五巻発売に伴うお知らせを活動報告に掲載しています。
どうぞご覧ください。
敵軍すら予想していなかった非常識なまでの進軍で、難攻不落とまで言われたスーラ公国の要塞線の裏側に回り込んだヴァイス将軍率いる一万騎は、そのまま山間部に突入し、前線と後方を繋ぐ補給拠点の要衝を急襲した。
予想外の襲撃を受けた公国軍の守備隊は壊滅し、前線を支える要衝であった補給拠点は、ヴァイスらの手に落ちた。
これにより、前線に展開する六万名もの兵力を支えるはずの糧食が失われた。
「将軍、これからいかが動きますか? いまなら後方から奴らの要塞を衝くことも可能ですが?」
「敢えて此方から攻める必要はない。ここから先の前線に展開する敵軍は総勢で六万にもなる大軍、これ以降は、その数自体が奴らの急所となる」
そう言って逸る部下を制し、ヴァイスは説明を続けた。
「なんせ数が数だ。前線に備蓄している食料だけでは早々に干上がだろう。難攻不落の要塞で蓋をし、後方は安全な本国に通じる領域だと考えていた油断が、今度は命取りになる」
「では奴らは?」
「我々が此処を占拠したと知れば、慌てて後方の憂いを取り除こうと動くだろう。であれば前線に穴が開く、その後ろを殿下の軍が叩いてくれるさ。押し出された敵軍を我らはここに軍を埋伏して撃つ」
「ですが……、敵軍は我らの六倍ですっ! 果たしてうまくいくでしょうか?」
確かに副官の言う通り、通常であれば包囲殲滅の死地に彼らは飛び込んだように見える。
だがそれは、平面の盤上での話に過ぎない。
「奴らの要塞線は、公国領を南北に分断する険しい山脈沿いに構築されている。
なので帝国方面への出口は三か所のみ。だが逆を返せば、要塞線からこの補給拠点に通じる道も三本のみ」
ヴァイスの指摘通り、要衝から山岳地帯を抜けて前線の要塞線に繋がる道は三本しかなく、しかも彼らが占拠した公国側の要衝は、前線に伸びる三本の間道が一本に合流した先に設けられていた。
そのためこの要衝からは、前線側もスーラ公国の本国側へも、いずれも一本の道が山あいを縫って伸びているだけだった。
「奴らが要衝を奪還するにも、公国側に逃げようにも、必ずここを通過する必要がある訳だ」
だからこそ副官は前後から挟撃されることを恐れていたが、ヴァイスの視点は違っていた。
「ここに通じる間道は狭隘で大軍が展開できない。ゆえに敵がいかに大軍であろうとも数の利を生かすことはできん。
奴らは要塞線で帝国に蓋をしたと思っているが、その根本を我らによって蓋をされたのだ」
そう言ってヴァイスは地図を示すと、不敵に笑った。
実のところ三度目の世界でも、割譲された帝国の新領土とスーラー公国領の境界を示すものが、この南北に伸びた山脈の要塞線であった。
ジークハルトが公国軍の侵攻経路を三か所に絞っていたのも、実際のところ出口が三か所しか無かったからに他ならない。
話は戻る……。
「それゆえ奴らは食糧が底を尽き早々に飢える。古来より飢えた軍というものは、士気も低下し本来の力を発揮できない。ましてひとたび衰弱した兵の身体は、簡単に力を回復するものではないからな。
このことは私自身が、身をもって知って……」
そう言うとヴァイスは言葉を詰まらせ、脳裏に刻まれた過去の苦い記憶を思い出していた。
『あの時もそうだ。飢えにさえ苦しんでいなければ……。あのような不覚を取り、多くの団員たちを死なすこともなかった。あれは全て、愚かだった私の驕りが招いた結果だ……』
※
今より十一年前、我ら双頭の鷹傭兵団は突然に生きるべき未来を奪われたのだ。
その結果、真の主君に出会えるまでの旅は、厳しく苦難に満ちたものだった。
苦難の旅の始まりは唐突に訪れた。
ある日我々は、無慈悲な一言によって未来を奪われたのだ!
