最後に二点お知らせがあります。
よければそちらもご覧ください。
夜が開けると、アレクシスの指示のもと魔境公国軍、帝国軍、そして援軍として馳せ参じた各軍勢は事前の打ち合わせ通り行動を開始していた。
ゴーマン侯爵を始めとする第一軍から第三軍は騎馬隊のみを選抜して追撃に入り、それに特火兵団が合流し合計で六千騎になった軍勢が、前日よりイストリア正統教国軍を追跡していた物見の先導で敵軍の後を追った。
一方ダレクは、率いてきた王都騎士団第一軍と第二軍の選抜兵に加え、シュルツ率いる第三軍選抜部隊とも合流し、別の街道を駆け抜けていた。
彼らにはフェアラート国王率いる一千騎も同道し、総勢で一万六千騎にもなる最強の打撃集団であった。
ましてフェアラート公国軍には、五百名もの魔法兵団が含まれており、ロングボウに対する攻撃力を十分過ぎるほど備えていた。
そんな彼らは、可能な限り移動速度を上げ、できれば敵軍の側面か後背に回り込むことを目指していた。
そして帝国軍もまた、全軍を南進させて第三皇子委任統治領の端まで到達すると東に転身、包囲網の一翼を担うべく動き始めていた。
一方アレクシスは指揮官クラスで唯一本営に残り、残留した第一軍から第三軍の歩兵部隊の指揮を執っていた。
「しかし……、残念ではありますね。本来であれば全軍を挙げて追撃戦に入れれば良かったのですが」
本営にて歩兵たちを指揮するアレクシスに、副官の男がそう言って声を掛けた。
それを受け、彼は首をすくめて淡々と答えた。
「追撃戦に歩兵を出しても追いつけやしないからね。途中で戻った物見の報告によれば奴らは、退路となる道筋には周到に篝火を用意してらしい。もしかすると一晩中後退していたかもしれない」
「それでは我らの騎兵は……」
「常識ではあり得ない速度で後退されれば、騎兵といえど到底追いつかないだろう。敵は後退することを予め想定していたようだからね。僕にはなんとなく、彼らの思惑が見えたような気がする」
「思惑……、ですか? 確かに奴らの軍だけは最初から本気で我らと戦っておりませんね」
「そう、そして近隣諸国の軍をすり潰させた。
片や僕たちには余裕がない。一万五千名以上の捕虜を抱えてしまっているからね。まして……」
そこでアレクシスは言葉を止めた。
彼らはあくまでも防衛戦に従事しているのであり、必要以上の追撃はできないからだ。
総司令官の大命は拝しているものの、アレクシスもまた政治的な判断を行う立場ではなく、他国へ踏み込む侵略は彼の任務に想定されていない。
カイル王国からの援軍もまた、防衛戦のため派遣されたものであり、必要以上の追撃を依頼するにはこれも政治的な許可と判断が必要になってくる。
「残念な話ではありますな。やっと数で優位に立てたというのに……」
「うん、でもまだ終わった訳ではないさ。彼らの陣地から国境までは優に60キルはあるだろう。
そこを二万近い大軍が移動するんだ。簡単なことではないからね」
「そんなことをやってのけるのは、公王陛下ぐらいですな」
「そうタクヒールさまなら、多分やってのけられる。これまでもそういった訓練はなされて来た。
逆に言えば、不可能じゃないということさ」
遠く離れた場所で交わされた彼らの会話は、まさに現実のものとなっていた。
※
陽が中天に昇りつつあったころ、物見を先導に追撃を行っていた者たちは苛立ちを募らせていた。
行く先々で彼らの前に、助けを求めた数百名単位の人々が立ちはだかっていたからだ。
「どうかお助けくださいっ! 奴らは村を焼き、食料を全て持っていってしまいました」
「我らには今日を凌ぐ食料すらございませんっ」
そんな人々を無視する訳にもいかず、本来なら最も敵軍に近い位置から追い縋っていた第一軍から第三軍の騎兵部隊は、いちいち進軍を停止して一部の部隊を残して彼らの対処をするしかなかった。
何度目かの停止のあと、先頭を進むゴーマン侯爵に第二陣を指揮するソリス侯爵が馬を寄せて来た。
「悪辣だな……、民を盾にして我らの足を緩めさせるとは……、このままでは第三皇子委任統治領を越えるどころか、帝国領を越えて国境に逃げ込まれてしまうぞ」
「デアルな……。だが帝国領内であれば、盗人(侵略軍)を捕縛するための越境は認められている。
しかし……」
「そうだ、流石に帝国領の先にある国境を越えられるような事態になれば、我らの判断では先に進めん。口惜しい限りではあるが……」
