「急報っ! 新関門のエラン様より急報です。
フラン側街道を、ヒヨリミ子爵軍と思われる軍勢が、新関門目指して進軍中とのことですっ!
その数……、およそ1,000っ!」
「1,000っ! そんな……」
ミザリーは酷く狼狽して言葉を失った。
これまでヒヨリミ子爵は、幾度となくあった戦役でも、従軍させていた兵士は600名だった。
その事実が、ここに至るまでの彼らの判断を誤らせていた。
「1,000だとっ!
過去の出兵数も遥かに超えているではないか!
奴ら、領内を空にしてまで、こちらに押し寄せていると言うことか……」
ゲイルも驚きの声を上げた。
彼はこれまで幾度もなく隣領に間諜を放ち、ある程度正確と思われる兵力を、把握していたつもりだった。
兵力とは勝手に湧き出るものではない。
何処からか、かき集めたのだろう。
領民の件といい出兵数といい、ヒヨリミ子爵は自身の領地を潰す覚悟なのか?
彼は戦慄し、そう思わずにはいられなかった。
「エランさんの元には100名の守備兵しか居ません。急ぎ増援を送らないと!
新関門にはヨルティアさんも居ます。もし、彼女の身に何かあったら……」
ミザリーは不安げに、悲愴な声を上げた。
「ここまでとは……、予想を超えられてしまったな。
いくら鉄壁の城壁に守られているとはいえ、真下に取りつかれれば100名程度の兵では全く対処できん。
魔境側と、テイグーンに残る兵を、急ぎ新関門に振り分けるしかないが、しかし……」
クリストフは悔し気に唇を嚙み締めた。
「自警団から今動かせるのは、100名程度です。
後は、感染者の対応で必要な者と、感染者の対応中に疫病に感染してしまい療養中です。
この100名を魔境側関門に移し、キーラさんに預けましょう。
残った駐留軍と辺境騎士団の全てを、新関門に!」
クレアの提案は、直ちに実行に移された。
ヒヨリミ領からテイグーンに流れてきた疫病の感染者たちの対応、同じく領内他地域へと流入した感染者の対応支援、それらで彼らの兵力も人手も、既に限界に近い状態だった。
もうできうる事は限られていた。
頼みは、エストの街に駐留している、ソリス子爵軍の援軍だけだった。
そのことに一縷の望みを託し、彼らは必死の努力を続けた。
※
だが、彼らを取り巻く現状は残酷だった。
この少し前から、エストの街も大混乱に陥っていた。
流入するヒヨリミ領の感染者の対応は、テイグーンからの応援で何とか順調にできるようになった。
不運だったのは、感染者対応を進めるなか、クリシア、ダレン、クリスと、指揮を執る者が次々と感染し、圧倒的な指導者不足の状態に陥っていたことだ。
そして、孤軍奮闘していた家宰までが、とうとう病に倒れた。
幸いにも、次男からの情報、教会での清めの儀式が功を奏し、彼らは重症化することなく病状は安定し、大事に至ることはなかった。
だが、一時的に首脳部全員が病床に伏す事態となり、指揮系統は機能不全を起こしてしまっていた。
後日になって、もし、ヒヨリミ子爵軍がテイグーンではなく、エストを目指していれば、エストは簡単に陥落し、ソリス子爵家一家の命運は尽きていただろう。
そう仮定し評される程、混乱していた。
そんな中、ゴーマン子爵から侵攻を受けている旨の報告と、コーネル男爵からは援軍の依頼が到着した。
残されたエストの行政府の人間は、必死に対応を進めたが、疫病ではなく過労で倒れる者が続出した。
祈るように人々が彼らの戦線復帰を望むなか、ソリス子爵が真っ先に病床から復帰した。
ダレンは号令を発し、エストの街と領内西側から兵力を糾合、なんとか400名の兵力をかき集めた。
だが、それでも他の領地に回す余裕はない。
