食事を終え、回復してしまった魔力を沼に放出した後小屋の掃除に取り掛かった。
掃除よりも魔力と魔法の制御と操作の特訓を優先すべきでは? とはやる気持ちを抑えながら小屋の中から壊れた寝台や壁の破片を撤去する。
――酷い有様だな……
寝台の横に立っていた本棚は、魔法の直撃を受けなかったものの衝撃で転倒していた。本棚に収まっていた本は地面に投げ出された上、水浸しになってしまったため大半が駄目になってしまっていた。
本棚を壁に立てかけ直し、奇跡的に水の被害を受けなかった本を選別しながら本棚に戻していく。そんな中、月の焼き印が施された一際分厚い革表紙の本が目に留まる。
――なんだ、これは?
題名も著者も記載されていない本の中を確認すると、全ての頁が白紙だった。
――未記入の日記か? 留め具も見当たらないし、そうは見えないが……
なんとなく気になり本をテーブルに置き、掃除を再開する。
魔力を放出するため適度に中断を挟みつつ、小屋の中が最低限綺麗になるまで作業を続けた。収納鞄に入っていた天幕の防水布を、大穴を覆うように被せて固定し終えた頃には日が暮れていた。
――想像以上に時間が掛かってしまったな。
昨晩燃え尽きてしまった蝋燭を仕舞い、収納鞄から取り出したランプに火を灯しながら部屋を見渡す。皮肉なことに壊れてしまった家具や壁はともかく、イザンとの戦いで使い物にならなくなってしまったチュニックを雑巾代わりにして拭いた床は埃まみれだった時と比べると断然綺麗になっている。
――シミはどうしようもなかったな……
壊れてしまった寝台の代わりに、収納鞄に仕舞われていた寝袋を床に置きながら溜息を吐く。
――取り敢えずやれることはやった。休むにはまだ早いし、もう少し魔法を試してみよう。
昼考えたことを頭の中で振り返りながら意気込んだのは良いものの、結果は残念なものだった。そもそもまともに制御も操作もできない魔力や魔法で、色々と試そうと考えるのがおかしかったのかもしれない。
満足に水流を操作できない状態で水の温度を変えられるわけもなく、結局は午前中に行った魔法の操作の練習をした後意気消沈しながら小屋に戻り眠りについた。
――――――――
真夜中、明かりを消した真っ暗な小屋の中で目を覚ます。睡眠中に魔力が回復したため、また魔力暴走の予兆が出始めている。
歯を食いしばって痛みに耐えながら寝袋から出る。魔法を放出するため沼へと向かおうと小屋の扉を開いた瞬間、異変に気付いた。
月明かりの照らす薄暗闇の中、下半身のない人の影のような何かが沼地の上を浮遊している。凄まじい殺気を向けられていることが、感覚ではなく本能で分かる。
「くっ……!!」
小屋から飛び出し地面を転がる。背後では、影が放った凝縮した闇のような物によって扉がひしゃげる。
素早く立ち上がり影を見据える。
――クソ、収納鞄は小屋の中。取りに行くのも無理だろう。
剣を携えていないことに不安を覚える。
――落ち着け。幽霊型の魔物に、剣はどの道意味がない……
不安定になり始めている精神を無理やり落ち着かせようとするが、焦りから上手くいかない。体の中で魔力が暴走を始め、痛みからその場で膝をついてしまう。影が上手く聞き取れない悍ましい声で詠唱を始める。
――落ち着け……!
「ク……ソ……!」
痛みで身動きが取れないまま影が詠唱を終え、突然影の周囲に出現した黒い霧がこちらへ向かってくる。冷気を帯びた霧に包まれるのと同時に、霧を介して影の感情が流れ込んでくる。
憎悪、怒り、悪意。命を羨む亡者の恨み。
その感情に共鳴するように魔力が体内で暴れ始めると、先程まで体に纏わりついていた霧が急に霧散した。
痛みを堪えながら目を開けると、何が起こったのか分からない様子で影が首を傾げているのが目に映る。
「ふざ……けるなよ……」
影の感情に感化されてしまったのか、完全に冷静さを失ってしまった。
実体を持たない幽霊型の魔物相手に無意味だと分かりつつ、怒りと殺意を魔力に込めながら影に向かって手をかざし魔法を発動する。
放たれた水魔法の激流が宙に浮かぶ影に当たった瞬間、影が大量の水飛沫とともに爆散した。
あまりの呆気なさと、魔法が効いたことに対する驚きで先程までの激情は抜け落ちたように消えてしまった。魔法を止め、魔力を消費したことにより暴走も収まり一息つく。
――あの魔物が出現した原因を確認しなければ……
影が浮遊していた沼地の中心へ進むと、倒木は枯れ果て周辺の草は赤茶色に変色している。
――やっぱりあの水は飲まなくて良かったのかもしれない……
一日程度でここまで腐敗が進むのはあり得ない。腐った大地が自分の放った魔法のせいとは言い切れないが……
――他に考えられるのは、あの魔物のせいか?
薄暗闇の中、一か所だけ妙に地面が白く見える。近づいて確認すると、人の物と思われる骨が地面から突き出している。
――俺の魔法で掘り起こされてしまったのなら……申し訳ないな……
罪悪感を感じながら手を合わせる。
――死体が魔物化するには、確か瘴気や呪力に晒される必要があるはずだが……
疑問は尽きないが疲れ果てた今、これ以上考える気力は最早なかった。
取り敢えず周囲に他の死体はなかったように見えたので、もう魔物は発生しないだろうと強引に結論付けて小屋に戻る。
ひしゃげてしまった扉をなんとか開くと、テーブルの上に置いていた本が扉から差し込んだ月明かりに照らされた。なぜそうしたのか自分でも理解できなかったが、テーブルの上の本に手を伸ばして表紙をめくると最初の頁に記載が増えていた。
「モータル・シェイド……?」