ビックブリッジ砦の北壁には、三か所の望楼があった。
最も高く中央にあった望楼には、全軍を指揮するジークハルトが参謀たちと共に位置し、俺たちはその左隣の比較的低い望楼にいた。
理由は単に、あまり高所にいると魔導砲まで指示が届きにくいから、それだけのことだった。
ただその高さしかないため、今や城壁上で燃え盛る炎にも晒されており、俺は全身で立ち上がる熱気を感じていた。
「鐘はクリストフの旗を確認後、直ちに三打に切り替えろ! 報告は無用だ」
そう、最優先は反撃だ。あの一方的な攻撃を何度も食らう訳にはいかない。
そう言った時だった。
「タクヒールさまはご無事ですかっ!」
今や俺の副官となっているマークが、燃え盛る炎の中を抜けて下層から駆け上って来た。
マークとは学園で同級生となって以来、今や七年越しの付き合いだ。
「俺は無事だ、魔導砲に付いていた者たちは無事か?」
砲術指揮官として魔導砲に配していた彼は、全身に火の粉を浴びたのか鎧は煤で汚れ身体の数か所には軽い火傷を負っているようだった。
「はっ、攻撃が始まる前にご指示いただきましたので、全員の退避が完了しておりました。
ヨルティアさまを始め全員が無事ですっ!」
そうか……、良かった。
指示が一歩遅れていれば、俺はかけがえのない仲間たちを失うところだった。
「どうか、タクヒールさまも一時安全な場所に退避を!」
「俺まで逃げ出しては、反撃の指揮を執るものがいなくなる。俺はここで……」
そこまで言いかけた時だった。
慌てて望楼に駆け上って来る者がもう一人いた。
「失礼します! 公王陛下でいらっしゃいますか? 我が主より急ぎの伝令を申し付かりました。
恐れながらご報告を!」
そう言って参じた伝令も、背中のマントが半分焼け焦げていた。
我が主とは……、ジークハルトのことか?
鐘は既に連打を止め、三打打ちに入っているため、俺は視線を動かさずに答えた。
「構わない、かかる危急の時だ。儀礼は無視して要点を簡潔に頼む」
「はっ、こちらに上がる炎を見たのか、南・東・西に布陣していた敵軍(スーラ公国軍)も一斉に攻勢に移りました。我が主はそちらの対処に回るため、北側はお任せしたいと……。あと……」
「あと何だ?」
「殿下の御守りもお願いします……、とのことです」
『はぁっ? どういう意味だ?』
そんなやり取りをしているなか、鐘は三打目が打たれた。
※
一方で第一皇子率いる軍勢は着々と歩みを進めていた。
既に砦の投石器やバリスタの有効射程内に入っているというのに、砦側からの反撃は一切なかったからだ。
「第二射では火魔法で城壁上を掃討し、雷魔法で城門を攻撃せよ」
ハーリーは最早敵軍に反撃の力なしと判断し、直属兵や後続の兵たちを先に進ませると、自身は魔法兵とともに300メルの位置に留まり、攻城戦を支援する心積りでいた。
「第二射、用意……、放っ……」
そこに突如、思いもよらぬ方角からあり得ない距離を飛翔した鉄の槍が襲ってきた。
「がぁっ!」
「ぐっ!」
「なぁぁっ!」
遠くから飛翔したにも関わらず、槍と言っても差支えのない勢いと威力を持った矢は、集中的に魔法兵たちを貫き始めた。
無防備に砦の正面を向いて展開していた彼らは、斜め横からの矢に次々と貫かれていった。
「ま、まさかっ、奴らにこんな攻撃手段が?
これでは……、あの魔王が……、此処に……、まさ、か……」
魔法士部隊を指揮していたハーリーは、長槍の攻撃で胸を貫かれて落馬していた。
それでも大地を搔きむしり、北側の城門を見据えた。
「殿……、下……。まだ、勝機は……、全軍の、指揮……、を、真下は……、安……、全……」
そこまで言って彼は力尽きた。かっと目を見開いたまま……。
その彼の周囲には、同様に指揮していた魔法兵たちの骸が転がっていた。
更に彼らより前に進出していた兵たちにも、同様の悲劇が襲った。
「なんだっ! この矢は……、ぐわっ!」
「どこからだ! 何故攻撃、がっ!」
「に、西側からだと? あり得ないではないかっ!」
北側の城壁を攻めるべく前進していた兵たちは、遥か遠くから風魔法士たちの支援を受けたロングボウ兵の放つ一千本近い矢に蹂躙され始めた。
逃げようにも隠し通路の外に足を踏み出せば、水田の泥濘に足を取られて身動きが取れなくなる。
そして300メルの地点は、恐ろしい槍の雨の通り道となっていた。
結局、田に逃れて身動きが取れない所を、次々と討ち取られていった。
※
「団長にも出撃命令の旗を掲げよ! 制圧射撃で敵軍は浮足立ったぞ!