「どういうことですか? 我らとの契約はまだ一年残っているはずでは?」
「我らも無い袖は振れんということだ、ましてこの飢饉、無駄飯食らいは不要なのでな」
「ですが我らは、来るべき帝国との戦に備えるよう……、ゴーマン子爵もそう仰って……」
「そんな起こるかどうかも分からぬ戦に掛ける金はない。それに武一辺倒の子爵は、内政というものを全く理解しておられんのでな」
そう言って、ゴーマン子爵家の家宰は冷たく笑った。
まるで我々を侮蔑するかのような視線とともに……。
「そんなに戦いを求めるのであれば、自分たちで勝手に新たな雇い主を探すがよかろう。
もっとも今の情勢下で、貴様らのような無駄飯食らいを抱え込むような愚か者が他に居るとも思えんがな」
唐突に告げられた傭兵契約の解除に抗議したものの、全く取り付くしまもなく、最後は捨て台詞を吐かれて我々はゴーマン子爵家を放逐された。
「団長……、これからどうしますか?」
そう尋ねてきた者は、今年から見習いとして傭兵団に加わったキーラと言う名の殊更若い女性だった。
双頭の鷹傭兵団では、いや、全ての傭兵団でも女性の団員は珍しいが、辺境にて盗賊により住まう村を襲われた彼女の生い立ちが、傭兵団へ志願する道を選ばせていた。
村を守る腕利きの兵士であった彼女の父親は、村人たちが人質に取られたせいで降伏し殺された。
彼女の家族と共に……。
盗賊たちの慰み者とすべく、命を奪われなかった彼女は、盗賊によって殺される家族や村人たちを、ただ震えて見ていることしか出来なかったそうだ。
『理不尽な暴力には、それを上回る力を!』
『力が欲しい、弱いことは罪である』
危急を知った我ら傭兵団が駆け付けたときには、彼女は頑なにそう考えるようになっており、その場で傭兵団に志願した。その時の彼女はまだ十四歳だったにも関わらず。
当初は世話係として仲間に加えていたが、一年も経つ頃になると厳しい訓練にも耐え、今や彼女は見習として傭兵団の一員に加わり、正式な団員となるべく研鑽を積んでいる。
「キーラ、心配しなくてもいい。
先ずは隣領のソリス男爵を頼ってみようと思う。
彼もまた武功により男爵となったお方だ。戦力強化には興味を持っていただけるだろう」
差し当って不安顔で質問したキーラには答えてはみたが、私自身はその確証がある訳でもなかった。
ソリス男爵家は先年の穀物相場の変動で大打撃を受け、今回の干ばつ被害はゴーマン子爵領より酷いと聞いている。
そんな彼らが我々を受け入れる余裕があるだろうか?
不安はあったが一縷の望みを抱き、我々はソリス男爵領のエストを目指し出発した。
ただその旅路も安易なものではなかった。
食糧不足の折、ゴーマン子爵領では食料の流通や販売さえ家宰によって統制されていたからだ!
「売ってやりたいんだが、今は領主様の命によって勝手に売買することも禁じられていてね。
そもそもだが、私たちには売ってやる余裕もないし……」
エストに向かう途上のどの町、どの村でも購えたのは僅かな食糧のみ。
それでは三十名の団員たちの腹を満たす半分の量にもならなかった。
申し訳なさそうに断る彼らに対し無理を言うこともできず、空腹と疲労を募らせながら我々はエストを目指した。
そうして歩くのもやっとの旅をすること数日、我ら傭兵団一行は、なんとかゴーマン子爵領を抜けてソリス男爵の治めるエストの町に入ったが、そこは目を覆いたくなるほどの窮状だった。
各地より飢えた領民が難民となって流れ込み、町の各所で救いを求めて声を上げていた。
だが……、領主側も手一杯のようで男爵は食料を調達するため各地を駆け回り、面会することさえ叶わなかった。
「申し訳ありません。現状では領内の難民で餓死者を抑えるだけで今は手一杯で……。
傭兵団と契約する財政的余裕は、残念ながら今の我々には無いのです」
申し訳なさそうに言ったソリス男爵家の家宰に対し、私もそれ以上を望むことはできなかった。
それでも彼は、このような状況でも幾ばくかの食料を我々にも配給するよう手配を整えてくれた。
「いえ……、我らも勝手に押しかけた立場です。それなのにご厚意には感謝いたします」
そう言って配給された僅かな食糧と共に、我々は第二の目的地であるテイグーンを目指した。
ゴーマン子爵の家宰に言われた通り、我らは戦場を求めて遠い旅路に就くしかなかった。
今なお戦いが続く戦場、それは帝国南部でスーラ公国と戦いの最中にあるという、第三皇子の陣営を目指す遠く果てしない旅の第一歩として。
