アストレイ伯爵委任統治領にある主要都市のひとつ、アスラと呼ばれた人口一万程度の街は今、異国からの侵入者たちによって大きく変貌しつつあった。
先日まで賑わっていた市は、食料などの商品が溢れ賑わうこともなく、街に住まう者たちの家は不法に住み着いた者たちによって占拠され、様々な財貨が不当に奪われていた。
「見てみろよ! 銀の食器だぜっ、俺も一度はこんなもので食べてみたかったぜ」
「この寝台、綿が入っているわ。藁の寝床で寝ていた私らには夢のようだわ」
「母さん、神様を称えてここまで来たから、僕たちはお腹いっぱい食べれるんだね?
こんな物を見つけたけど……、神様への捧げものになるかな?」
彼ら一家は、夢にまで見た家族の団欒、それを楽しむが如く、新しく手に入れた住居の中を大はしゃぎで見て回っていた。
「ははは、俺たちは武器を持たず神の教えを力にしている。そんな物はお供えにならないだろう。
この家には他にも多くの物がある。それで今夜のお布施は十分にあるから捨てておくがいい。
今夜はきっと、俺たち家族にも多くの恵みをもたらしてくれるぞ」
そう言われた少年は、手にした短剣を元あった場所に戻していた。
いや、正確には戻した振りをして懐中にこっそりしまった。
この時男が言った家族という言葉は、実は正しくない。
困窮する村で生活するなかで、飢餓に苦しみ妻と娘を亡くした男。
夫を数年前の戦で失い、重税を払えず逃亡する過程で子供たちを失った女。
盗賊に村を襲われたとき両親を失い、孤児となり困窮した村を出て流民となった少年。
特に少年は何もできす両親を凶刃で失った時の記憶を深く残し、新しくできたこの『家族』を守る手段として、どうしても短剣を手放すことができなかった。
それが信じる神の教えに背く行為であったとしても……
彼らはトライアへ流れ着いたとき、それぞれが神を称える行進に選抜された(割り振られた)者たちで、これまで全く関わりのない者たち同士だった。
ただ異国への長い旅路の過程で、いつのまにか過去に心の傷を持った者たちが寄り添い、仮初の家族として共に行動するようになっていただけだった。
実は『使徒』に割り当てられていた者の多くが、単身の男以外はそういった身寄りや自ら生きていく力もない、いわば支配者からすると対処に困る、使い捨てにしても構わないはぐれ者ばかりだった。
それでも過酷な重税に喘ぐなか多くを失い、難民となって故郷を捨てて『救い』を求めてきた彼らにとって、これは正に神から賜った救いであるように思えていた。
例えそれが彼ら略奪して不当に奪った結果、教会からもたらされた物であったとしても……
純粋に神を信じ、教義によってここまで来た彼らは、神への捧げ物を得るためとして、進んで略奪に参加するよう仕向けられていた。
そんな彼らの中には、同じ難民と称して潜入していたレイムたちがおり、彼らは同胞の振る舞いに心を痛めていた。
いつものように日が落ち、夕闇が迫るようになると、各所に散っていた彼らの仲間は密かに動き出し、かつては絢爛としていたであろう表通りを抜けると、以前も貧しい者たちが住んでいたと思われる路地裏の家屋に、人目を忍んで集まっていた。
「これで各隊の指揮官が揃ったな? それで……、同胞たちの様子はどうだ?」
「酷いもんだ。レイムの旦那が危惧していた通り、奴らはやりたい放題よ」
暗がりで表情こそ見えないが、答えた者の顔がかつての同胞を思い、苦渋に満ちているであろうことは声の調子でも十分理解できた。
「で……、教会の方はどうだ?」
「そちらは俺が張り付いていたが……、聖職者の奴らは止めるどころか逆に煽っていやがる。
『恵みをもたらす神への感謝を示せ』だとよ。何が恵みだ!」
「そうだな……、俺たちの女神イシュタールは、いつから野盗を庇護する神になっちまったんだ?
