「殿下、この度はこの非才なる身をお救いいただき誠にありがとうございます。
また、貴族の末席とはいえ、私の様な者が御前にまみえる機会をいただき、感謝に堪えません」
殿下と呼ばれた者の前に平伏する男は、まだ年も若く20歳そこそこの、どこか垢抜けない、貴族らしからぬ風体の男だった。
「構わぬ、其方のことは色々調べておる。無理に取り繕うこともないぞ。
楽に話せ、形式ばった言葉は宮廷の中だけで十分だ。
その方が私も落ち着くしな」
「ふうっ……、では、仰せのとおり」
そう言って男は、うんざりした様なため息を付くと、顔を上げて笑った。
「私もこういった宮仕えは柄じゃないんで……
殿下は何故、敗戦の責を問われ、牢に幽閉された末端貴族の放蕩息子なぞに、御用があるのでしょうか?
私はあのまま牢屋で読書三昧、そんな生活を楽しんでいても良かったのですが……」
「き、貴様っ! 殿下に対し無礼ではないかっ!」
「取り繕うことなく、楽に話せと仰っていただいたから、そうしたまでです。
貴方こそ、殿下のご意向に背く無礼者ではありませんか?」
激高した側近に対し、動じることなく、この若者は堂々と反論する。
「よせっ! 構わぬと申したのは私だ。しかし……、聞いてはいたが、なかなか面白い男だな」
そう言いながら、配下の者より受けた、この男の報告を頭の中で反芻する。
※
ジークハルト・ケンプファー、元アストレイ伯爵の一族で、父は男爵の地位にあった。
勇猛果敢で、アストレイ伯爵軍の参謀を務めた父親と比べ、周りの者の彼に対する評価は、すこぶる低い。
「彼に関して、良い噂は全く聞かないですね」
調査した者は彼の事を一刀両断に評した。
どこか頼りなさげなこの男は、20歳を過ぎても内政で父に貢献することもなく、軍務に就くでもなく、ただ毎日本を読み、読書に倦めば領内を騎馬で自由気ままに駆け、遊んで暮らしていた。
出来損ないの放蕩息子、ケンプファー男爵領の領民すら、彼のことをそう呼んだ。
昨年、カイル王国に対する出征では、急死した男爵に代わり、本人は嫌々、軍を率いて従軍したとも言われている。
アストレイ伯爵も、頼りにしていた男爵の急逝と、代わりにやってきた息子には、当初、大いに失望したらしい。
「ただ、戦地に赴いてから、伯爵の彼に対する評価は変わったようです」
調査にあたった部下はそれを付け加えた。
伯爵軍が、第一皇子の命を受け、慣れぬ魔境を進むにあたり、彼は多くの献策をしたという。
魔境の禁忌、そう呼ばれるものを、彼は何処からか調べあげていた。
当初は疑心暗鬼、だが、それに代わる代案もなく、伯爵はやむを得ず彼の献策を採用したらしい。
その結果、伯爵軍は魔境の畔を進軍したにも関わらず、無駄な被害や消耗もなく、戦えるだけの戦力を十分に保つことができた。
「その実績でもって、アストレイ伯爵の信を得て、最終決戦の頃になると、彼は伯爵より全軍の指揮を任されていたようです」
敗走する味方を発見した際、彼は伯爵に対し、直ちに合流する愚をたしなめた。
一旦距離を保ったまま、敗走する味方をやり過ごし、追い縋るカイル王国軍が通過するまで、じっと潜んでいた。
そして、目の前の獲物を夢中で追う敵軍の後背から、突如襲いかかることになる。
彼の指揮で伯爵軍は、予想外の襲撃に、慌てふためく敵軍を襲い、勢いに乗って一気に敵陣を突破した。
これにより、カイル王国軍は体制を整えるため、一旦追撃をやめ、結果として第一皇子の撤退を助けた。
その後、撤退する味方の最後尾を守り、追い縋る5倍の敵軍を翻弄し、味方が無事撤退できるように時を稼ぐと、機を見て後退。
自軍に大きな損害もなく、撤退戦をやりのけた。
「ところが、帝都で行われた、年初の会合の結果、伯爵は制裁を受け、彼の身にも再び変化が訪れます」
彼は唐突に、アストレイ伯爵軍が最終局面に遅参し、敗戦を招いた責を問われ、貴族の身分を剥奪のうえ、幽閉されてしまった。
彼を庇う立場にあった、アストレイ伯爵自身、同様に謂われもない処分を受ける当事者で、庇うこともできなかったらしい。
「ただ、彼は非常に変わり者でして……」
彼は、自身が受けた謂われなき罪に対しても、動じることなく牢に入り、悠々自適の生活を楽しむかのように、読書三昧の生活を過ごしていたという。
※
「見事な作戦指示で、奴の逃亡を助けたというのに、功に報いるどころか、仇で返されたこと、思うことはなかったのか?」
「そうですね……、雲の上の方々が決めた事です。
どうにもならない事を嘆いても、何も変わる事は無いので。
まぁ、多少は不便になりましたが、読書三昧の日々は、悪くはありませんでした」
「そうか、見込み通りの変わった奴だな。因みに卿は私の置かれた状況をどう見る?」
「正直に……、忌憚なく申し上げても?」
「ああ、それこそ是非、聞きたいものだ」
「失礼ながら、殿下はまんまと策に嵌められたと思います。
