タクヒールらがヴィレ王国の開放に向けてリュート王国を出発したあと、思いがけず国王として擁立されたクラージュは、その期待に応えるべく精力的に動き出そうとしていた。
彼らにとってまず最優先の課題は、三方より国境を越えて侵攻したイストリア正統教国軍の別動隊、それらをリュート王国内より駆逐し国境の安寧を図ることだった。
「王都の開放がなった今、我らは公王陛下より託された責務を遂行しようと考えているが、これに関してゴルド将軍のお考えはいかがだろうか?」
クラージュ王は一介の将軍に過ぎないゴルドに対し、礼節を以て話し掛けていた。
「陛下の仰る通りかと思われます」
それに対しゴルドは、いささか面食らって言葉少なめに応じつつ、タクヒールが言い残して行った課題を思い返していた。
・三か所から侵入している敵軍を押し返すこと
・後方となるリュート王国の統治を留守部隊が回復して安全地帯とすること
・それにより敗残兵が逃げ帰る退路を完全に塞ぐこと
この三点を成し遂げるため、留守部隊は座して王都をただ守っていれば済む話ではない。
「先ずは侵攻した敵軍の戦力、侵攻地点の正確な情報が必要だと思われます。それに加えて味方の戦力を糾合することも必要かと」
敢えてゴルドは言葉にしなかったが、タクヒールがクリューゲル王に託したことは簡単ではなかった。
そもそもリュート王国は他の二国と比べても国土が南北に細長く伸びており、そのためイストリア正統教国とは長大な国境線を有している。
その防衛線を維持するだけでも大変なのに、既に異なる三ケ所から侵攻を受けているのが現状だ。
片や味方の戦力は大きく不足しており、戦うに十分とは言い難い。
だからこそタクヒールは、支援としてゴルド率いる魔境騎士団の精鋭部隊三千騎を残していたのだ。
「ふむ……、これまでの諜報によれば敵軍が侵攻したのは王国最北部、中央部、そしてこの王都に近い南部の三か所、それぞれから約二千名の敵兵が国境を超えて進軍、国内に橋頭堡を築いているようだ」
「ほう……、二千ですか。それならば倍する四千で各個撃破という手もありますな」
「ただ……、その距離が問題でな。ここから最北端の敵までは少なくとも百キル以上は離れており、騎馬を急がせても会敵までには二日、連戦の上で長躯して駆けつけるとなると……」
「……」
ゴルドはクラージュ王の言った課題を理解して沈黙した。
騎兵ならまだしも、歩兵でその距離を連戦しつつ駆け抜けることは時間を要すだけでなく、消耗も大きく非常に厳しいと言わざるを得ないからだ。
そんなゴルドの思いを理解したのか、クラージュ王はひとしきり笑顔を見せたあと、何かしらの覚悟を決めた顔つきになった。
「そこでゴルド将軍にお願いしたいのだが、王都の守りをお願いできないだろうか?
我らはこれより敵軍を南から順に掃討しつつ民を救い、我らはこの国の統治を完全に回復させたのち、公王陛下に未来を委ねなければならない」
ゴルドは意外な思いでいた。
大前提として、これまで彼らが遠征軍として出動する際にタクヒールより貸し与えられていた騎馬の多くは、ゴルパ将軍が転戦するにあたり替え馬として供出している。
そのため現時点で騎兵は一千騎にも満たない。
なればこそ三千の騎兵を擁するゴルドに助力を求めて然るべきだろう。
だがクラージュ王は、あくまでも自らの責務として決着を付け、戦いの幕引きを考えているようだった。
「どうか遠慮は無用に願います。最も遠い最北の敵軍に当たるのは全員が騎兵である我らの役目、戦理にも適っているでしょう。
ただ……」
そこまで言ってゴルドは一拍間を置いた。
ここからが彼の思い、タクヒールが言外に頼んだことだからだ。
「然るべき案内人と我らが友軍であることを示していただくため、百騎から五百騎程度は我らに同行いただき、戦線参加してもらう必要はありますが……」
このゴルドの言葉には二つの意味があった。
ひとつ、地理不案内なゴルドたちを的確に案内し、敵に露見しないよう案内することと、誤って味方から攻撃されるような事故を未然に防ぐこと。
ふたつ、これから行われる国土奪還戦はリュート王国の兵、彼らの手によって成し遂げられるべきであること。
他国の力によって平定してもらっとなれば、彼らの成果ではなく負い目を背負ってしまう。
だが戦いにクラージュ王の配下が混ざっていれば、勝利はリュート王国軍のものと誇ることができ、ひいてはそれがクラージュの勝利となる。
これらの実績は新たに三国を統治する、クラージュの成果として後押しすることになるだろう。
