侵攻軍と防衛軍、各々の指揮官の思惑により、戦場で対峙する陣容は大きく変化していた。
防衛側の最左翼には、ホフマン軍団長率いる王都騎士団の5,000騎及びゲイル指揮下の第三軍4,500名が、彼らに倍するイストリア正統教国軍20,000と対峙していたが、その中で神の尖兵の対応に志願したゲイルは1,000名を率いて出ていた。
そして彼らの右後方、ゴーマン侯爵率いる第一第二連合軍との間にアレクシス率いる本隊、特火兵団が布陣していた。
アレクシスにとって油断のならない二方面、圧倒的に数で優位の正統教国軍と、油断のならない敵であるヴィレ王国軍のいずれにも支援に向かえる体制を採っていた。
とは言っても、それぞれの友軍とは5キル前後離れており、情報の伝達には若干のタイムラグが発生してしまう。
そのため彼の本営では、戦況を伝える早馬がひっきりなしに出入りかしていた。
そして……、予想だにしていなかった凶報が彼の元にもたらされる。
「も、申し上げますっ! ゲイル司令官が……、戦死なされましたぁっ!」
訃報を知らせに来た使者は、本営の陣幕に転がり込むように入ると、悲痛な声で叫んだ。
アレクシスは一瞬、肩をピクリと震わせて沈黙したのち、使者を睨みつけると若干上擦った声で質問した。
「それは間違いのない話だな? あのゲイル殿が易々と敗れ、まして命を落とされるとも思えんが……。
済まないが経緯はゆっくり伺うが、優先して敵(民たち)味方の状況を教えてほしい」
アレクシス自身、心を押し殺して敢えてこう言わざるを得なかった。
訃報が事実ならば……、今すぐ前線に飛んでいきたい。そんな気持ちを押し殺して。
「はっ、一時は暴徒と化した民たちも、元イストリア皇王国の御使い様方の言葉により落ち着きを取り戻し、我らの指示に従い戦場から退避しつつあります。
また対応に当たった1,000名の部隊については、ラーズ殿が暫定で指揮権を預かっており、その後の対応指示と正式な指揮官の派遣依頼を言付かっております」
「従っているのはイストリアの民たちだけか? 彼らを率いていた者や教会関係者は?」
「最後まで徹底抗戦を主張していた彼らは、先駆けて離反した一部の民らにより襲撃を受け、戦場を離脱しました。大多数が捕縛されましたが、数百名が離脱しました。
また彼らをを追って100名ほどの民が追撃に出たようですが、その後の動向は窺い知れません」
「では、戦は終わり状況は安定していると?」
そう、これがアレクシスの役目上、最も優先すべき確認事項だった。
状況が不利ならば直ちに援軍を派遣するか、彼らに撤退を命じなければならない。
「はい、仰る通りです」
その言葉を聞き、アレクシスは立ち上がった。
「これよりゲイル司令官が率いた部隊に直ちに伝令を出せっ!
第三軍の指揮はマルス殿に一任する。
当面の間、千名の部隊の指揮についてはラーズ守備隊長に一任する故、以下の遂行を命ずる。
ひとつ、帰参した民たちを安全圏まで誘導し、最終的にはクサナギまで引率の任に当たる。
ひとつ、アウラ殿は本隊に戻し、シオル殿は彼らに随伴し人心の安定を図るように。
ひとつ、万が一に備え、シオル殿の護衛には十分に留意し、間諜や不逞の輩への対処を怠らぬよう。
ひとつ、ゲイル殿の亡骸は一旦こちらに運び、改めてテルミラへと送るよう此方で手配する」
そう言って使者を走らせたのち、訃報を報告した使者には改めて向き直った。
その表情は悲しげで、苦衷に満ちたものであった。
「ゲイル殿のご家族は?」
「アイギスにご夫人と娘さんが二人……」
「そうか……、申し訳ないがこのあと遣いに走ってもらえるか?
ご家族が直ちにテルミラまで来れるよう、便宜を図ってやってくれ」
「承知……、いたしました」
アレクシスの心遣いに、ゲイルの部下だった使者も涙しながら答えた。
そしてアレクシスは、ここに至りやっとゲイルが死に至った経緯を使者に尋ねた。
彼の紡ぎだす言葉を一言も漏らさぬよう、ただ瞑目して聞きながら……。
『そうか……、僕が迂闊だった……。
初めからシオル殿に依頼をしておけば……、いや、彼らを鎮める手立をちゃんと相談しておけば……。
全ては……、僕の責任だ』
「各隊の将に伝令を、英雄の訃報と彼が身を以て民を救い、危機を回避してくれたことを伝えてくれ。
別れを済ませたい者は、無理のない範囲で一時的に陣を離脱し本営に来ることを許可すると……。
第三軍の指揮はマルス殿が引き継いでいることも含めて」
まるで絞り出すかのように小さく発した彼の命は、直ちに遂行された。
各部隊は厳戒態勢を維持しつつ主要な諸将は本営へと集まり、涙を呑んでゲイルを見送った。
「ゲイルよ……、お主らしいな。仲間を思い同じ危険を身に背負ったというのか……」
「俺たちはタクヒールさまに見出されて以来……、儂よりずっと若い貴方が……、まだ早いぞ……」
「其方は立派な漢デアル。公王の名誉を……、身を挺して守ったのだ。
不殺の盾は、そなたの名とともに長く語り継がれるであろう」
長年主君として彼が使えたソリス侯爵、同じ魔法士として初期から共に従軍していたマルス、そして同じ将として轡を並べたゴーマン侯爵が、それぞれ悲痛な面持ちで、今はもう返事をすることのない僚友に語り掛けた。
その他の者たちは、心の中で別れの言葉を伝えただ無言で彼を見送った。
