テイグーンでタクヒールの帰還を待った、時季外れの収穫祭が行われていた折、新たに交易を行うために初めてカイル王国を訪れていた商隊の面々は、その盛大さに半ば呆気に取られていた。
「なぁハリムよ、ここに来るまでお前の言葉も話半分で聞いていたが……、確かにここは凄ぇな。
この街が辺境にあり新しく作られたばかりの街だなんて、とても信じられねぇよ」
「ああ、実は俺もそうだ。
最初は小さな街だと思ったが中身は桁違いだな。こんな所と交易できるなんて、俺たちはついてるぜ。
ヨルティア様は俺たちにとって、幸運の女神さまさまってことだ」
祭りの一環で振舞われた、カレーライスという食べ物に舌鼓を打ちながら、遠くフェアラート公国から訪れた交易商人たちは、しみじみと話していた。
彼らがここに至る経緯は、まさに奇縁としか言いようがなかった。
ハリムは元々、フェアラート公国東端の交易都市、サラームのしがない露天商でしかなかった。
半分はまっとうな商売、半分はそうでない商売、取引では交渉が当たり前の世界で、騙しあいも交渉術のひとつだった。
そんな世界をハリムは必死に生き抜いてきた。
それがある日、絶好のカモに出くわした。
旅装だが、身なりのきちんとした異国の女性に、その護衛と思しき男が4人。
金持ちは貧乏人に分け前を与えて当然のことだ。
砂糖なんて普通の人間には口にすらできない物が、壺一杯に入っていて、その女は交渉の対価、情報料としてそれを払うと言ってきた。
こういった金持ちからのお布施は、ありがたく頂戴するのがこの街の習わしだ。
屈強の仲間たち10人で取り囲めば、簡単に巻き上げることができるだろう。
もちろん命までは取らない。
貧しい俺たちへのお布施として、砂糖を大人しく渡してもらうだけだ。
これも、この街で生きていくための勉強料として、金持ち連中が払う当然の対価だ。
だが女は思いも寄らぬことを言ってきやがった。
『ここだけの内緒の話だけど、この人たちみんな隣国の高貴な方にお仕えする魔法士だから……
変な所に連れて行って、怒らせちゃダメよ。悪い人たち、みんな黒焦げにしちゃうからね』
……
そうだ、やはり無理やりは良くないな。
魔法士に喧嘩を売るなんて、黒焦げになるのが俺たちの勉強料では、とてもじゃないが割が合わない……。
俺は考えを改めた。
そういう話なら、他にも手はまだある。
ここの役人でも、鼻薬を嗅がせれば、都合よく動く奴を俺は何人か知っている。
盗品とでも密告して捕縛してもらえれば、分け前は減るが、それも楽な仕事となるだろう。
国外の人間なら、そうそう無実の証明もできない。
最終的には証拠不十分で釈放、そうなるだろうが、砂糖はもちろん手間賃代わりに没収される。
余所者は、こうして世間の厳しさを知り、強かに生きる術を勉強していくのだ。
だが……
『私たちの主人はこの国の伯爵様が案内しているの。
役人と組んで悪いこと企んでいる人は、その役人たちも一緒に首を切られてしまうから気を付けてね。
関門を通る時も、賄賂を要求した役人が首を切られそうになっちゃって、慌ててご主人様が止めたのよ』
……
何だとっ? それを先に言えっ!
確かにこの街をフレイム伯爵が訪れており、来賓の一行を案内していると聞いた。
俺たち露天商には、そんな情報を含め、様々な情報が入ってくる。
それを商売に生かすのも、商売人の才覚のひとつだ。
あの伯爵は、元々近衛部隊で名を馳せた男で、役人の不正にはとても厳しいと聞いている。
悪徳役人どもは奴のことを、首切り伯爵、そう呼んで恐れているぐらいだ。
そうだな……
せっかくこの国に招かれて、来てくれたんだ。
云わばこの国の友達、であれば俺の友達だ。
友達なら勉強料を取る訳にはいかない。
やっぱり、友達は大切にしないとな……
正しく商売のうえ、砂糖をいただくとしよう。
ここはあまり気が進まないが、裏の元締めの所に案内するしかないだろう。
俺たちより強欲で陰湿な男だが、確かに望まれた商品を抱えているのは知っている。
奴はいつも、高値で売れそうな商品を力を使って買い占め、それが何倍にもなって売れる機会を待っているような男なのだから。
案内さえすれば砂糖がもらえるのだから、交渉の成果など俺の知ったことではない。
「案内さえすればいいんだな?
