この日ジークハルトは、深夜遅くまでビッグブリッジ砦の執務室にて今後の作戦案を検討していた。
戦いは膠着状態に陥っているとはいえ、彼らの現状は想定のなかでも最悪に等しいものだったからだ。
難攻不落の砦に拠っているとはいえ、永遠に戦い続けることは不可能だ。
まして、主君たる第三皇子の消息も未だ不明で、エンデが陥落した今、盟友たるウエストライツ公国はもちろん帝国内との連絡も途絶え、現在の状況や自身の領地の状態さえ分からなくなっていた。
だが彼には、不安な顔を見せることも、いつもの通りボヤくこともできなかった。
不安定な状況下にあって、彼の態度や言動は士気に直結してしまう。
「まぁ……、唯一の明るい話は、タクヒール殿が近くまでやって来てくれたことかな。
だけど、決して多くの兵は動かせないだろうし。おそらく一万……、いや、五千が精いっぱいかな?」
彼は狼煙台の知らせにより、援軍の到来を知っていた。
そのために、危急を知り馳せ参じてくれた盟友を迎えるため、密かに使者を各地に派遣し、何処から来るか分からない盟友を支援するため動いていた。
だが……、不安は尽きない。
常識的に考えれば、十二万以上の敵軍と対峙している中、たとえ一万の軍勢が来訪しても焼け石に水でしかない。
あとは唯一、これまでも見せてきた彼の奇策に期待することしかできない。
「しかし今夜は変だな。妙に空気がざわついている気がする。何か……、あるのか?」
そんな言葉を発した時だった。
慌ただしく駆ける足音が彼の執務室に近づいて来ると、その前で止まった。
「も、申し上げます! 東側の敵陣に異変があります。何やら騒ぎが起こっているようです!」
『東……、どういうことだ?』
一瞬考えたあと、当直に当たっていた将兵を呼び出すと命を発した。
「直ちに伝令を走らせよ。全将兵起こしっ!
先ずは敵襲を警戒しつつ配置に付き、些細なことでも構わないから報告を上げるように徹底。
陽動の可能性もあるので、むしろ騒ぎが起こってない方角の警戒を厳にせよ!」
そう命を発したのち、彼は司令部のある南側の壁面に設けられた望楼に登った。
そこから敵陣を遠望すると、包囲している敵陣の篝火が東方面は大きく乱れて混乱し、随所でなぎ倒されて出火している様子が見て取れた。
そして時折、明るい照明のような何かが暗闇を照らしているようで、潮騒のように人々が上げる喚声が響き渡っていた。
混乱は東の包囲陣から、南に陣取る敵軍にまで波及し、もはや収拾のつかない状態にすら思えた。
それを見てジークハルトは状況を理解した。
この状況を作り出しているのが誰であるかを……。
「ははは、凄いや。僕の期待以上……、いや、想像以上だ。やはりあの人は僕が認めた最強の将だ……」
そこまで言うと、自身の胸に熱いものが込み上げて来るのを感じずにはいられなかった。
ここまで期待はしていなかった。
戦況が彼の予想のなかでも、最も最悪に近いものになったからこそ、一縷の望みを抱いてはいたが……。
「直ちにお客さまをお迎えする準備を!
先ずは英雄を迎える花道だ。北の隠し通路の両脇に篝火を並べよ!
輜重部隊はもてなしのための食事の用意に取り掛かれ。今日が我らにとって転機となる」
彼と同様、長きにわたり鬱屈とした状況を耐え抜いていた兵たちも、歓呼の声を上げて命令を実行すべく奔走し始めていた。
※
俺たちは当初の目的、東側の包囲軍を粉砕すると速やかに軍を引き、北側へと移動した。
そこで俺は、我が目を疑う光景を目にしていた。
「団長……、花道とは言いましたけど……、本当にできちゃってるよね?」
「いやはや全く、先を越されてしまいましたな……」
そう、俺たちの眼前、北側から砦の門に続く隠し通路の両脇には、暗闇の中でそこだけに篝火が等間隔に並び、城門まで道を煌々と照らして続いていた。
そして篝火の脇には、おそらくそれを設置した兵たちが泥まみれになって跪いていたからだ。
「花道への備え、役目大儀っ! 全軍、せっかくのお迎えだ。直ちに入城する!」
俺の言葉と同時に、一万騎が一斉に城門へと駈け出した。
そしてほどなく、大歓声に迎えられながら城門をくぐると、兵たちが進路の両脇に跪いて並び、その最奥には通路の中央に一人の男が大地に片膝を付き、俺たちを待ち受けていた。
「公王陛下のご来訪、謹んで御礼申し上げます。
どうか、先ずは陛下から我らにお言葉を賜りたく……」
ジークハルトはそう言うと、悪戯っぽく笑った。
そして彼の傍らには、戦場に相応しくないと思えるくらいの、年若い女性が同様に跪いていた。
ん? ……、そういうことか?