北側の城門を開くよう指示を伝えろ!」
ここで俺は、攻勢に出ると決めた。
まぁどさくさでこの方面の指揮権を移譲されてしまったし。
これまで色々小細工を弄してみたが、結局のところこういった激突を避けられないと諦めた。
反乱軍首脳部にも生き残りをかけた意地があるのだろう。易々と降伏するとも思えなかったし。
俺自身できれば北側の戦いに限り、敵味方の損害はあまり出したくはなかったが……。
帝国軍の銅鑼がかき鳴らされると、北側の城門が軋むような音とともに開け放たれた。
だがそこで俺は自身の目を疑うような光景を目にした。
城門が開かれると同時に、真っ先に躍り出た騎兵の姿を見て……。
「いや……、そういう意味だったのかよ!」
※
本来なら城門から真っ先に飛び出すのは、魔境騎士団を率いるヴァイス団長のはずであった。
だが、先頭集団に彼と一部の精鋭たちが混じっていたものの、先頭を駆ける男は別人だった。
「いいか、目指すは反逆者グロリアスのみ! ここで忌まわしき反乱に終止符を打ち、しかる後に侵略者を掃討する! 我に続けっ!」
「殿下っ、御自ら先陣を駆けるのは危険すぎます! どうか我らの後方に!」
ヴァイスと麾下の精鋭たちもまた、そう言って必死に彼に追いすがった。
その結果、第三皇子の旗下の帝国騎馬隊と魔境騎士団は、怒涛の勢いで駆け出すことになった。
彼らはロングボウの雨を浴び、必死に逃げる第一皇子の軍勢に追い縋ると瞬く間に粉砕した。
「左右の泥田に逃げた者は放置して構わん! 目指す首はただ一つだ!」
「「「「応っ!」」」」
彼自身と率いる騎馬隊は、これまで散々苦渋を舐めさせられていた。
その怒りが一気に爆発したかのように、突進は苛烈でその勢いは留まることはなかった。
砦から500メルまで進むと、そこから先はすでに埋め立てられた土地であり、騎馬の列は次々と合流し厚みを増していくなか、浮足立った第一皇子の軍勢は次々と討ち取られていった。
そして更なる変化が第一皇子の軍勢を襲った。
先ほどまで彼らの攻撃に参加していなかった友軍が、一気に寝返って攻撃を始めたからだ。
「う、裏切り者めっ!」
「帝国を裏切ったのはどっちだ! 俺たちは帝国の軍人だ!」
「ひ、卑怯な!」
「話し合いの途中で攻撃を仕掛けたのは誰だ! どちらが卑怯か明白ではないか!」
「国賊め、許さんぞ!」
「国賊とは帝国を他国に売り渡す者を言うのだ! その言葉、そっくり返してやる!」
血刀を振りかざしながら、このようなやりとりが各所で展開され始めた。
いつしか、当初は五千人だった裏切者の数は、戦いの趨勢を見て動いた者たちを含め一万人規模に膨れ上がっていた。
「で、殿下っ、もはや如何ともできませぬっ! どうかここは、一度エンデまでお引きくだされっ!」
「くっ……、何故こんなことに……、我が軍は直前まで勝っていたではないかっ。
何故だぁっ!」
第一皇子が喚いても、戦況は変わることはない。
むしろ刻一刻と破滅の階段を転げり落ちているのは、彼自身であった。
この日展開されたビックブリッジ北側での戦闘で、第一皇子軍は七千以上の兵を死傷させて失い敗走した。
更に一万近くの兵は第三皇子に帰順し、五千名は敗走する途上でいずこかへと消えた。
これまで重鎮として彼を支えたハーリーも戦場で斃れ、結果としてエンデに向けて彼に従い逃れた兵は、既に八千名を切っていた。
だがこれは、彼の受難の始まりに過ぎなかったことを、彼自身はまだ知らない。
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次回は5/15『かつての主従』を投稿予定です。
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