「御心遣いに感謝する。だがそれでは……、我らの祖国解放に公王陛下の貴重な兵を……」
その意図を悟ったクラージュは、ゴルドに感謝しつつも遠慮した様子で言葉を詰まらせた。
「どうかその点は気にされぬよう。座して何もしなかったでは、我らが主より叱責を受けますので。
我らの主は一度救うと決められれば、我が身の危険すら顧みず真っ先に前線に飛び込むような方ですから……」
そう言ってゴルドは苦笑した。
本心で言えば主に危険な真似はさせたくないのだが、これまでも一度ならず制止を振り切って、配下のために最前線に飛び込んでいる。
ここでゴルドは、けじめを付けるため改めてクラージュの前に進み出ると跪いて礼を取った。
「我らは王国最北端に侵攻した敵軍を排除する任に当たります。陛下は王都に近い敵軍を撃退され、然る後に転進されて中央部の敵軍を南と北から挟撃する作戦で如何でしょうか?」
「感謝を……、公王陛下を始めとし将軍や麾下の兵たちにも改めて感謝を申し上げる」
そう言いながらクラージュもまた、ゴルドに対して改めて深く頭を下げた。
『どうやらこの方もまた、タクヒールさまと等しく身分に驕ることなく、兵たちを大事に思い消耗品とは考えていらっしゃらないのだ。
だからこそあの戦いでも、余剰戦力を残しながら敢えて降伏を決断された訳か……』
その姿を見たゴルドは、自身の主がクラージュ王を信頼する訳を、新たな王として三国を委ねようとしている理由が理解できたような気がした。
そして……。
その日のうちに、リュート王国の王都からは異なる戦場を目指す二つの軍が進発した。
一隊は、新王となったクラージュが率いる五千名の歩兵部隊。
彼が率いる兵は王都奪還時には五千だったが、新王の呼びかけによって新たに二千五百の兵が集まっていた。
それらを再編成し二千を王都の防衛に残したうえでの出発だった。
もう一隊は、ゴルド率いる魔境騎士団三千騎と、案内として付けられたリュート王国軍の騎馬隊が五百騎。
彼らの道案内に従って中央部に侵攻した敵軍を避け、一気に最北端まで駆け抜けて敵軍を迎撃する目的を持っていた。
そしてこれより、リュート王国内に残った者たちの戦いが始まる。
※
ゴルトらは、一路リュート王国の最北端を目指して街道を駆け抜けていた。
彼らが先を急ぐ理由はひとつ、リュート王国の王都失陥を敵が知る前に戦端を開き、油断している敵軍の側背を衝くためだ。
敵軍が進出しているリュート王国の中央部では敢えて街道を避け、案内に従って間道を進みつつ北上を続けた。
そして……、王都を出発した翌日の夕刻、彼らは百キル以上を走破してリュート王国の最北端にまで辿り着いていた。
「これより先は敵の哨戒網に掛かるおそれがあります。
先行した物見からの報告によると、敵軍は約二千!
森に挟まれた街道の途中に防塞を築き、鉄壁の防御陣を構築して厳重に警戒している模様!」
この報告にゴルドは思わず舌打ちした。
どうやらこの先で対峙する敵軍は、イストリア正統教国の正規軍であると予測したからだ。
「ゴルド将軍、いかがいたしますか?」
「おそらく奴らはロングボウ兵を擁しているのだろう。数自体は多くないが必殺の陣形で守りに入られたら、いささか厄介な相手だな……」
このゴルドの予測は正しかった。
他方面に進出したイストリア正統教国兵たちは皆、急遽招集された『にわか』の兵たちであったが、最北部から侵攻したのは元より国境守備に当たっていた歴戦の正規兵たちだった。
そのため少ないながらも五百名ほどのロングボウ兵部隊も配備されていた。
「どうやら正攻法では厳しいようだな。タクヒールさまよりお預かりした秘匿兵器を使用する他ないだろう。
直ちに特殊兵器管制指揮官のマークを呼べ!」
タクヒールはゴルドに後事を託すにあたり、秘策を授けていた。
それがマーク率いる特殊部隊だ。
もともとマークはタクヒールの信を受け、専ら特殊兵器を扱う専任として拡散魔導砲の指揮管制や、火薬を使用した兵器を運用する専属部隊を率いる立場にいた。
もちろん今回の遠征ではカタパルトを持参していないし、ヨルティアが不在であればそもそも魔導砲による殲滅攻撃もできない。
だが……、携行できる秘匿兵器は他にもあった。
呼び出しに応じて進み出たマークにゴルドは意を決して話しかけた。
「今回は難敵に対するにあたって、其方の率いる部隊の力を借りたい。
敵軍を混乱させた上で我らはその隙を衝く。どうだ、いけるか?」
「はい、『混乱させる』のであれば問題なく対応できるかと。敢えて我らをゴルド将軍に預けられたことも、公王陛下のご意思と考えます」
