昼休みが終わる少し前に走って戻ってきたミューゼ様は酷い顔色だった。
「フェリー!何処も怪我はないか?大丈夫か?」
きっとリリン様との話を聞いたのだろう。
慌てふためく様子が子供のようで可愛いと思ってしまうのは不謹慎だろうか?
「大丈夫、少し話をしただけですよ」
「あの転入生に殴られそうになったと聞いた!」
「殴られていませんから大丈夫です」
「すまない、傍にいてやれなくて」
教室の中だというのに私を後ろから抱き締めるミューゼ様。
その様子を見たクラスメイトの女子達が黄色い悲鳴を上げている。
抱き締められている私は嬉しいんだけどそれ以上に恥ずかしすぎて地中に潜ってしまいたい気分である。
「見られてるから…」
「見たいやつには見せてやればいい」
抱き締める腕にキュッと力が篭もり、頭のてっぺんにキスが落とされると、黄色い悲鳴は更に大きくなった。
男子達の野太い「おぉぉ!」という声まで聞こえる。
「無事で良かった…フェリーに何かあったら俺は生きていけない」
「ふふっ、大袈裟な」
「大袈裟じゃない、本心だ」
前の席の女子と目が合った。
リリン様と同じく子爵家のご令嬢であるアリザ・ザーボ様だ。
夢見る乙女のような顔で私達を見ている。
「素敵♡」
彼女の口がそう動いたのが分かった。
周囲をそっと見渡してみると女子達の大半が私達をうっとりとした目で見ている。
耳をそばだててみると「素敵だわ」「憧れるわ」「物語のワンシーンを見ているようだわ」等という女子達の声が聞こえてきた。
極めつけは「フェリー様は本当に愛されているのね」という声とそれに「そうね」と同意する沢山の声。
やっぱり愛されているように見えるのか…私の勘違いとかじゃなく。
自分が悪役令嬢なのだと分かった時からミューゼ様に愛されてる気はするけど何処となく自信がなくて、だけどミューゼ様の甘さに触れると思考なんて霧散して深く考えないようにしていた。
周りからもそう見えるって事は、そういう事だと思ってもいいんだよね?
妊娠したから責任を取って結婚してくれただけなんじゃないかという思いがあったし、ヒロインが登場して『最後には捨てられるのかな?』って思いがどうしても拭い切れなかった。
だけど、少しだけ自信を持ってもいいかな?
「ミューゼ様…大好きです」
「?!」
私の小さな呟きをきちんと拾った上で目を見開き顔を赤く染めるミューゼ様が尊く愛おしい。
「俺も…愛してる」
教室の中だというのにミューゼ様の唇が私の唇と重なり、教室中に男女の歓声のような声が響き渡った。
「ちょっ!キスは!」
「ふっ…ミューゼ様と呼んだからな。これは罰だ」
再び唇が重なり直ぐに離れた。
「二度も?!」
「フェリーが素直になったご褒美だ」
確かにご褒美だけどここでやる事じゃなくない?!
ミューゼ様のキャラ崩壊は絶賛進行形のようだ。
*
5時限目が終わって帰り支度をしていたらリリン様が教室に戻って来た。
髪も顔もボロボロでヒロイン感がなくなっている。
「転入生!」
ミューゼ様が冷たい声を発するとリリン様がビクッと体を小さく揺らした。
「ミューゼ…いいから」
「良くない!今後もフェリーを傷付けようとするかもしれないだろう!」
「多分大丈夫だから」
目力をすっかりと失くしたリリン様が青白い顔でミューゼ様を見ている。
「またフェリーに何かしたらお前を全力で潰す!」
完全に敵認定されたリリン様が少しだけ気の毒に感じた。
帰りの馬車の中でミューゼ様の膝の上に座らされた私は、ミューゼ様の腕に包まれてずーっとピッタリと抱き締められている。
「本当に良かったのか?」
「えぇ、良いんです。折角転入されたのにミューゼが責め立てたら彼女の居場所はなくなってしまうでしょ?」
本当ならばいなくなってくれた方が精神衛生上いいと思うけど、転入するのにだってお金も掛かる訳だし、きちんとテストに合格して入って来たのだからしっかりと頑張って欲しいと思う、養父母さん達の為にも。
ゲームでは平民で孤児だったヒロインを養女に迎え入れた優しい子爵夫妻という説明しかされてはいなかったが、迎えた子を慈しみ、学園に転入出来る程の教育を施した子爵夫妻の事を考えるとヒロインがどんな子であろうとも退学に追い込むような事はしたくなかった。
この世界は結構教育機関が充実していて、平民でも学校に通える。
ヒロインも学園に転入してくる前までは平民が無料で通える職業訓練校に在籍していたという裏設定をファンブックで読んだ記憶がある。
職業訓練校と学園では学ぶ物もそのレベルも何もかもが違っていて、合格してくるだけでも凄い事だと思うのだ。
仮令それが「私はヒロインよ!」的な思考による熱量の賜物だったとしてもその努力は本物。
私達に関わってさえ来なければ普通に学園に通ってくれればいいし、寧ろ養父母さん達の為にも頑張って欲しいと心から思う。
「フェリーは優し過ぎる」
「あら?そうでもないですよ、ふふふ」
「俺の妻は最高過ぎるだろう」
何をもってして最高なのだか分からないが、褒められたようで嬉しい。
「フェリーは俺が守る…」
「私、守られているばかりの弱い女じゃありませんよ?」
「分かってる…でも絶対に守る」
「ふふふ…私もミューゼを守りますわ」
そう言うとミューゼ様は私を見てそれはそれは甘く微笑んだ。