「西側の街道を進んだ王都騎士団に期待するしかないか……、無念デアル……、な」
※
一方、最も離れた位置から追撃を始めた王都騎士団であったが、皮肉にも彼らは最も深くまで帝国領に進出できていた。
ただこれには理由があった。
彼らが進む進路は、主にリュート王国軍が進んできた場所であり、民たちへの無慈悲な搾取も行われておらず、治安は安定していたため、助けを求めて群がる領民たちがいなかったからだ。
そしてもうひとつ、追撃戦となることを想定してダレクは大胆な指示を出していた。
重量のかさむフルプレートの鎧を本営に残し、彼らのいでたちはさながら軽装騎兵であった。
「ダレク卿よ、果たして我らは奴らに追いつくことができるだろうか?」
「分かりません。アレクシスの計算でも敵が逃げに徹していた場合、帝国と皇王国(正統教国)の国境付近でやっと追いつくことが可能な程度だと……」
「そうか……、奴らは待ち構えているかな?」
「ふふふ、陛下は待ち構えていることを期待されているのでしょう?」
「卿と同じく、な」
そんな二人の願望は、陽が傾きつつあったころに実現した。
帝国と皇王国の国境をなす大山脈の尾根が徐々に低くなり、その裾野が広がる国境地帯に差し掛かったころ、国境を背にして陣を張るイストリア正統教国軍に追いつくことができた。
「これが……、話に聞いたダブリン戦術というものか?」
そう呟いたフェアラート国王の眼前には、国境を織りなす山脈が途切れ、森林が広がるなか街道が一直線に隣国まで伸びていた。
この左右の森林をいかし、街道上には噂に聞いた陣形が展開され、敵軍が待ち受けていた。
「どうやら私たちが一番乗りのようです。とは言っても、三割程度は脱落していますし……。
我らも味方を待ちますか?」
「ダレク卿はどうしたいのだね? 正面の敵は見たところ一万程度、強行軍に脱落者を出しているようにも見えるが……」
「かつて私が公王から聞いた話ですが……、準備さえ整えいれば夜間でも50キル程度の移動であれば、可能でありその実例もあるらしいです」
「ほう? 俺も知らぬ戦史があったのか? 興味深いな」
ダレクがタクヒールから聞いたのは、正しくはこの世界の戦史ではない。
歴史好きだったニシダが、書物で読んだ羽柴秀吉が賤ケ岳の戦いで行った美濃大返しを指していた。
当時の秀吉軍は、美濃の大垣から近江の木之本まで、約52kmを僅か五時間で軍を移動させたという逸話がこれに当たる。
もちろんこれは、当時の戦国時代でも、この世界でも、非常識なレベルの移動として捉えられているものだったが……。
「なのでおそらく敵は、見た目以上の数を擁し左右の森に伏兵を潜ませていることでしょう。
少数と侮って突進した我らを餌食にするため、ここで罠を張っていると思われます」
「ふむ……、ではあの陣地から300メル以内は死地という訳だな? 通常であれば」
「はい、陛下のご参戦がなければ、我らにとってはそうなりましょう。全ては陛下のご意向のままに」
「では我らは、500騎の魔法兵団を押し出すとしよう。ダレク卿には支援を願えるかな?」
短い禅問答のようなやりとりで、二人は互いに笑いあった。
もともとこの二人は敵の戦術に殊の外興味を持ち、それを打ち破りたい気持ちで一杯なのだから……。
こうなるのは当然の結果であった。
「これより敵陣を食い破る! 先ずは敵の防塞を無力化し然る後に敵陣へ突入する!」
そう言ってダレクは全軍に宣言した。
この陣形の恐ろしさを知っており、何か言いたげなシュルツ軍団長に対しては、『分かっている』と目線を送りながら。
「突入に当たり右翼は王都騎士団第一軍より千騎を選抜、左翼は同様に第二軍からだ。
森の伏兵を警戒しつつ敵陣の400メル手前まで進め!
中央は陛下と俺が八百騎を率いて進むが、従軍している風魔法士は全て中央に配置する!
シュルツ軍団長は敵陣が崩れたら、残った全騎を率いて突入してくれ。指揮は任せる」
そう言った後、速やかに部隊編成を整えると突進を開始した。
敢えて敵軍が構築した罠に飛び込み、食い破るために……
無敵の陣形を突破する策を携え、突撃を開始したダレクは知らなかった。
彼らに対してより悪辣な罠が待ち受けていたことを……。
※
1,000メルの距離から突撃を開始した彼らは、周囲に馬蹄を響き渡らせながら敵陣へと突入していった。
騎馬であればそれも僅かな時間に過ぎない。
「いいか、300メルだ! 必ずそこで停止しろっ。風魔法士はそこで傘を張って矢を防げ!
