意外な命令に私は戸惑っていた。
メイド達を取り仕切る家宰のレイモンドさまから言い渡されたのは、想像もしていない指示だった。
「アン、今日より貴方は正式にソリス男爵家のメイドとなります。同時にタクヒールさまに専属メイド兼護衛としてお仕えしなさい」
私はいずれ男爵家を継ぐ長男ダレクさまにお仕えすると思っていた。
それを目標にこれまで厳しい訓練も耐え抜いてきた。
母からは将来筆頭メイドとなれるよう厳しく躾けられ、父からは護衛として、また戦陣にもお供できるよう、日々激しい戦闘訓練も受けて来た。
レイモンドさまの指示は、今まで私が目標にしてきたこと、それらが全て覆ってしまう内容だった。
正直、私はタクヒールさまが好きではない。
言動や振舞いには領主貴族としての自覚が全くない。
子供だから仕方ない、と思うかもしれないが、お仕えし日々の様子を見ると、明らかに子供らしくない、十分大人といって差し支えない振舞いが多々あった。
見た目は5歳の子供。
でも行動や思考は明らかに5歳ではない、十分大人のするそれだ。
時折わざと口調や態度を子供っぽく装う様子も、私からすると見え透いていて、逆に嫌悪感さえ覚えたくらいだった。
子供ではないなら、と考えを改めると、今度は貴族として自覚に欠ける行動が目に付く。
それが表に出ない苛立ちとなり、慇懃無礼に対応していたように思える。
「もう少し貴族として立ち振る舞いをお考え下さい」
お仕えして早々にこの言葉を言うのは諦めた。
代わりに淡々と
「男爵家の方から、このように気安く、まるで庶民の子供のように接してもらえれば、相手も貴族と畏まることなく安心してお相手できますね」
もちろんこれも諫言だ。
こういう意地悪な言い方しかできなかったのは、目標を失った自分への苛立ちと、不気味な子供に対し意図的に距離を取りたかったのだと思う。
だが、ふとある時、タクヒールさまに対する私の気持ちが変わった。
彼は彼なりに必死に、エストール領の未来を考えている。
多くの本を読み、蓄えた英知をソリス男爵家の未来に捧げようとしている。
そのことに気づいたからだ。
彼の突飛な行動も、その目的のための努力の一端だと理解できた。
彼がよく訪れていた工房は、職人気質で貴族が相手でも媚びることはない。
その彼らが、タクヒールさまの貴族らしくない行動で、いつの間にか打ち解け、今では逆にタクヒールさまに敬意を以て接している。
かたや私は個人的なことで拗ね、矮小な考えで、何の罪もない子供に当たっていたのだ。
タクヒールさまは、そんな私にも変わらず接してくれていた。
本当に恥ずかしい。
子供だったのは私だと気づかされた。
・見たことのない【水車】という物の開発から始まり
・【乾麺】という新しい携行保存食
・【大豊作】を逆手に取った【義倉】の設置
・先を読んだ男爵家は常に商人に対して優位に立ち
・【蕪】という誰も見向きもしなかった食料の活用
・まるで予期していたかのような翌年の【大凶作】
一連の流れを知っていれば、誰でも震えがとまらなくなるだろう。
全てが最初の一手から連動しているのだ。
そして困窮した民には、分け隔てなく救いの手を差し伸べる【難民施策】、ただ与えるだけではなく、自立の道もちゃんと考えられている。
この人こそ君主たる器をお持ちだ。そう思った。
そして次は、誰もが思いもよらなかった、敵国の侵攻脅威を予想し、強力無比な【新兵器の開発】を行っている。
この方のお考えは、いつも私の想像の遥か上をいっている。
そして私は気付いたのだ。
10歳も年下で、まだ年端もない子供に、私は尊敬の念をいだいているのを。
「わが命にかけても、全身全霊を懸けてお護りいたします」
無意識に出た言葉であった。任務として与えられ、復唱するかの如く言う内容ではない。
私は誓った。
タクヒールさまの一番の理解者となろう。
彼の成そうとすることの助けになるよう、積極的に手を差し伸べようと。
以前は目くじらをたてていた、貴族らしくない行動、もう、そんなものどうでもよい、そう思ってきた。
いつものように、今日のタクヒールさまの行動、についてレイモンドさまに報告した。
できる限り客観的な報告を、と心がけているが、最近は熱く語ってしまうこともある。
報告が終わり、レイモンドさまが意外なことを言ってきた。
「アンはタクヒールさまの2番目の崇拝者になりましたね」
咎められると思い、身をすくめた私に、彼は優しい笑顔を浮かべていた。
「2番目の……?」
「私は1番の座を譲るつもりはありませんよ」
そう言ってレイモンドさまは優しい笑顔を浮かべた。
私が敢えてダレクさまではなく、タクヒールさまの専属になったのが、今はっきりと分かった気がした。
そして、その任務を与えてくださった、レイモンドさまにも改めて感謝した。
最後に感謝の気持ちを込めて、お伝えした。
「私も1番になる自信があります。重大な任務をお任せいただいたレイモンドさまには恐縮ですが……」