卑怯な裏切り者(ターンコート王国)により、約四千名の味方を失う痛手は負ったものの、圧倒的に数で勝ると確信していたスーラ公国の諸将は、一万騎の追撃部隊を送り込むと共に、本隊は急ぎ転進して再びビックブリッジ砦を囲んだ。
包囲網が解かれた際、立て籠もっていた軍勢が帝国側へ逃亡してくれれば話は簡単だったが、恋々と砦にしがみつき戦う意思を見せる帝国軍が、彼らには滑稽に見えた。
主将である第三皇子を討たれ、かつ帝国側の補給線を味方(第一皇子)に絶たれた彼らに未来はない。
ただ座して全滅を待つだけであった。
将軍たちは砦を囲む水田の更に外側に布陣し、東西南北にそれぞれ一万ずつ兵を配し陣を張っていた。
ただ彼らは、そのすぐ外側の暗闇で蠢動する者たちに気付かなかった。
「ラファール、予定通り作戦『火竜』を発動する。どのあたりまで進めばいい?」
「は、この先の一帯に左右に広がる塹壕を掘っております。そこからだと敵陣までおよそ500メル、『火竜』であれば初弾はその地点からでも十分かと」
そう答えたラファールは、砦を出る際に配下の者と共にタクヒールの軍を離れ、彼らの帰りに備えて周辺を偵察し、日が暮れてからは地魔法士と協力して密かに塹壕を掘っていた。
「完璧な答えだね。では初弾は二発ずつ四箇所から、敵陣の左右八か所に向けて発射する。
それで敵がこちらに逃げて来たらレイラの光魔法で目潰しのうえ、エストールボウの一斉発射を。
次弾以降は一発ずつ、前進して奴らを追い立てるからね。射撃指揮官はバルトより兵装を受領の上、左右の塹壕に入り50メル毎に散会して準備に入れ!」
「「「はっ」」」
※
タクヒールらの参戦を知らず、スーラ公国の各軍は圧倒的大軍で砦を包囲しているという思いがあり、その多くは油断していた。
恥知らずな者たち(ターンコート軍)により多少の被害は受けたものの、圧倒的優位な体制にあるのは変わりない。
既に当事者こそ居ないが、エンデを落とした第一皇子には友軍と知らされていた軍の裏切りを糾弾し、その責の一端を帝国側にも問う使者を送っていた。
慌てた第一皇子は、おそらく弁明と自らの潔白を示すため、近いうちに全軍を率いて参戦してくるだろう。
そうなれば卑怯者を誅するため追撃に出した軍を合わせて計八万の大軍となる。
もう勝利は確定したようなものだった。
そんな油断もあって深い眠りに就いていた彼らの陣地に、突如大気を切り裂くような甲高い音が響き渡った。
続いて……、これまで聞いたことのない大音響が響き渡り、激しい衝撃と共に空気を大きく震わせた。
「うわぁっ、な、何だぁっ!」
「耳がっ、耳がぁっ!」
「空がっ、大地がっ、咆哮しているぞっ!」
寝込みを襲われたスーラ公国の兵たちは、驚愕のあまり腰を抜かしてしまった者までいた。
第一射、陣地の至近にて炸裂した何かに驚愕し、天幕の外に飛び出した者たちに第二射が襲った。
「うわぁっ!」
「火がっ、火が襲って……」
「目が……、目がぁっ!」
陣地の中央、低空で炸裂した打ち上げ花火に似たそれの閃光をまともに浴びた者、飛び散る火花に恐怖し逃れようと走り回るもの、あまりの衝撃音に気絶する者などが続出し、辺りにはスーラ公国兵の阿鼻叫喚が広がり収拾のつかない混乱状態となっていた。
※
この光景に驚愕していたのは、なにも敵軍だけではなかった。
敢えて望んで前線に出ていた第三皇子は、この時になって真の恐怖というものを初めて知った気がして、呆然となっていた。
だが、彼はまだマシな方で、随行してきた帝国兵たちは腰を抜かして立ち上がれない者すらいた。
また彼らの後方では帝国軍の騎馬が驚きのあまり嘶き、棹立ちになって暴れるもの、走りだそうとして押さえつけられるものなどが続出した。
『そうなるよね……、あの世界では子供でも慣れ親しんだものだけど、初めて、しかも至近で見たら驚くよ。俺だって空砲だけど火縄銃の実包発射を見た時は、余りの音と衝撃に驚いたし。
この距離だと空気の震えも凄いし、彼らはこれまでそんなものを感じたこともないんだから尚更か……』
その様子を少し気の毒に思いつつも、タクヒールは矢継ぎ早に命を下した。
「続けて第三射用意! 部隊を二隊ずつ前進させ、風魔法士が配置に付いたら合図を送れっ」
「右一番、左一番とも合図、来ました!」
「第三射、撃てっ! 続けて右二番と左二番を前進させ第四射用意!」
「第四射お待ちください。狂騒状態になった敵兵の一部が、こちらに向かって来ます!」
「第四射は構わず準備を、それ以外はエストールボウにて迎撃! 光の合図と共に攻撃せよ。
然る後に我らは塹壕を出て前進し追撃を行う!
