――嘘だろ……
(変身の! 美学!)
かなり僻地にまで来ているので周りに人がいないはずだと分かりつつ、水魔法の霧を使い魔力感知擬きで周囲に誰もいないことを確認する。
「はぁ……」
脳裏にメドウ・トロルと対峙しながら、ノリノリで叫んでいたカズマの記憶が蘇る。人間性はラスと相容れなかったが、案外神器との相性は抜群だったのかもしれない。
「……変身……」
何も起こらないまま、冷たい風が窪地を吹きすさぶ。
(もっとお腹から声を出して! 自信を持って言わないと)
――……それは、本当に必要なのか?
(叫ばないと、窮地に陥ったり大事な局面で静かに変身って言った時に浪漫がないって、前の前のますたぁが……)
一体何を教えられているんだと、頭を抱える。
――取り敢えず、今回は練習だと思ってさっきので勘弁してくれないか?
(だめだよ! ちゃんと言って!)
ラスの態度はここに向かうまでと比べて一変し、説得しようにも聞き入れてくれない雰囲気と圧が凄い。拳を握り締めながら、覚悟を決めて恥も外聞も捨てて大声で叫ぶ。
「変身!!」
また何も起こらないまま、冷たい風が羞恥で火照った頬を撫でる。
――おい……
(ごめんね? やっぱり……初めての変身だし、ちゃんとポーズも取って欲しいんだけど――)
――ちゃんとやる! 何をして欲しいのかを、全部説明してくれ。その代わり、もう後出しで注文をするのはよしてくれ……
(分かった!)
ラスから一通り何をして欲しいのか説明を受け、心を無にしながら指示に従うことにした。
右足を半歩後ろに下げ、右手を左肩の位置まで上げて、左腕を右足の方向に伸ばす。大きく息を吸って、やけくそ気味に叫ぶ。
「……変身!!」
叫んだ瞬間、見覚えのある眩い光に包まれる。眩しさから目を閉じて再び開いた時には、全身を深い蒼色が印象的な鎧が包んでいた。素材は分からないが、観察すると繋ぎ目がなく明らかに人の作った物ではない。
視界が全く遮られていないことを不思議に思い、手を頭に伸ばすと顔に触れる前に何かと手が当たる。
――不思議だ……
(やったね……)
ラスの声は嬉しそうだが、何故だか弱弱しい。
――……大丈夫か?
(実はこうやって話すの、結構難しくて……はしゃぎすぎて少し無理しちゃったみたい。外骨格に影響は無いから……安心して)
――いや、無理をしているならすぐ解除したほうが――
(心配してくれて、ありがとう……少しの間話せなくなるけど、休憩すれば大丈夫だから! それじゃあ、また後でね、デミトリ……)
――ラス?
その後、何回か呼びかけてみたが返事がない。心配しつつ、本当に休んでいるだけなのであれば逆に邪魔かもしれないと思いラスに呼びかけるのを止めた。
今朝急に頭の中で声が聞こえ出してから、自分以外の存在が頭の中にいる様な奇妙な感覚にずっと慣れずにいた。それなのに、今は突如としてラスの存在が消失したかのように思えて、周囲の静けさが異様に際立ち違和感を感じた。
――……本人が大丈夫だと言っていたんだから、大丈夫だろう。
本当に良くない状況なのであれば鎧も消えているだろうと無理やり頭を切り替え、再び全身を覆う鎧を確認する。蒼色の金属で出来た装甲の隙間から、全身をぴったりと覆う不思議な黒い繊維質の素材が見え隠れしている。
――感覚的には、まるで素肌に纏わりついている気がするが……元々着ていた服は、どうなったんだ?
肘の装甲の間に指を入れて、黒い繊維を触ってみる。先程まで着ていたシャツと上着の感触がなく、繊維を挟んで素肌に触れている様だ。
――……収納鞄と似た魔法で仕舞われているのか? 元に戻る、よな……?
カズマが鎧を解除した時、全裸になっていなかったので問題ないと思いたい。何時までも服の事を気にしていても仕方がなかったので、鎧を着ながら軽く伸びをしてから窪地を走り回ってみる。
驚くほど動きやすく、試しに前屈をしたり色々な体勢を取ってみたが全く動きが阻害されない。全身を覆っている繊維質の素材は、脅威の伸縮性を持っているようだ。
剣を握った状態でも動きを確認したかったので腰に手を伸ばすと、そこにあるはずの収納鞄が無かった。
――まさか、服と一緒に消えたのか!?
『付与された魔法が干渉しあって収納鞄を収納鞄の中に仕舞うことはできません。過去、無理やりそれをやろうとした方が居たらしいんですが……収納鞄を入れられた収納鞄が壊れて、中に入れられた収納鞄と一緒に元々入っていたものが全て消えたらしいですよ。中に入れられた物はどこに行ったんでしょうね?』
商会で収納鞄を購入した時に受けた説明を思い出し、鼓動が早まる。ヴィセンテとカテリナの遺体が入っている収納鞄も消えてしまっている。
――早く確認……どうやって鎧を解除するんだ!?
肝心の事を聞いていなかった事実に、焦りが最高潮に達する。今すぐ確認したいが、いくら呼び掛けてもラスが応えてくれない。
「ガァアアアア!!!!」
急に窪地に鳴り響いた叫び声の方向へ振り向くと、丘の上に一匹のメドウ・トロルが立っている。血走った目でこちらを見ながら、下り坂を猛スピードで走りながらこちらに向かって来た。
カテリナ達の遺体の事で頭が一杯で、今はメドウ・トロルに構っている暇がない。ヴィセンテの剣が手元にないので、魔法で一気に倒そうとした瞬間違和感に気付く。
――魔法を発動できない!?
考えてみれば、自分は普通の魔法を使えない。
体外に放出した魔力を操作して魔法に変換しているのではなく、魔力や呪力が体から出た瞬間水に変わってしまうのだ。全身を隙間なく鎧で覆われた状態で、魔力を体外に出せるはずもない。
――本当に、隙間はないのか!? 呼吸できてるから空気を取り入れる穴が――
「ガア!!」
「クソっ!」
メドウ・トロルの突進を真横に飛び退くことによって回避し、メドウ・トロルはそのまま坂を下った勢いのまま地面を転がる。こちらが立ち上がるのと同時に、叫びながらメドウ・トロルが起き上がり始めた。
一旦、メドウ・トロルから距離を取るために走り出す。
――……収納鞄の件は……俺の記憶を把握してるラスなら、どれだけ大事な物か知っているはずだ。絶対に大丈夫だ……だから今は目の前の敵に集中しろ……
自分にそう言い聞かせながら、メドウ・トロルからある程度離れた位置で立ち止まって敵と対峙する。
――剣も、魔法も、傷付いた場合ポーションも使えない……そういえば、あの時は気に留めなかったがカズマも徒手空拳で戦っていたな……
考えうる最悪の状態で、ラスとの初めての共闘が幕を開けた。