その後は陛下、お力をお借りします」
そう、二人が採った作戦は、魔法兵団の魔法攻撃を生かしたロングレンジ作戦であった。
罠に誘い込むため陣を張った彼らは、逃げ場のない格好の的に過ぎない。
そして300メルの距離を置いていれば、いかに強弓のロングボウでも風魔法士の展開する傘を突き破ることはできない。
ここまでの彼らの作戦は完璧だった。
しかし……。
敵陣まで400メルに接近した時、先頭を進むダレクが違和感を感じ絶叫した。
「いかんっ、作戦中止だっ! 撃つなっ、撃ってはならん!」
そう言うとダレクは、大きく左手を挙げて予定より早いタイミングで風魔法士たちに風壁による傘を張るよう合図を出した。
「どうしたっ?」
混乱する兵たちのなか騎馬隊は急停止できるはずもなく、予定していた300メルの位置に達し、そこで停止した。
そこに敵軍からの長射程攻撃が襲ってきた。
「敵陣の前方に並んでいるのは兵士ではありませんっ!」
「なんとっ!」
そう、本来であれば並んだ逆茂木や馬防柵が展開され、隙間を重装歩兵などが間隙を塞ぐように配置されているが、そこには数百人もの人垣が並べられ、敵軍がその人垣の後ろから撃っていたのだ。
「ちっ、領民を盾にして攻撃してくるとは……、何て奴らだ!
全軍、引けっ! 後退しろっ」
300メルの距離に近づいても、実際に顔などは判別不可能だ。
その場に彼らを繋ぎ止める綱も認識できない。
当然、馬蹄の轟く中では彼らが恐怖に怯え発した、叫び声すら届くはずもなかった。
唯一ダレクが感じた違和感は、覚悟を持って敵軍を待ち受ける兵たちと異なり、何かの恐怖に身をよじらせ、ひたすら暴れる彼らの姿だった。
「奴らの前衛は兵士ではなく、帝国の民ということか?」
「はい陛下、何も知らぬ我らが攻撃し、それに気付いて逡巡する隙を狙って矢を降らせる算段だったと思われます」
「ちっ、悪辣だな。奴らは勝つためには手段を選ばんということか?」
「はい、奴らは我らに二重の罠を張っていたのでしょう。戦術的には我らの動揺を突き反撃に転じる、政治的には我らが帝国の民を虐殺した者として、貶めると言う……」
「ではどうする? 我らはただ後退するだけか?」
「やむを得ません。どうやら奴らは手段を択ばぬ輩のようです。先ずは彼らを救出する算段を整えましょう」
結局ダレクらの攻撃は失敗に終わり、彼らは虚しく陣を引いて味方の来援を待つしかなかった。
もちろん、新たに森の中に物見を放って、囚われた者たちを救出する策も検討してはいたが……。
だがしかし、日が暮れて辺りが暗闇に包まれるようになると、いつの間にかイストリア正統教国の兵たちは森を抜けて国境の向こう側へと消えていった。
翌日、彼らは盾として縛り付けられていた数百名もの民を救出することはできたが、それは戦いの勝利と呼べるものではなかった。
結局イストリア正統教国軍は、損害らしい損害も出さずに兵を引いた。
当初の計画通り、新たな戦場に転戦するために。
それに対し、内部分裂を起こしている帝国も、公王不在の魔境公国も征伐はもちろんのこと、何ら行動に出ることはなかった。
かくして北部戦線の戦いはここに幕を閉じた。
関わった者たちには後味の悪い勝利をもたらす形で……。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。
長期に渡り主人公不在の北部戦線もやっと終結しましたが、イストリア正統教国軍は依然健在であり、この後の波乱を含む形となりました。
いずれは、これ以降の動きや捕虜として残ったゴルパ将軍、第一王子クラージュの動向も紹介させていただく予定ですが、先ずはこの先、タクヒールの動きを中心に進行させていただきます。
<お知らせ①>
誠に申し訳ありませんが、年内のエンディング(予定)に向けて、ここからは一週間更新とさせてください。少しでも長く、じっくりと書いていきたいという我儘を、どうかご容赦いただければ幸いです。
次回は2/13に『帝国新領土侵入』を投稿予定です。
<お知らせ②>
実は本作の執筆に詰まったとき、一年以上ずっと温めていた、もうひとつの【ニドサン】を書いていました。
その蓄積もいつしか60話を超え、そろそろ日の目を見させようと決心しました。詳細はいずれ活動報告でもお知らせしますが、2/14より公開予定です。
タイトル:四畳半ゲート(ゴミ認定したこのスキルで生き残れるのか?)〜三度目の人生のラスボスって……、まさか二度目の俺?〜
タイトル通り、役立たずの「四畳半ゲート」と言う、意味不明のスキルを手にした主人公が、三度目の人生では悲惨な境遇の別人に、チートも奪われた上で再転生させられ、「前回の自分自身」?と戦う逆転劇です。
よかったらこちらも、どうぞよろしくお願いいたします。