テイグーンからの援軍30騎を加え、200名をエストの守備に残すと、彼は、領内東側及び南側の兵力を糾合すべく、230騎の兵力でフランに進出した。
そこでテイグーンから派遣された各部隊、計170騎と合流し、ダレンの総兵力は400騎となった。
ここに至り、この方面に進出したヒヨリミ子爵軍の総数が約1,000名にものぼることを、ダレンは知った。
自軍の倍以上の敵軍の情報に、彼は耳を疑い、ヒヨリミ領にかくも多くの兵が居たことに驚愕した。
この方面に兵を1,000名振り向けて来たとなると、ヒヨリミ軍の総数は1,400名を超えるだろう。
ダレンはそう予測し、焦りを募らせていた。
ヒヨリミ軍のエスト方面の進出を阻むこと、彼にはそれで手一杯となってしまった。
「すまぬ! あと少し、なんとか持ちこたえてくれ。せめて敵の半数以上の兵力が集まるまでは……」
そう呟き、彼は祈ることしかできなかった。
彼自身、半数以下の兵力で無謀に突進し、全軍の崩壊を招くことは避けねばならず、この苦渋の決断に身を震わせていた。
※
一方、新関門では、双方の睨み合いが続いていた。
攻め寄せたヒヨリミ軍は、決して攻略を急ぐことはなかった。
砦を包囲しただけで、最初の一夜は何もすることなく過ごした。まるで、何かを待っているかのように。
翌日になって、ヒヨリミ子爵は、防御側が新たに増援を派遣し、その結果、防衛部隊は約300名程度になったとことを確認してから、行動に移った。
「ふん、まんまと全軍をこちらに寄こしおったわ。我らにとっては好都合とも知らずにな。
例の作戦を展開せよ!
奴らを一気に葬る段取りも、これで全て整ったわ」
そう言って部下に指示を出した。
「砦の工事にも、我らの間諜は人足として参加しておったこと、気付いておらなんだのが運の尽きよ。
その時点で、この砦は陥ちることが決まっていたようなものだからな」
ヒヨリミ子爵は、遥か前方で堂々とそびえ立つ、砦の城壁を見ながら毒づいた。
※
新関門と呼ばれる砦内では、少数であっても、増援があったことで、いくばくかは士気が上がっていた。
彼らにとって、此処は鉄壁の砦だという自負もある。
だがそこに潜む、急所を知る者は少なかった。
「エラン様っ! 水場より報告が入りました。
魚が、魚が全て死んでおります!」
慌てて報告を行う兵士の前でも、エランは落ち着いていた。いや、静かに激怒していた。
「やっぱり非道な手で来たんだね。タクヒールさまの言った通りだ。
あいつら、絶対に許さない!
ここにはヒヨリミ領の領民たちもいるのに……」
エランの対応は迅速だった。
まるで想定されていた行動のように。
「水場の水は全て下水に直結して! 毒が混じっているから、誰も触れないように注意してね。
飲料水だけじゃなく、全ての水は井戸水のみで対応すること、全員に急ぎ伝えて!」
タクヒールは、エランからこの砦の建設案を聞いた当初から、その弱点を認識していた。
遠くの川から水路で水の手を引く。これは平時であれば問題ないかも知れない。
だが、新関門(砦)は防衛施設だ。
敵軍に包囲されたり、侵攻されたりした際の拠点として運用されなくてはならない。
それを考えると、この水路は致命的な弱点となる。
だが、彼は修正案を追加したものの、基本計画は敢えてそのままにした。
敢えて、水路の隠蔽作業も行い、その努力もした。
彼は、工事に人足が関わる以上、情報は必ず洩れる。そう予想していた。
であれば、洩れる前提で嵌め手を考える、そのことに考えをシフトしていた。
タクヒールの指示により、水場の手前に水のたまり場が作られ、そこに元の川で捕獲された魚が放たれた。
魚たちには申し訳ないが、警報機の役割を果たしてくれるだろう。
彼はその事を、エランと一部の者にだけ伝えていた。
「えっと、これから皆で偽装を始めるよ!
