた問題が解決したんだ。少し待つ位何ともないさ」
焚火に薪をくべながらアルセがはにかむ。
「それに今は冬真っただ中だ。ヒエロ山を境に気候が大きく変わる……ヴィーダ王国側は問題ないが、城塞都市セヴィラに帰るまで油断出来ない」
「俺達はここまでそりで強行突破してきたが、馬車や馬上での移動は慎重にならざるを得ないか……」
ヒエロ山周辺は晴れているが、情勢都市セヴィラ方面の街道の先には濃い雪雲が地表に影を落としている。準備が万全だったとしても、夜間の移動は控えた方が良いだろう。
視線をアルセの方に戻すと、何か気になる事があるのか忙しなく膝に置いた手の指で足を叩いている。
「心配事か?」
「……ユウゴ殿達の事をレオ殿に任せっきりにして本当に問題なかっただろうか?」
「ヴィーダ王家とガナディアの使節団がどのような協議を経て彼を魔王討伐の旅に同行させる事に合意したのかは分からないが、両国の要人からの言伝を預かっていると言っていただろう? 俺達が情報共有の場に立ち会う訳にもいかない以上仕方が無い」
「……レオ殿に損な役回りをさせてしまったな」
アルセがユウゴ達の天幕の方を見ながら難しい表情をしているが、心配の種は分かりきっている。
「あの付人達の事か」
「ああ。ああいう輩は根に持つ上に確実に後々問題を起こす」
俺とアルセがそりの中で待機せず焚火を囲んでいるのは夜番をしているからだけではない。
神呪の影響で俺が近くに居れば無駄な諍いが起こると思い距離を取っていたのだが、リゲルとジョンは覚醒した後ユウゴから簡単に現状について共有されるや否やアルセに突撃し『勇者とその付人である私達がそりの中で休めないとは何事か』と猛抗議しだした。
大声で喚いていたので離れた位置で待機していた俺にも会話の内容が聞こえて来たが、あまりの剣幕と自分勝手な主張にアルセとユウゴは言葉を失ってしまった様子だった。
終いには自分達をそりで休ませろと言い始めたので、エリック殿下から預かっているアミュレットがあるため仲裁に向かおうと考えたが、神呪のせいで俺が仲裁に行っても状況が悪化するだけかもしれないと思い二の足を踏んでいると――。
『寝床を提供して貰う立場なのに随分と偉そうね。いい加減にしないと握りつぶすわよ?』
レオが現場に駆け付け、地面に転がっていた岩を片手で持ち上げ素手で砕いた。
リゲルとジョンが突然の出来事に絶句している隙に、ユウゴが好意で天幕を提供して貰っているだけでありがたいとアルセに伝え、そりで休む事を固辞してくれたおかげでその場は一旦収まった。
要求が通らなかったリゲルとジョンは明らかに納得していなかったが、アルセが『我々も今夜は勇者殿と同じく天幕で過ごす』と約束した事によって二人はようやく引き下がり今に至る。
「私の独断でデミトリ殿にも王家の影にも迷惑を掛けてしまった」
「先程も気にする事はないと言っただろう? むしろこの程度で奴らの溜飲が下がるなら儲けものだ」
後から奴らにヴィーダ王国が勇者を不当に扱ったと報告されても面倒だ。そもそも王家の所有物であるそりにいくら勇者とその付人とは言え勝手に客人を乗せる権限をアルセは持っていない。
王家の影も、アルセに謝罪された時むしろとっさの判断で良くあの程度で収めたと褒めていた位だ。
「誰もそりで休めないなら納得できる奴らの考え方は理解に苦しむが……」
「自分達が優位に立てないのであれば、周りを同じ位置まで引きずり落とさないと気が済まない。そういう類の人間なのだろう」
「……勇者の付人に相応しくなさ過ぎないだろうか?」
「そうだな」
アルセと苦笑していると、背後から近づいて来る足音が聞こえ振り返る。
「アルセ様、デミトリさん」
「ユウゴ殿にレオ殿! 話し合いは終わったのですか? 付人の方々は――」
「私が締め――ぐっすり寝てるわよ!」
あの二人は今度は何をやらかしたんだ……