広大なグリフォニア帝国領の西側を南へと急いでいた一万騎もの軍勢は、遂に帝国領南西部、第三皇子の勢力範囲まで辿り付いていた。
彼らは、荒涼とした不毛の荒地が続く一帯を駆け抜けていた。
「皆さま、これよりやっとグラートさまの勢力範囲に入りました。
ですが、逆にこれより一層の警戒が必要となり、食料等の補給は受けられなくなります」
『味方の勢力範囲に入ったのに逆に?』
俺はそんな思いに駆られ、一瞬だが不思議な顔になっていたのかもしれない。
「勢力範囲内だからこそ、戦場に近づいたと言う訳ですな?
そしてここは……、既にエラル騎士王国との国境に近いと?」
団長の言葉に、俺は改めてジークハルトから渡されていた帝国領を示す地図を脳裏に浮かべた。
アクセラータの言葉に従えば、既にエンデ方面に進出した彼らが本国と自軍を繋ぐ哨戒ラインを構築していても不思議ではない。
「本来なら国境にあたるこの地に、辺境伯領なり伯爵領なりを置き、国境を防備に当たらせることが道理なのですが……」
そう言うとアクセラータは周辺に広がる荒地を見渡した。
俺たちも改めて、ごろごろとした岩石が露出し、所どころに灌木が生えているだけの大地を見た。
「この一帯の大地は農耕に向かず、更に川がなく井戸を掘るのも難しく……」
なるほど……
人が生きるには水が不可欠だが、それがないと生活ができない。
仮に地下水脈があったとしても、この岩だらけの土地では地魔法士でもいないと相当難しいだろうな。
「故に誰かの領地として預けることも叶わず……、取り急ぎ皇帝陛下の直轄領として隣国の緩衝地帯になっております」
「そうか、こんな土地なら守るだけ無駄。誰も欲しないということか」
「タクヒールさまのお言葉通り、エラル騎士王国も似たような状況と聞いております。
ただ彼方は、周囲を取り囲む山よりの恵み(水)があるため、少しだけましと聞いておりますが……」
「子爵閣下はよくご存じですね。
仰る通りです。故に騎士国の産業は人、傭兵を各国に派遣することを生業としているわけです」
「では国境防衛はどのように?」
「団長、それは多分あれかな?」
俺は地平線の彼方に見える、狼煙台のようなものを指さした。
次はあそこに立ち寄るのだろうか?
「公王陛下のご指摘の通りです。
我らはあれを迂回しつつ南へと進みます」
あれ? 立ち寄らないの?
俺は思わずそう思ったが、別に事情もあるようだった。
「アレは周辺を監視するものですが、アレ自体がいずこから監視されている可能性もあるので。
エラル騎士国軍は侵攻に当たり、進路上の狼煙台を攻略しませんでしたが、今も味方が詰めているとは限りませんので、先行して伝令を走らせて確認すると共に、余計な誤解のないよう対応を進めております」
だよね……。
仮に味方が残っていても、あれがもし俺たちを新手の敵軍と認識すれば、狼煙を上げて周囲に余計な疑念を振りまいてしまうし、味方と分かっても変なリアクションをされたら困る。
味方への警告は同時に、敵への警告にもなってしまうのだから。
そんな話をしながら行軍を続けているうちに、迂回した砦の方向からアクセラータが放っていた伝令が戻ってきたようだった。
※
そのころジークハルトは、未だロングブリッジ砦に立ち籠り、二か国の連合軍の攻勢に抵抗していた。
もっとも、今はスーラ公国は持久戦に移行したのか、包囲網を維持しながら散発的な攻撃を行うだけで、むしろ必死に攻めて来るのは3万の軍勢を擁したターンコート王国軍だった。
「それにしても連中も懲りないね。今日で撃退されたのは何度目だったかな?」
そう言うとジークハルトは、敢えて兵たちの前で余裕を見せた。
兵たちの士気こそまだまだ高いが、決して予断を許さない状況には変わりなかった。
・主将たる第三皇子は未だ行方知れずで連絡が取れていない
・砦の周囲は相変わらず重囲の中にあり、斥候ならいざ知らず軍としては封じ込められている
・糧食はまだ十分に予備があるが、消耗品である矢や石弾が目減りしている
そしてとどめは、エンデが第一皇子によって攻略され、彼らの退路が塞がれてしまったことだ。