兵士は少しずつ減っているように見せるため、城壁の中に隠れて、姿を見せないようにして。
逆に、夜は篝火を一気に増やして。少人数で、沢山の篝火を灯しているよう、わざと時間を掛けてね」
こうして、間もなく新関門の戦いが始まろうとするころ、テイグーンの首脳部は更に衝撃的な報告を受けることとなった。
※
「急報っ! 魔境側の関門より急報ですっ!
見晴台にて、テイグーンに向けて隘路を移動する軍が確認されました!
その数、五百前後と思われます。急ぎご指示を!」
対策本部に詰めていた、ミザリーとクレアにとっては、もうダメ押しの衝撃だった。
「五百っ!」
クレアはあまりの数の多さに衝撃を受け、続く言葉が出なかった。
前回は3,000名もの敵軍を退けた実績がある。
だが、その時は十分に対策を検討した魔法士たちが、幾重にも張った罠を活用する事ができた。
そして、健康な100名の兵士と500名の自警団がいた。
今はあの時とは全く違う……
自警団は疲労のピークにあり、街に住まう者たちも疫病の対応で疲れ切っている。
何より、疫病の蔓延のため、大規模な動員ができない。
何もかもが一杯一杯の状態だった。
「ダメっ! もう……、できないっ!」
ミザリーが思わず叫び、その場に崩れ落ちた。
「タクヒールさま、ごめんなさい。私たち……、守れないかも。本当に、ごめんなさい……」
クレアは膝を付き、泣き出しそうなミザリーを抱きしめながら、自身の不甲斐なさを呪い、この場に居ない夫に詫びた。
頼るべき首脳陣は、彼女たちを除く全員が、新関門に進出して防衛戦に従事していた。
魔法士の多くも、各所に分散し、対策本部には僅かな人数しかいない。
そして魔境側の関門には、キーラ率いる傭兵団50名と、疲労困憊の自警団が100名のみ。
難攻不落のテイグーンも、両端を抑えられれば、逃げ場がなく、どちらかが破られれば蹂躙されてしまう。
彼女たちには、もう打てる策がなかった。
こうして、テイグーンはこれまでにない絶体絶命の窮地に陥り、その指揮官の戦意は砕けつつあった。
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◆魔法士派遣先
〇東部戦線派遣部隊:13名
風魔法士 :ゴルド、アラル、リリア、ブラント、フォルク
火魔法士 :マルス、ダンケ
聖魔法士 :マリアンヌ、ラナトリア
時空魔法士:バルト
闇魔法士 :ラファール
水魔法士 :ウォルス
地魔法士 :アストール
〇王都残留:2名
地魔法士 :メアリー
水魔法士 :サシャ
〇テイグーンの街:3名
火魔法士 :クレア
氷魔法士 :キニア
聖魔法士 :クララ
〇新関門:7名
風魔法士 :クリストフ、ゲイル
地魔法士 :エラン
重力魔法士:ヨルティア
聖魔法士 :ティアラ
光魔法士 :レイア
音魔法士 :シャノン
〇魔境砦:1名
地魔法士 :マスルール
〇フランの町派遣部隊:3名
聖魔法士 :ローザ
火魔法士 :クローラ
風魔法士 :イリナ
〇エストの街派遣部隊:4名
風魔法士 :カーリーン
聖魔法士 :ミア
水魔法士 :アイラ
時空魔法士:カウル
〇東部辺境区派遣部隊:4名
聖魔法士 :ミシェル
火魔法士 :イサーク
地魔法士 :ライラ
風魔法士 :カタリナ
ご覧いただきありがとうございます。
次回は【神経戦の始まり】を投稿予定です。(3月以降当面の間、隔日投稿となります)
どうぞよろしくお願いいたします。
※※※お礼※※※
ブックマークやいいね、評価をいただいた皆さま、本当にありがとうございます。
凄く嬉しいです。
毎日物語を作る励みになり、投稿や改稿を頑張っています。
誤字のご指摘もありがとうございます。いつも感謝のしながら反映しています。
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また感想やご指摘もありがとうございます。
お返事やお礼が追いついていませんが、全て目を通し、改善点や説明不足の改善など、参考にさせていただいております。
今後も感謝の気持ちを忘れずに、投稿頑張りますのでどうぞよろしくお願いします。