確かに持っている奴はいるが、商売は交渉だ。上手くいくかどうかなんて、俺は責任持てないぜ?」
「もちろんよっ!
私たちが欲しいのはその情報。案内してくれて、相手が持っていると分かった時点で、この取引は成立よ」
「じゃぁ決まりだ。付いてきな」
俺はしぶしぶ、内心ではウキウキしながら、裏路地の奥にある元締めの店まで案内した。
こんな簡単な仕事でボロ儲けができるのだから。
ここの元締めは、表向きはこの街の露天、商店、宿屋、娼館、人足の口利きや揉め事の対処などを仕切っているが、裏では金貸しや恐喝、それ以上の犯罪なども取り仕切る、この街の裏の顔役の一人だ。
「ほう? ハリムが客を紹介するとは珍しいな?
確かに俺は、クリムトの鱗を、それも極上品を100枚以上持っているが、対価は支払えるのかね?」
そう言って案内した女を、元締めは舐めるように粘着した視線で見ていた。
そうだった、気が動転して忘れていた。この女は飛び切りの美人、そして元締めは飛び切りの女好きだ。
「ええ、有るわよ。貴方が正当な取引をする気なら、十分なお釣りがくるくらいにね」
女のほうも全く動じていなかった。
この女、よっぽど阿呆か、よっぽど修羅場をくぐってきているのか、そのどちらかだ。
「そうだな……、あんたなら譲ってやってもいいが、俺たちも色々物入りでな。一枚あたり金貨30枚だ」
「あら? 私の聞き間違いかしら。
ゼロが一つ多い気がするわね。多少色を付けるとしても、1枚金貨5枚が妥当なところじゃない?」
いやいや、それは無理な話だ。
あの強欲な男が正規の値段で売るわけがない。
しかも、金だけでは手に入らない貴重品だぞ。
「ふん、条件次第では一枚当たり金貨20枚にしてやらんこともないが……」
「5枚よ。そこは譲らないわ。
100枚以上売ってくれたら、お礼にそれなりの物を付けるわ。この国ではまず入手できない風の魔石よ」
女はそう言って、袋から2個の魔石を取り出した。
「なるほど……、なかなか肝の据わった女だな。
俺たちは、なにも売らずこの魔石を2つとも頂戴することもできるんだが、それでも良いのかな?」
元締めはそう言うと、右手を上げた。
配下の男たちが、ぞろぞろと俺たちを取り囲み始めた。
いや、姉さん、こりゃだめだ。
もう大人しく魔石を置いて帰るしかない。これは、この街の裏の仕来たりを知る勉強料だ。
ここには死ぬのも恐れない、腕っぷしのいい奴らが30人はいる。
例え何人か魔法士がいても分が悪い。
「ふふっ、ヨルティアさん、やりますか?」
おい! なんてこと言うんだ。
アラルとか呼ばれていたこの男、小さく呟くと事も無げに剣を抜こうとしている。
何故この状況で、楽しそうに笑っていやがる?
「まぁ、奴らも自業自得、そういうことでしょうな」
ウォルスと呼ばれていた大きな男も、ため息を付きながら笑って大剣を構えようとしている。
こいつら全員、頭がおかしいのか?
他の2人の男も、ビビるどころか薄ら笑いさえ浮かべ、戦いの態勢を取り始めている。
30人を超える荒くれ者たちを前にして、誰もが全く動揺しちゃいねぇ。
巻き添えを食って殺されるのは、勘弁して欲しい。
俺はひとり、少しずつ後退りをして逃げる準備を始めた。
「まぁ任せて。まだ交渉は始まったばかりよ」
いや、一番頭がおかしいのは、この姉さんだ。
この人数で元締め相手に交渉だと?
できる訳がないのに、笑っていやがる。
脅されているにも関わらず、元締めの前まで無防備に進み出やがった。
「楽しい歓迎ね。でも、それはお勧めしないわ。
私も大事な取引先が、首だけになって取引できなくなるのも困るのよね。それに、寝覚めも悪いわ」
「はははっ!
えらく威勢の良い姉さんだな。気に入ったぜ。
金貨15枚と、その魔石2個だな。それ以下は無理だ。
だが……、まぁ、こっちの条件を飲めば金貨5枚にしてやらんでもないぞ」
「あら、ありがとう。
私も思い切りのいい男性は、嫌いじゃないわよ。
金貨5枚の条件は?」
「なーに、簡単なことだ。
せっかくだし俺と勝負しようや。
掛け金は鱗120枚と、姉さん、あんた自身だ。勝負に勝った方がそれを貰う。
俺の配下と組み合って1対1で戦い、降参するか、組み伏せられたり、動けなくなった方が負けだ。
後ろの護衛の男が出た場合は、勝てば金貨10枚、姉さんが出て勝てば金貨5枚にするが、どうだ?」
「ヨルティアさん、それはダメです!