南と北、両方に敵を受け、分断する中央に居座るのは油断のならない大狸です。
残念ながら、この狸に生殺与奪の権を握られている現状は、かなり厳しいと言わざるを得ません。
矢は前からだけでなく、後ろからも飛んできますからね。
もうひとつ、殿下の軍は精強無比なれど、指揮されるものは残念ながら殿下おひとり。
南と北に首をもたげた、比類なき強さを誇る双頭の龍も、片方の頭に筋肉しか詰まっていない様では……」
「はははっ、ここまではっきり物を言う奴は初めてだ! 気に入ったぞ」
第三皇子は、怒りで顔に筋を浮かべ、赤くなった側近を見ながら、愉快そうに笑った。
「で、言うは易しだが、卿ならこの窮地、どう対処する?」
「両方を相手にできないなら、一方に【蓋】をするだけです。これで、龍の首を一方向に向ければ良いかと」
「具体的には?」
「それは……、殿下にもお考えはありましょう。私などが申しあげるまでもなく」
そう、第三皇子にも【策】はあった。
ただ、その策を任せる【人】が居なかったのだ。
第三皇子は黙って彼を見て考え込んだ。
一見無能に見えるこの男は、きっと俺を試しているのだろう。策を持たぬアホウなら、まともに相手もしたくない。そう考えているのかも知れないと。
「決まったな。私は卿を参謀、兼、一軍を率いる将として迎えるとしよう」
「わたしは、第一皇子派の、アストレイ伯爵の一族ですよ? よろしいのですか?」
「無事、今回の事が成れば、貴族としての身分を失ったアストレイも復権させよう。
そして、そなたには蓋として、活躍を期待している。
蓋さえ閉まれば、これまでより自由な立場で、読書三昧でも楽しむがよかろう。
それで足らぬか?」
「うーん……、面倒な事は好きではないんですよね、だが、伯爵のためでもあるか……」
彼はそう言って膝を付いた。
馬鹿正直に少しだけ、嫌そうな顔をしていたが。
この些細な人事を、帝国内で気にする者は誰もいなかった。
「酔狂な第三皇子が、また変わり者を召し抱えたらしいぞ」
そう笑い飛ばす者が、僅かにいた程度だった。
※
数か月後、帝国の北と南、その両方を任された第三皇子による、宮廷工作が開始された。
当初は、彼の示す指針に異を唱える者も多かった。
特に第一皇子側に属する陣営では。
「武に秀でた第一皇子、その配下で精強な親衛軍を以てしても、敵わぬ敵軍を、その半数の兵力で討つ栄誉、欲しければ貴様にくれてやる!」
そう言われて彼らは押し黙った。
結果として、第三皇子が南と北に兵力を割き、兵力分散の愚を冒さざるを得ない事実は変わらない。
むしろ、苦戦していた南側の戦線から、更に兵力を割くのだから、大きく弱体化するであろう。
その間に力を蓄え、兵力を再編成すればよい。そんな思惑で、第一皇子派も彼の指針をしぶしぶ認めた。
※
「さて、貴様の要望どおり、蓋の準備は整った。そちらは任せるので、手筈通り対応を進めよ」
「はい、では、私はゆっくり読書と昼寝を楽しませていただきます」
「蓋が閉まってからな!」
「もう閉まったも同然です。所で、あれはご用意いただけましたか?」
「ああ、あんな物で良いのか?」
「場所が変われば、物の価値も大きく変わります。わが帝国で魔物素材が貴重なのと同じことですよ」
彼の提言のひとつは、第三皇子には理解し難いものであった。
「それと殿下、あの策も本当にやるのですか?」
「ああ、今後のためにな。
信じ難い話だが、その可能性があれば、逆用して手を打っておくに越したことはない。
ブラッドリー配下の男爵からも、書状が来ていると言うではないか」
「まぁ色々調査してみましたが、多分その可能性は有りますね。
まぁ、でも、ちょっとでも目端の利く者が居れば、そんな小細工、ばれちゃいますよ?」
「その時は……、『間違えました』とでも言って、笑って誤魔化せ!」
「うーん、やりにくいなぁ。
一応、本物も用意しておきますからね。気付かれた時には、取り替えますから。
それで、良いですよね?」
「構わんよ、それぐらい知恵が回る奴が居れば、この先楽しみでもあるしな」
「僕は楽がしたいんだけどなぁ……」
彼の呟きは、いつものことと、当然の様に、第三皇子には聞き流されていた。
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本来は個別にお礼したいところ、こちらでの御礼となり、失礼いたします。
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お返事やお礼が追いついていませんが、全て目を通し、改善点など参考にさせていただいております。
今後も感謝の気持ちを忘れずに、投稿頑張りますのでどうぞよろしくお願いします。
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