右側は西の敵陣へ、左側は東の敵陣に奴らを追い立てよ!」
その後陣地を更に前へと進めた彼らは、後方で呆然となっていた味方(帝国軍将兵)をよそに、その後も容赦のない攻撃を続けた。
そして北側に配置された一万のスーラ公国兵が逃げ散り、その混乱が東と西に陣取る軍勢に波及したころになって、タクヒールは微笑みながら青い顔をしていたグラートに話しかけた。
「では殿下、入城の準備は整いました。
どうやら味方の混乱も落ち着き、我らの合図に従って前進してきたようです。花道を駆け抜けて入場するといたしましょう」
そう言ってタクヒールが指さした先には、ジークハルトによって再び隠し通路に燈火が灯され始めていた。
そして彼らの後方から、待機させていた魔境公国軍と帝国軍が前線に合流しつつあった。
※
実際のところ爆音に驚かされ、砦から状況を見ていたジークハルト自身も、周りの兵たちと同様に訳の分からない事態に呆然とし、一瞬だけ混乱した。
だが、出発前に公王が残していった言葉を思い出し、すぐに我を取り戻していた。
『帰りの入場はちょっと騒々しいものになるからね。次は殿下を迎える花道です。どうか盛大に準備をお願いします。あと殿下のご帰還は、しばらくの間は敵に内密にした方がいいでしょう』
彼は怯える兵たちを叱咤し、自身のすべきことを実施していた。
「いや、これは……、公王は一体、何を……」
そう言い掛けてグラートは約束を思い出し、口を噤むと、気を取り直した。
後方にいた兵たちが連れてきた愛馬に跨ると、大きな声で叫んだ。
「公王タクヒール殿が用意していただいた花道、ありがたく頂戴する! 全軍、我に続けっ!」
「殿下と共にっ!」
「いざ征かん!」
「小隊、続けっ」
続く帝国軍の将兵たちも我を取り戻し、主君の後に続いた。
そして彼らの後を、敵軍を追い立てて安全を確保していた魔境騎士団が続いた。
そして……、砦内に入場を果たした一行は、声を押し殺した歓呼によって迎えられた。
兵たちは皆、グラートの周りに駆け寄ると跪き、涙を流して喜びを噛みしめていた。
そこにジークハルトは、大きなため息を吐いて気だるそうに近づいていった。
「殿下……、お帰りなさいませ」
ただ短く、そう発した言葉には万感の思いが込められていた。
それはグラートにも分かっていた。
「ジークハルト、貴様には色々と苦労を掛けたな」
「本当ですよ。せっかく枕を高くして眠っていたのに、夜明け前にこの騒々しさです。
叩き起こされて眠いのなんの……」
そういって大仰にあくびをして見せた彼の眼には、眠気のためか涙がこぼれかけていた。
事実は眠気でもなんでもなく、彼は一睡もせずに主君の帰還を待っていたのだが……。
「ははは、戦いが終わればお前が望む昼寝も、存分にさせてやるわ。今回ばかりは、心より礼を言うぞ」
そう言うと、グラートは手を握った彼をおもむろに引き寄せ、肩を組んだ。
「言質は取らせていただきましたからね。そもそもこれまで超過労働ばかりで僕は一生分の働きをしたと思っているぐらいですからね。絶対に忘れないでくださいよ」
「ああ、分かっておるわ。俺はしばらく、其方とタクヒール殿には頭が上がらなくなってしまったからな。それに報いるためにも、これより侵略者と敵を叩く。
俺を逃がすため、命を捨てて立ち向かってくれた者たちに報いるためにも……」
かくしてビックブリッジ砦に旗印は戻った。
そしてこの日を境に、反攻の機運は一気に高まることになる。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございます。
次回は4/10『待ち望まれていたもの』を投稿予定です。どうぞよろしくお願いいたします。
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