「我々の真価は戦いにある。ならば今なお戦いの最中にあり、我々の力を欲する先に向かうしかない」
そう言って団員たちを励ましつつも、テイグーンを目指した。
向かう先は帝国の最南端、徒歩の移動ならそれこそ数か月も歩き続けた先にある。
そのためにも、旅の資金を得るためにテイグーンに立ち寄る必要があった。
だが……、いざテイグーンに着いてみると、思ったよりも状況は厳しかった。
「あんたらも物好きだね。こんな時期にテイグーンに来ても、まともな食糧なんて殆どないよ。
主な狩人たちもみな、ディモスや近隣の農村に避難しちまったからね」
テイグーンの大地は、そもそも作物を育てるには向かず、そこに住まう狩人たちの暮らしも、商人が他の農村から輸送してきた食料に支えられていた。
そして干ばつによる飢饉の今、わざわざ最辺境で輸送も困難なテイグーンにまで送られる食糧はほとんど無かったのだ。
「私らも此処を引き払う予定だからね。残った物なら譲ってあげるよ。
まぁ……、それなりの対価はいただくけどね」
そう言って最後まで残っていた商人も去っていった。
この地で金銭を工面する予定だった我々は、支払うべき対価も少なく、高い食糧を購入するために苦衷の決断をせざるを得なかった。
結局我々は、剣以外の防具や予備の武具まで売り払うことになった。
そして……、本当の地獄はこれからだった。
もとより魔境で魔物を狩り、帝国では貴重なものとされている素材を調達することで、この先の旅の対価とする予定だった。
その魔物を討伐するため、教えを乞うことを期待していた狩人たちは既に居なかった。
なので我らは、知識として知っていた『魔境の禁忌』と、身を守る防具を失った状態で魔物との戦いに明け暮れることになった。
もちろん、元より我ら傭兵団は腕には覚えのある者たちばかりで、中途半端な知識でも何とか魔物に抗し得ると考えていた故の暴挙だったが、餓えて体力を失った我々の身体は、自身が思っていたほど動かなかった。
そして或る日……、本来なら十分に勝てると思われた黒狼や魔狼との戦いで二人を失い、三人が重傷を負ってしまった。
「団長っ! もうっ」
「キーラ! 重傷者を見捨てるな! 隘路まで撤退してそこで迎え撃つ」
ここで私は、『禁忌』を犯してしまった。
重傷を負った仲間を見捨てることができず、彼らを引き連れてテイグーンへと後退したが、それが新たな魔物を誘引することになった。
そしてなんとか押し寄せた魔物の撃退に成功したとき、更に二人の仲間の命が失われていた。
「くっ……、俺のせいだ。いつか俺は……、この魔境に棲息する魔物たちを一匹残らず掃討し、仲間たちの無念を晴らしてやる!」
その誓いのもと、その後も傷が癒えず亡くなった三人を弔い、二十三人となった我々はどこかしら負傷しつつも、次の目的地である国境を目指した。
だが……、次に立ち寄った魔境に近いヒヨリミ子爵領の村は、野盗に襲われて奴らに支配されていた。
本来ならたかが五十人程度の野盗など、半数の我らでも損害すらなく撃退できるはずっだった。
だが……。
食料も乏しく手負いの我らは本来の力を発揮することができず、そこで更に五名が失われてしまった……。
「まともな治安維持すらできない領主など、そもそも不要ではないか?
飢饉に備えるのも領主の責務、それすらできていない領主に、この国に何の価値があるだろうか?」
私はいつしか、心の中でカイル王国の領主たちに偏見を持ち、責任を転嫁するようになっていたのかもしれない。
いや、その怒りがあったからこそ、その後も厳しい旅を乗り越えて帝国最南端の街、エンデまで辿り着けたと言ってもいいだろう。
そしてやっと、自身が心より仕えたいと思う主と出会えることができた。
その時には、同行した仲間は既に十名にまで減っていたが……。
※
「将軍……、ヴァイス将軍?」
苦々しい過去の記憶の中に沈んでいた心は、副官の問いかけでやっと現実に戻ってきた。
「ふっ、殿下の帷幕となって十年か……、やっと恩を返せる時が来たな」
そう、今の私の使命は殿下を帝国の至尊の階位に導くこと。
この戦いに勝利することでそれが叶う。
そして願わくば……、無念を抱きながら散った仲間の仇を……。
明日は特別篇③(終焉を導く作戦)をお届けします。
なお前書きにも記載しておりますが、5/18付けで活動報告も更新しております。
作者名からリンクを設けておりますので、小説五巻の情報もぜひご覧くださいね。