奴は接近戦ならうまく魔法が使えないことを知っているのでしょう。組み合ってしまえば猶更です」
後ろに居た護衛の男が、姉さんを制した。
「ウォルスさん、大丈夫だから任せて。
その勝負受けたわ。出るのは私だから金貨5枚で120枚、売ってもらうわよ」
そう言って女は躊躇いもなく前に進み出た。
いや、絶対だめだ。
元締めの所には、バカでかい怪力男がいる。
俺は今まで、あの男に締め上げられて、屈強な男たちが無様に悲鳴を上げているのを何度となく見てきた。
「ほう、見てくれだけでなく、なかなか度胸もあるな。躾は必要そうだが、それも楽しみのひとつか……
おいお前、いつもと違って骨まで砕くんじゃないぞ。
この姉さんはこの後、じっくり俺の相手をしてもらわないとならねぇからな」
もう元締めは勝ったつもりで舌なめずりをしている。
彼の傍らから、予想通りあの怪力男が出てきて、姉さんと向き合い手を組み合わせた。
姉さん、もうダメだ。
俺はもう、見ていられなかった。
だが、目を逸らそうとしたとき、信じられないことが起きた。
元締めの合図があった瞬間、彼女が身を屈めた。
その瞬間、大男が宙を舞ったかと思うと、大きな悲鳴を上げて背中から派手に地面に叩きつけられていた。
「んなぁっ?」
元締めは、驚きの声を上げただけで、座っている椅子から全く身動きできず青い顔をしている。
「さて、これで取引成立ね。
約束通り、魔石も2つ付けてあげるわ。
約束を破るようなら、一生そこから動けなくなると思うけど……、異存はないわよね?」
「う……、や、約束は……、確かに守る」
元締めは何故か苦しそうに、なんとか言葉を吐いた。
俺には意味が分からなかった。
何故、怪力男が羽根みたいに軽く宙を舞ったのか?
何故、落ちるより早く地面に叩きつけられたのか?
何故、怪力男は身動きひとつできないでいるのか?
何故、元締めは苦しそうに椅子から動けないのか?
傍で見ていた俺の疑問をよそに、取引は無事成立し、なんとか俺たちは元締めの屋敷を出ることができた。
「さて、今日はとてもいい取引ができたわ。
はい、約束通りこれは案内のお礼だから受け取って。
貴方の情報は確かだったわ。これからも何かあったらよろしくねっ」
砂糖の詰まった壺を渡し、笑顔で姉さんは微笑んだ。
やばい、その笑顔、反則だろ!
この時から、俺の中でヨルティア様は、美しい客の姉さんから、尊敬すべき姐さんに変わった。
そして俺は、姐さんの漢っぷりに惚れた。
この人の胆力、商人としての筋の通し方、この先もこの人の役に立ちたい、そう思った瞬間だった。
翌朝一番に、その願いが叶う機会があった。
再び俺の露店を訪れた姐さんは、前金として金貨10枚を渡し、その倍額で買える範囲で、指定された数種類のスパイスを、買い集めるよう依頼してくれた。
その後、姐さんが帰路に立ち寄るまで、俺は仲間と手分けして必死に商品をかき集めた。
もちろん、それらは高級飲食店が仕入れるような上物ばかりを、安く買い占められるだけ買い占めた。
色々とこだわったせいで、仕入れだけで金貨20枚になってしまったが、砂糖の恩もあるし、俺にはもう儲けなんてどうでも良いことだった。
そうして、帰路サラームに立ち寄った姐さんに納品に行ったとき、目を丸くして驚かれた。
「ハリムさん! 私も王都で色々見て来たから分かるけど、この量と品質なら仕入れだけで金貨20枚ぐらいいったんじゃない? 大丈夫なの?」
「いやね、お世話になった漢気溢れる姐さんの、驚く顔が見たくてつい頑張っちまいましたよ。
お約束通り、金貨20枚でお引き渡しします。
でも流石姐さんですね。一目見て素材の質や仕入れ値が分かっちまうんだから」
姐さんの目利きも嬉しかった。
商人としての仕事を、正しく評価してくれたと感じた。
「でも……、いいの? 何だか悪いわ」
姐さんは凄く申し訳なさそうな顔をしていた。
そこで俺は、思い切って以前から考えていたことを打ち明けることにした。
「その代わりにひとつ、お願いがあります。
俺らはしがない露天商ですが、この際まっとうな商売を始めようと思いましてね。
同じ仲間を集め、交易商人になろうと思っています。
商会名に姐さんのお名前をいただき『ティア商会』と名乗らせてもらえませんか?」
「へぇ、彼がヨルティアの言ってた露天商か。
せっかく彼女の名前に因んだ商会になるんだし、俺からも何か発注しないとね。
妻のことを褒めてくれたこともあるし、商会設立の祝い金でまず金貨を10枚出すよ」
俺はここで初めて、ソリス魔境伯と面識を得た。
流石、姐さんのご主人だけあって気風もいい。
それにしても……、今なんと? 妻?