そして……、グレンを始め元イストリア皇王国出身の諸将は、最後まで同胞を守り、一人として命を失わせなかった彼に対し、大地に伏して額を擦り付け、涙ながらに彼の亡骸を見送っていた。
※
同じころ、違う意味での凶報は異なる陣営にももたらされていた。
レイムたちだけでなく、これまで率いた民たちの憎悪を一身に受けた者たちの末路も悲惨だった。
彼らが後退すべき進路にあった橋は、ゲイルの指示によって落とされていたため、それぞれがバラバラになって戦場を脱出した。
その過程で集団は離散しており、僅か100名に満たない者たちだけが、イストリア正統教国正規軍が駐屯する陣地に辿り着いていた。
「なんだとっ!神の尖兵共が壊滅したとはどういうことだ!」
報告を受けたリュグナーは怒り狂った。
本来なら神の尖兵は、敵軍を混乱させ攻勢に出るために必要な、使い捨ての道具だった。
その道具が、主人らの意向に逆らって離反したのだから、彼の怒りは大きかった。
「ちっ、我らの戦略を台無しにしおって、神の意向を無視する背教者共がっ!」
そう言うと、片足で大地を大きく蹴った。
事前の作戦が崩れた今、幾度もの戦いを経験し精強無比とまで言われた敵軍相手にどうするか、今度はそれは頭の痛い問題となった。
そもそも彼らの軍は、正規軍二万といっても本来兵士であった者の割合は低く、半数近くが臨時徴用された比較的まともな出自の者たちに過ぎない。
神の尖兵に付けた一千名近くの兵士たちとは違って……
そのため敵の精鋭と正面からぶつかれば、数ほどの働きができないことは目に見えて分かっていた。
まして彼らの得意とする攻撃手段、それに欠かせないロングボウ兵の数は少なく、即成の者を含め、なんとか二千名程度でしかない。
「リュグナーよ、次はどうする?
お主の知恵の泉はもはや涸れ果てたという訳でもあるまい? まだ我らにも勝機はあるのではないか」
『ちっ、気楽なものだ。貴様こそこれまで何をしてきたと言うのだ!』
そう思ったが、敢えてリュグナーは言葉を飲み込み、アゼルをただ黙って真っすぐ睨み返した。
「失ったものは帰って来ない。だが今は、それを惜しむより新たに得た宝を活用すべきではないか?」
『ほう? これまでずっと、ただ黙って付いてきた奴にも策があるということか? であればやらせてみるのも一興か?』
そう思った彼は、一時的とはいえアゼルに主導権を渡しても良いと考え直していた。
「アゼルよ、其方に策があるというなら、是非ご教示いただきたいものだな」
「先ずはひとつ、流民どもの中に目端の利く者を紛れ込ませてある。貴様の兵とは別にな。
奴ら(魔境公国軍)は流民どもを保護するため、いずれ囲いの中に入れるだろう。
さすれば彼らが間諜や暗殺者として働く機会もあろう。そうすれば奴らは流民どもをどう扱うかな?」
「ほう……」
思わず驚嘆の言葉が出てしまったが、自分に黙って手配を進めていたアゼルに対し、思うところもあった。
「勝手に行ったことは詫びる。御前も常々仰っていただろう? あくまでも念のための対処だが、常に謀を巡らし味方すら欺けとな」
「ふん、あの老いぼれか……」
思わず小さく呟いたリュグナーの言葉を、アゼルは聞き逃さなかった。
『後継者にすら列せられなかった小僧が、調子に乗るなよ』
内心そう思ったが、その様子はおくびにも出さず続けた。
「そして我らは、あの三国と結んだ盟約通り、再侵攻の口火を切って敵将の一人を討ち果たした」
アゼルの言葉は強弁と言っても仕方がない話だが、事実でもある。
敵将の誰を討ったかなどは不明のままだが、逃げ帰った者たちからも確認もしている。
「ならば……、次は奴らの番よ。幸い前線にはまともな将も控えておることだし、そもそも狭量なヴィレ王は奴のことを快く思っておらんようだ。
さらにカイン王国軍は無様に敗れ、リュート王国軍も何ら功績を上げていない」
「奴らに我らの戦果を示し、次は全軍で侵攻する……、ということだな。
ただ我らは、思ったよりも進軍が遅れそのタイミングがズレるかもしれんぞ?」
「戦場ではままあることよ。そもそも三国の軍とは10キル以上離れておるからな。
そうそう連携も上手く行かず、手違いもあるさ。
奴らは敗退で数を減らしておるいとはいえ、今でも二万六千はおるだろう。その全面侵攻を受ければ敵軍にも隙はできよう」
そう言ってアゼルは冷たく笑った。
「……、どうやら貴様の策が最善手のようだな。それに乗ってみるとするか」
ここに彼らの中で同意が結ばれ、三国の陣営に使者が走った。
曰く……。
「我らの先遣隊が敵軍を衝き、敵将の一人を討ち取った。
これに乗じ明朝を期して全面攻勢に移るが、貴軍らの活躍に期待する」
これにより、当初とは打って変わって及び腰になっていた三国も、協調して全面攻勢に出ることになった。
正面から彼らに対するのはゴーマン侯爵率いる一万名と、ドルメンツ・カーミーン連合軍一万二千名。
数の上では未だに侵攻軍が有利だった。
数の上では……。
こうして、各国の思惑を背負った作戦を実行に移すべく、二人は動き出した。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。
第四巻発売記念の投稿はあと三話続きます。
いよいよ明日発売です!
既に書店さまでも昨日から展開いただいているところもあり、早速見に行きました。
今からドキドキしていますが、どうぞよろしくお願いいたします。
次回からは特別編『もうひとつの戦場①』を投稿予定です。