朝日が昇りはじめた頃、ようやくヴァシアの森の端まで辿り着いた。
森を縁取る若木の先には広大な平原が広がり、地平線の手前には微かにだが土の色合いが見える。
――あれが街道か?
この距離では定かではないが、メリシアの方角に見えるので間違いないだろう。
来た道の安全性は確保できていて、眼前には誰もいない平原しかない。夜通し移動していた疲れを取るため休憩しながら、森を脱する前の最終準備に取り掛かる。
――ひどい有様だな……
ある程度清潔にすることを意識していたが、チュニックもズボンも乾いた返り血の跡や汚れにまみれている。変色した茶色い血のシミは、どれだけ洗い落とそうとしても無理だった。
一旦服を全て脱ぎ、そろそろ底が尽きそうな収納鞄に保管していた川の水で体を洗い流す。手拭いで体を拭いてから、胸まで伸びた髪を手に取る。
――エスペランザでは、長髪はあまり見かけなかったな。
奇抜な髪型のクリスチャンを除き、エスペランザ滞在中に見た男性は全員短髪だった。騎士団の人間だけでなく、窓から覗き見た道行く街の住人達もそうだった。
――髪色はどうしようもないが、せめて髪型ぐらいは目立たないようにしないとな。
クリプト・ウィーバーの糸に絡まり刈り上げてしまってから、数センチ程伸びた後頭部の髪の長さを片手で確認する。もう片方の手で、収納鞄から久しぶりにナイフを取り出す。
――どう切ればいいのか、わからないな……
せめて鏡でもあれば良かったのだが、贅沢を言っている暇はない。髪の毛を全て一束にまとめて、ナイフを後頭部の髪の毛先の位置に合わせて髪を切り落とす。
頭が一気に軽くなり、取り返しのつかない事をしたのではと不安が募る。
――こんなしょうもないことで、いちいち動揺している場合じゃない……
自分の気の小ささに嫌気がさしながら、魔法を放ち魔力と気分を落ち着かせる。左手に掴んだままだった切り落とした髪の束を収納鞄に仕舞い、着替えを取り出す。
綺麗なチュニックと下着を履いた後、二着のズボンを手に取り吟味する。
先程まで履いていた聖騎士団から拝借したズボンは、恐らくアリッツの物だろう。体格が似ていたので大きさも丁度良かったのだが、今手に取っているズボンはいずれも自分の体型には会わない。
大柄なホセの物と思われるズボンは着れはするものの、ぶかぶかで借り物なのが丸分かりだ。対してパブロのズボンは丈が合っているものの、彼が自分よりも細身だったため小さすぎる。
――服があるだけ恵まれているんだ、文句を言っても仕方がないな。
ホセのズボンを履き、ずり落ちないようにベルトを締める。足を覆った裾は、何重にも折り畳み無理やり丈を合わせる。
――チュニックと革靴に比べて、明らかにズボンの素材が上質すぎるな……大きさも合っていないし、見る人が見ればすぐに追剥を疑われそうだ……
服を調達するのが意外と急務かもしれないと考えながら靴を履き、荷物を纏めて手ごろな岩に腰を掛けた。水分補給と軽い食事を取りながら今後の事を考える。
――あの盗賊達と鉢合わせるのを避けるために夜通し移動していたが、もうその心配はないな。
まだ仲間がいる可能性も捨て切れないが、あれで全員だったと思いたい。
――問題は日中移動するべきかどうかだな。面倒なことに、あの本に書いてあった内容が事実ならあいつらは頻繁に街道沿いで人を襲っていた。騎士の巡回があってもおかしくないし、街の検問もしっかりとされているだろうな……
そんな中、明らかに盗品と思われる服を着た人間が白昼堂々と街道を歩いていたら怪しまれるに決まっている。荷物を検品されたら持ち運んでいるカテリナ、ヴィセンテと少女の遺体も見つかるに違いない。
――盗賊達の死体は、懸賞金が掛かっているのであれば持っていても問題ないかもしれないが……聖騎士団員達の死体が厄介だな……
素直に検問を受け、盗賊達に殺された聖騎士を発見したと言い訳出来ないかと考えてみた。仮に信じて貰えて街に入れたとしても、確実に光神教に聖騎士達の死亡が報告される。
――光神教側がまだパブロ達の死に勘付いていないのであれば、出来るだけ長く隠し通したいな……
となると、素直に検問を受ける道は無くなる。
――街には、忍び込むしかないか……
遠回りしながら、結局避けたかった結論に行き着いてしまった。立ち上がり、大きく伸びをして深呼吸する。
――夕暮れまで寝るか……
――――――――
「冷たっ!」
顔に液体が降りかかり飛び起きる。見上げると、眠りにつく前は雲一つなかった空が黒い雲に包まれている。パラパラと降ってくる小雨が、どんどん勢いを増していく。
――ついてない……いや、ついてるのか?
急いで寝袋を収納鞄に仕舞い、木の陰に避難して雨宿りする。雷鳴が鳴り響き、豪雨が天から降り注ぐ。日中温まった地面に触れた冷たい雨により、平原全体に薄い靄が掛かる。
――移動するなら今だな。
綺麗な服に着替えたばかりで若干気が引けるが、盗賊達の死体から一番状態の良いフード付きの外套を剥ぎ取り身に着けた。フードを深く被り、忘れ物がないか最終確認をしてからメリシアに向けて平原を駆けだした。