いや、まさか……、姐さんも貴族様なのか!
驚く俺に貴族様は言葉を続けた。
「交易商人の手始めに、今回と同じ種類のスパイスを、今後もうちの領地と取引してくれないか?
前金で金貨50枚、残りは届いた時に清算する形で。
ちゃんと利益と輸送費を乗せてくれて構わないし、他にもこの国の情報、俺たちが知りたい内容などを色々伝えてくれたら、礼金は更に上乗せするけど、どうかな?」
「よっ、よ、喜んで!」
前金で金貨50枚だとっ!
しかも、値切るどころか、利益と輸送費をちゃんと乗せろって言ってくる客など初めてだ。
俺はあまりに混乱して、短い返事しかできなかった。
俺たちはしがない露天商だが、それでもある程度は、この国の動きや商売の流れ、表だけでなく裏の世界の話にも通じている。
それにも情報料として対価を払ってくれると言うのか?
俺の周りには、そんな事にうってつけの男たちが沢山いる。なのでもちろんそれも問題ない。
「あ、早速で申し訳ないけど、王都で見つけた食材で欲しい物が有るんだけど、追加の注文で買い付けをお願いできる? こちらも前金で金貨20枚を支払うよ。
もし、間に合うようなら、俺たちと一緒に領地に戻らないか? 今後の道案内もできるし、往路はどこも問題なく通過できるよ。帰路は俺から通行証を出すし……
できそうなら、明日も此方にもう一泊して待つけど、どうかな?」
「は? はいっ!
死ぬ気でかき集めます! 是非やらせてください!」
俺はこの商機に飛びついた。
仲間をかき集め、方々に手を尽くしてなんとか対応すべく全力で取り組んだ。
時間が惜しかったので、件の元締めにも声を掛けた。
「ハリム……
お前まさか、あの女の懐に飛び込んだのか?
カイル王国の魔境伯か……、商品を安く流してやってもいいが、条件がある。魔境伯と誼を通じろ。そして彼方の砂糖を俺の分も仕入れて来るんだ。いいな?」
何故か強欲な元締めが、青い顔をして相場通りの値段で商品を流してくれたのは不思議だった。
あの男も商売人には変わりないし、きっと何らかの商機を見出したのだろう。
俺は何とか大急ぎで商品と仲間をかき集め、借りた荷馬車にそれらを詰め込むと、ソリス魔境伯一行と共にサラームの街を出た。
これがティア商会の設立と、隣国カイル王国魔境伯さまの御用商人となる始まりだった。
俺たちは経験のある仲間たちと商隊を結成し、その後も定期的に大量のスパイスと公国の産品を積んで魔境伯領に出掛ける。帰路は、魔境伯領産の砂糖や米、その他商品を載せサラームへと運ぶ。
俺たちティア商会は、この交易を通じて名を挙げること、その目途も立ちそうだった。
持ち帰った物は全て、サラームにて高値で売れるので、こんな効率のいい商売なんて他にはない。
さらにヨルティア様に公国の内情や風聞など、仲間が集めた情報を報告するだけで礼金がもらえる。
今回も情報料として、驚くほどの礼金をもらった。
それらだけではない。
一度訪れただけで、住みやすいこの街は仲間たちにも人気が高く、誰もが喜んで次回の交易にも参加したいと、まだ帰路にもついていないのに手を挙げている。
その気持ちは俺にも分かる。かくいう俺自身も、こちらに移住したいと思ったぐらいだ。
フェアラート公国内とここテイグーンに店舗を設け、それができれば俺はテイグーンの店舗に根を下ろそうとも考えている。
俺はいずれ、そんな日が来ることを、今は心から願っている。ヨルティア様に日々感謝しながら。
ご覧いただきありがとうございます。
次回は『驚愕の知らせ』を投稿予定です。
どうぞよろしくお願いいたします。
※※※お礼※※※
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