「リナレス男爵の件は残念だった、まだ若いのに病死するとは」
心にもない事を言いながら手に持ったカップを顔に近づけ、紅茶の香りをゆっくりと堪能するセルセロ侯爵の態度に腹が立つ。
――想像以上に面倒な事になってしまったな。
デミトリを襲ったリナレス男爵家の兵達が拘束された後、私の残した指示に従い部下がすぐに王都に報告した。王国軍が報告を受け、リナレス男爵の捕縛に向かった頃には彼は既に死亡していた。
「私も彼の寄親として、今回の件は重く受け止めている。今回の件がリナレス男爵の独断だったのか、他家が関わっていたのかの調査には全面的に協力したいと考えている」
「ご協力の内容によりますが、私には決定権がございませんので……」
「そう固い事を言わないでくれ。侯爵家として調査を援助する分には問題ないだろう?」
――狸爺め、邪魔する気満々だろうに。
調査はエスペランザ騎士団が王国軍と連携して進める手はずになっている。
「申し訳ありません。本件は王国軍の管轄になり、エスペランザ騎士団はあくまで指示に従う立場なので」
「まぁ、君の言い分も分かる。無理に協力を受け入れてくれとは言わないし、すぐに結論を出す必要もない。今日は忙しい所わざわざすまなかったな。私は数日エスペランザに滞在するつもりだ、日を改めてまた話そう」
紅茶を飲み干し、護衛を引きつれてセルセロ侯爵が応接室を出ていく。暗に後日また来ると言われてしまい、眉間に寄ってしまった皺を指でほぐす。
――王国軍が動いている案件に、下手に茶々を入れるのはセルセロ侯爵にとってもリスクが大きいはずだ。落ち着き払っているのは、そもそも承諾されないのを分かっているからだろうな。
王国軍に直接交渉するのではなく、エスペランザを訪問している時点で時間稼ぎが目的だろう。
――デミトリ君の行方を知っている自分が動けない状況も作れて、一石二鳥と言うことか。
ヴァシアの森から戻った翌日、前触れもなくエスペランザに到着したセルセロ侯爵の対応に追われてエスペランザを離れられない状況を作られてしまった。セルセロ侯爵が護衛として引き連れて来た人間に、騎士団の動きを監視されているのも把握している。
――寄親として寄子の不始末を片付けるために動いているだけと言ってしまえば、一応筋が通ってしまうぎりぎりを攻めて邪魔をしているな。
溜息をつきながら応接室を出て、執務室へと向かう。
――片付けないと、またナディアに怒られるな。
少し神経質気味な部下の事を思い出しながら、書類の散らかった執務室に踏み入れる。歩ける程度に床が見えてさえいれば問題ないのだが、どうにも彼女には耐えられないらしい。
机について溜まってしまった報告書に手を伸ばそうとすると、背後からコンコンと何かが窓を突く音がする。振り向くと、デミトリに手紙を届けた伝書鷹が窓の外でこちらを見つめていた。
「もう帰って来たのか、良くやってくれたヴェーロ」
常備している褒美の餌を与えてから、ヴェーロが掴んでいる筒を回収する。
――やけに重いな……?
筒を傾けると、明らかに紙以外の何かが中で筒の中で動いているのが分かる。
「純金の……首飾り……!?」
太陽の紋章を見て、驚愕する。急いで筒の中身を全て出し封筒を確認する。
――襲われただと!? やはり時間稼ぎか! すぐに迎えに……
途中まで手紙を読み、立ち上がろうとした瞬間太陽の首飾りが再び視界に入る。
――襲われたが、手紙を書くことはできたのか……?
落ち着きを取り戻し、気を取り直して手紙の続きを読む。
――襲われた理由は分からない……火種……メソネロ大司教……隷属の首輪……死体は保管します!?
手紙を最後まで読み終えて、力なく椅子に座り込む。デミトリの人柄は知っている、彼が嘘をつくような人間ではない事も、あの森の中で都合よく太陽の首飾りを三つ手に入れられるはずがないのも分かっている。
――王都に報告しなければいけないな……教会が開戦派と繋がっているとは……
頭が痛い。目を閉じて情報を整理する。
――『念のため死体は保管します』……か。聖騎士団の異能部隊員を、本当に一人で倒したのか?
デミトリについて思案する。
――出会った時から、不思議な青年だとは思ったが……クラッグ・エイプの件しかり、本当に魔法が使えないだけでグラードフの人間は彼を無能扱いしていたのか?
デミトリには伝えていないが、彼から聞いた話で一番気になっていたのは彼のグラードフ領での扱いについてだった。親としても、人としても理解が及ばなかった。異能で読み取った感情も、耐え難いものだった。
――……いつか彼には、教えてあげるべきだな。
デミトリには真実を見抜く異能と伝えていたが、ミケルと私が持っているのは感情を読み取る異能。喜怒哀楽だけでなく、だれかを騙そうとしていたり、陥れようとする悪意なども分かる。発言した内容と相手の感情を照らし合わせて、本意を見出す点では真実を見抜く異能と言えなくもないが。
――彼は、大丈夫だろうか……
ヴァシアの森で別れる間際、ユーセフの死に対する負い目もあったのだろう。異能で感情を読み取ったが、彼は生きることを諦め絶望する寸前だった。
――『ドルミル村に行くまで、死ねません』……か
その後の事は、考えているのだろうか。
――無責任に諦めるなと言ったんだ。何としてでもこの件は片付ける。
決意を新たに、報告書の取り纏めを開始した。