密かに受けたその凶報に関し、ジークハルトは情報封鎖を行って秘匿していた。
『グラート殿下に対する虚報に続き、次はエンデ陥落といった欺瞞情報を流して来るかもしれない』
逆にそんな噂話を、敢えて流していたくらいだ。
彼は籠城戦において、兵たちの士気がどれほど大事かを知っていたため、その対策には気を遣っていた。
そしてもうひとつ、彼だけはある情報を入手していた。
遣いに出していたアクセレータから極秘裏に発せられた報告だ。
『半分程度の期待だったとはいえ、タクヒール殿には足を向けて眠ることはできないな。
自国も大変な時期だというのに……』
そう思うと、自然と北西に向けて深く頭を下げた。
西から南、東にかけて展開していた狼煙台のネットワークは、既に侵攻した敵国によって寸断され、今は機能していない。
だが、北西に展開したものだけは健在で、日々定時報告の狼煙を上げている。
それが今日、『定時』ではない定時報告を行ってきた。
報告は『定時』より一刻ほど早く、それは吉報を知らせる報告を兼ねていた。
「ふっ、それにしてもタクヒール殿は面白いことを考えられるものだな……」
かつて第三皇子と共にクサナギに向かい、フェアラート国王、クラリス殿下らと軍事談義で花を咲かせた際、タクヒールから『捨て奸』以外にもうひとつ、興味深い話を聞いていた。
話が帝国の新領土各地に建設を進めている、狼煙台に及んだ時だった。
『狼煙台は警報装置として、その伝達力では他に類を見ないものだと思います。
ですが俺なら、それを逆用して相手の慢心を突きますね。
なので完璧ではないですが、ちょっとした対策を設けることも必要かと……』
そう言ったタクヒールの言葉を、今でも彼ははっきりと覚えていた。
もしその狼煙台自体が、密かに潜入した敵に奪われていたら?
そこに詰める人員のなかに、裏切り者や間諜がいたら?
単にタクヒールが話したのは、ニシダが好きで読んでいた三国志演義からの受け売りだったのだが……
呉が強敵関羽の治める荊州を攻略する際、狼煙台を無効化する手段として使ったもの、それに対する策に過ぎなかった。
各狼煙台は、予めランダムに定められていた時間に定時報告に定められた狼煙を上げる。
この時間自体は、そこを治める部隊長しか知らず、敵軍は知る由もない。
そして、特別な伝令があった場合のみ、定時報告は『定時』と異なった刻限にあがる。
「アクセラータにも礼を言わないとな……、しかしそれより、実際に符牒が機能して改めてあの人の恐ろしさが分かるな。もし今も敵側に回っていたら僕らは……」
ジークハルトは改めて、常に彼より一歩先を歩み、常に予想外の奇策で窮地を乗り越える彼に、身震いしつつ感謝した。
今回は……、どんな奇策でこの難局を打破してくれるのだろうか?
自身が置かれた状況は別に、盟友がこの先採るであろう奇策にも、並々ならぬ関心を持っていた。
「失礼しますっ! 東と北に展開する敵軍に動きがあります!
再び攻勢に出てくる模様です!」
この報告で彼は現実の世界に無理やり戻された。
「また性懲りもなく無駄な労力を使ってきたか。まぁ……、スーラ公国の手前、彼らも必死なのだろうけど……、ずっと超過勤務だよなぁ。昼寝の時間……、一体いつになったら取れるんだろう」
そうぼやきつつ、ジークハルトは姿勢を正し、毅然と佇まいを正し表情を改めた。
そこには司令官として兵たちから信望の篤い、不敗の将の姿があった。
「直ちにカタパルト及びバリスタに装填し、照準を調整!
全兵士に伝達、予備部隊を残し全てを城壁に上げて! あからさまな動きに対し、南と西も警戒!
いいかい、矢と石弾は正確に、そして効率よくね」
そう伝えると、陣頭指揮を取るために彼は城壁上を移動し、東側にある望楼へと移動していった。
彼が拠点とするビックブリッジ砦は、再び戦いの渦中へと巻き込まれていった。
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次回は『変わりゆく情勢』を投稿予定です。
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