味方の士気を上げるためにも、敢えて形式ばった大仰な挨拶の方がいいのか?
そう受け取った俺は、敢えて一度息を吸い傲然と胸を反らした。
「ジークハルト殿、待たせたな。
深夜の不躾な訪問だが、総勢一万騎を率いて参った。我らの馳走、どうか受け取ってほしい」
(いや……、声を大きく張り上げたが、俺の声がこんな大きなはずがない。これは……、仕組んだな?)
大きく周囲に響き渡った俺の口上と同時に、砦中から大歓声が沸き起こった。
「この度は公王陛下直々の援軍、感謝の言葉もございません。
わが主君、次期皇帝陛下グラートさまに代わり、深く御礼申し上げます。
確かに公王陛下より賜った馳走、一夜にして三万もの敵軍を撃滅されたこと、ありがたく頂戴いたします」
ジークハルトの返礼にも大きな歓声が沸き起こる。
でも……、疑念は二つある。
一つ目は、これって絶対に音魔法士による拡声やんか!
彼の元に……、いや、そもそも帝国に魔法士がいるとは聞いてませんけど?
二つ目は、入城に際して俺たちは三万もの敵を撃滅していない。
確かに俺たちは東側に陣取っていた一万の軍勢を蹴散らしてきたが……、どういうことだ?
まぁ、敵軍が混乱し疑心暗鬼になるよう種はまいたけど……。
俺の疑問に対し、二つ目にだけジークハルトは補足した。
「こちらから確認できた戦況では、南に展開していたターンコート軍一万五千は、西側のスーラ公国軍に襲い掛かった模様です。壮絶な同士討ちが展開され、西側はおそらく全滅に近い損害を受けることでしょう。そしてこの混乱です。攻めかかったターンコート王国軍も相当の被害を受けているでしょう」
ははは、予想以上に上手くいっちゃったってことですか?
まぁ……、それはそれで良しとするか。
ただでさえ敵軍は三倍、減るに越したことはない。
だがこうなったら、徹底的に演出に乗ってやろう。
この時俺は、予想以上の戦果に少し引きつった顔をしつつ、馬を降りてジークハルトの手を取った。
そして片手で剣を掲げると、予想通り件の女性も俺の近くに移動してきた。
「それは重畳、この日より我らは反攻に転ずる良い節目となった訳だ。我らの盟友である帝国の栄誉を再び取り戻し、我らに勝利を!」
「公王陛下に感謝を! 帝国に栄誉を! 我らに勝利を! 」
俺の言葉に応じ、ジークハルトも立ち上がって剣を抜き、大声で叫んだんだけど……。
この辺のやり取りもしっかり音魔法士によって拾われ、その声は砦中に響き渡るほどに拡大されていた。
その結果……。
「「「「公王陛下に感謝を! 帝国の栄誉を! 我らに勝利を!」」」」
居並ぶ者全員が剣を掲げて声を上げ、この日一番の歓声が砦中に響き渡った。
この日、ビックブリッジ砦に立てこもる兵たちの士気は、最高潮に達したことは言うまでもない。
にしても……、音魔法士の件、あとでしっかり聞かないとな。
疑念を持った俺の視線に対し、ジークハルトは悪戯がバレた子供のように笑っていた。
やはりこの男……、底が知れないな。
俺は改めて彼が恐ろしい男だという思いを深くしていた。
※
この夜襲作戦の結果、ジークハルトの言葉通りスーラ公国軍は友軍からの不意を突かれた攻撃を受け壊滅した。もちろん途中からはターンコート王国軍の裏切り行為に激怒し、誰もが死兵となって反撃を試みていた。
そのため、襲い掛かったターンコート王国軍も大きな損害を受け、五千名もの死傷者を出す結果となった。タクヒールらの奇襲を受けた東側に展開していた軍も、八千名近い死傷者を出していたため、実に一万三千名もの死傷者を出し、軍としての機能は完全に失われた。
翌朝になって戦場に残されていたのは、四千を超えるスーラ公国兵の亡骸と、八千名を超えるターンコート王国軍の亡骸、そして置き去りとなった両軍合わせて三千名近い重傷者であった。
そしてターンコート王国軍は、いくばくかの負傷者を抱えながら撤退した。
第二次ビックブリッジ包囲戦と呼ばれた戦いはここに終結したが、両陣営の抱える戦力比は未だに二倍以上の差があった。
圧倒的に不利な状況は続いていたが、その場に居合わせた者たちは流れの転換期であることを、大いに自覚するに至っていた。
後日になってこの時タクヒールが用いた奇策は、『ヤマカワ戦術』として帝国軍に長く語り継がれる逸話となるが、それはもう少し先のこと。
諸葛孔明に続き山川大蔵と言う名が、本人不在の世界で広く語られることになる。
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次回は3/6『逃避行の末に』を投稿予定です。
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