まともな奴は誰もいねぇのかよ!」
「いや……、俺が思うに少なからず疑問を感じている者もいるはずだ。ただこんな場所で教会に見捨てられたら生きて行けねぇからな。口を噤んでいるだけだと思う」
「そうだな……、奴らが食料を握っている限り、同胞たちは教会の意向に逆らえねぇんだろうよ。
俺たちは少しずつで構わない、これからも同胞が疑念を感じるよう種をまき続けろ」
「「「承知した」」」
「それで、お頭、俺たちはいつ動くんだ? 戦況はどうなっている?」
「その知らせはまだ届いていない。合図の鐘を聞いた奴はいるか?」
レイムの問いかけに答えるものは誰もいなかった。
その意味することは、まだ作戦を継続しつつ現状待機ということだ。
「俺が隊長みたいに自由に出入りできればよいのだがな。闇魔法士でもない俺が下手に動いて捕まっちまったら目も当てられねぇ。取り合えず今は我慢するしかない」
「酒と同じく……、か。辛い話だな」
「馬鹿野郎! 酒に関しては隊長と一二を争う俺すら我慢してるんだ。お前らにだってできねぇ話じゃねぇよ。作戦が終わったら、隊長から目一杯酒をせしめ、浴びるように飲ませてやるから、今は我慢してろ」
「約束ですぜ、なぁみんな!」
その言葉に、レイム以外の二人も大きく頷いていた。
『ウチはいつから飲んべぇばかりの集まりになったんだ?」
そう思うとレイムは苦笑するしかなかった。
もちろん、その代表格が自身であることは棚に置いているが……
「誰に言っていやがる! 酒に関して俺が嘘を言うはずなかろうが」
そう配下の者たちに言い返した時だった。
街の中心部で彼らに『時』を告げる鐘がなった。
また不愉快なアレをやる時間か?
レイムは僅かに顔をしかめていた。
「残念ながら時間だ。俺たちも食っておかねぇといざという時に役に立たんからな。
ありがたい神からの施しとやらを、いただきに行くとするか? 各々持参したお布施を忘れずにな」
レイムの言葉で、集まった者たちはそれぞれ立ち上がると、裏通りを出て街の中央へと集まる人々の群れに紛れていった。
※
街の中央とそれに通じる主要な街路には篝火が焚かれ、その中心となる配給場所を煌々と照らしていた。
そこには日々『神よりの恵み』と称された食料が用意され、人々は日々の成果である『お布施』を捧げる代わりに食料を得ていた。
彼らは持参した(街で奪った)器とお布施を持ち、対価として恵み(食料)の配給を受けるため長い列を作り始めていた。
「さぁ、順番に神への捧げ物を備え祈るのだ。信仰の対価として糧を受け取り、感謝を新たなものとせよ。その働きに依っては、より大きな恵みがもたらされるであろう」
祭壇の中央には教会から派遣されたという司教が声を上げて、人々を煽っていた。
日中に街中を物色した成果として、高価な物を教会に捧げた者だけには、特に豪華な食事が分け与えられていた。
『ちっ、食料をかたに略奪を煽り、競争心を刺激して効率的に集めていやがる』
その様子を見たレイムたちは、この街に入って恒例のことながら舌打ちせずにはいられなかった。
粗末な朝食については、誰もが同様で配給に差異はない。
だが夕食は明らかに差異をつけ、それを敢えて全員に見せつけている。
より多くの食料を、より豪華なものを、それらを求め人々は日中、自ら進んで盗賊となり、かつてそこに住んでいた人々の財貨を求めて、商店や空き家となった家々を漁っていた。
流民たちは徐々に良心を麻痺させ、進んで略奪に当たるように仕向けていた……。
レイムたちは予め活動費として支給された金銀を、こっそり衣服の各所に縫い付けている。
これにより、なんとか略奪に参加する振りをして、日々の糧を得ていた。
「今日は皆に喜ばしい知らせがある。食事を摂りながらで構わぬ。心して聞くように!
明日より我らは、新たなる地に神の教えを説くため、この街を出て先を目指す」
「!!!」
これを聞いたレイムと幾人かの仲間たちは密かに目を合わせた。
この意味することは、明日より再度侵攻が開始されるということだ。
「皆の働きは神にも届いておるだろう。
信仰篤き者たちに対し、神は更に豊かな土地を用意されておる。今夜は特別な振る舞い(食料)も用意されておるゆえ、ゆっくり休んで備えるようにな」
「「「「おおおっ!」」」」
流民たちは歓声を上げ、大いに沸き立っていた。
それが彼らにとって、死の行進となるとも知らずに……。
「ちっ、とうとう動き出しやがるか……。やむをえんな、今夜すぐ夜陰に紛れて連絡員を出せ!
下手に戻って来なくてかまわねぇから、このことを総司令官にお伝えしろっ」
歓声に紛れ、レイムは小さな声で配下に新たな命を下した。
「こちらの離間はまだ進んでいない。
いざとなったら野盗として討伐するようお願いします、そう俺が言っていたと伝えるのを忘れずにな」
ここでレイムは覚悟を決めた。
彼らの中には家族で『神の使徒』に参加している者たちもいる。
そのため女性や子供、老人まで含まれているが、今の状況でそれら全てを救うことはできないだろう。
『すまん、許してくれ』
レイムは心の中で彼らに詫び、ひとり瞑目した。
最後まで彼らを守る側に徹し、彼らと運命を共にする覚悟のもとに。
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次回は『尖兵たちの進軍』を投稿予定です。
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