拡散魔導砲を始めとする極めて殺傷力の高い殲滅兵器の使用については、魔境公国のなかでも不文律が存在する。
一方的な虐殺ともなる攻撃手段の発射命令はタクヒールしか下せない。
攻撃によって奪う数多くの命の重さを背負う業、タクヒールはそれを自身が背負うと決めているからだ。
だが、それ以外にも極力使用を制限していた秘匿兵器は存在する。
「では我らは敵の哨戒網の外で待機し未明に奇襲を掛ける。其方らの部隊は先立って街道脇の森に潜み、未明に合図の天灯を放つので『火龍』による攻撃を加えてくれ」
「はっ! 承知いたしました」
命を受けたマークと指揮下の部隊は、案内に当たったリュート王国兵と共に密かに森の中へと進出していった。
そしてゴルドは、地勢をよく知るリュート王国の兵たちと詳細な打ち合わせを行い、日が暮れて周囲が暗闇に包まれる前に街道を迂回し、いずこかへと消え去った。
※
夜明け前、まだ漆黒の夜空が白み始める前に作戦は始まった。
イストリア正統教国軍が森を抜ける街道の途中に築いた防塞、その上空に百を超える天燈と呼ばれたスカイランタンが夜空をほんのり照らしながら漂い始めた。
その幻想的な光景に、哨戒に当たっていた兵たちも一瞬見とれていた。
「美しい光景とはいえ訝しいな、念のため全軍に警戒を指示し敵襲に備えるよう……」
報告を受けた指揮官が命令を言い終える前に事態は急変した。
いずこからともなく飛来した火の玉が、防塞上で大音量を上げて炸裂したからだ。
「な、なんだぁっ! 火が降って来るぞ!」
「てっ、敵襲っ!」
「ひっ、火がぁっ!」
「狼狽えるな! 各自は持ち場に就けっ!」
多くの兵は寝込みを襲われて酷く狼狽していた。
元から起きていた指揮官は冷静に対処するよう声を発したが、誰もが大音量の爆発で耳が一時的に聞こえなくなっており、その言葉は届かなかった。
その間にも何発かの花火が陣地を直撃し、大音量で爆発すると共に盛大な火花をまき散らしていた。
同時に混乱に乗じたゴルド指揮下の八百騎が防塞から三百メルほどまで接近すると、馬上から風魔法の支援を受けたエストールボウの長距離攻撃を加え始めた。
「前方からも攻撃が!」
「や、矢が! このままでは焼かれるっ! 後退しろ!」
「撤退っ! 一先ず後方に後退しろ!」
タクヒールが『初見殺し』と呼んだ『火竜』攻撃は、イストリア正統教国の兵たちを大混乱に陥れていいた。
殺傷力自体は低くても、初めて体験する轟音と視界一杯に広がる火花、そして同時に飛んでくる矢は彼らの心を挫くのに十分だった。
まして轟音で指揮官の声も届かず、耳をやられていた兵たちは我先に防塞を捨て、矢が飛んでこない側の街道の後方(自国側)へと走り始めた。
※
ゴルドが率いる本隊二千は密かに街道を迂回し、敵軍の退路方面の森に潜んでいた。
火龍の攻撃で敵軍が混乱する様子を見ると前進し、防塞から一キル離れた街道の左右に広がる森に潜んでいた。
「いいか、十分に引き付けてから一斉攻撃だ。先頭は逃しても構わんから敵軍の本隊を叩け!
合図の鐘は指示あり次第三打を! 攻撃後は直ちに予備のクロスボウに換装し止めを刺せ!」
そう言っている間にも、半ば狂騒状態となった敵兵が街道の防塞側から駆け込んで来ていた。
最初は真っ先に逃げ出した数名、それが徐々に大きな集団となって彼らの目の前に迫ってきていた。
「三打始めっ!」
鐘の三打目が響き渡ると、森の左右から合計二千本もの矢が街道上に放たれた。
そして間髪入れず予備のクロスボウによる攻撃が行われた。
都合四千本もの十字砲火を受けた敵兵は街道上から一掃されると、今度は次の攻撃に入った。
「これより戦術『ヤマカワ』を発動する! 全軍、突撃!」
視界の悪い中、敢えて騎馬を降りて徒歩となった二千名が森を出ると防塞に向かって突撃した。
至るところで『ヤマ!』『カワ!』の符丁が交わされ、応答のない者たちは敵か味方かすら分からない者たちに討たれ、正統教国兵の中では同士討ちすら発生していた。
この未明の戦闘で、リュート王国最北部に侵攻した二千名の正統教国部隊は壊滅した。
死者は全体の三分の一、戦いによる負傷者もほぼ同数で、残った三分の一は混乱した仲間に踏みつぶされたり、暗闇で無暗に走り回って障害物に激突し戦闘不能となった者たちだった。
僅かに百名に満たない者たちが森に逃げ込んで故国へと撤退したが、それは全滅と言ってよい惨状だった。
日が昇るとゴルドは、負傷者の救出や死者の埋葬などの指示を出すと、自らは二千騎を率いて南へと駒を走らせた。
タクヒールが盟友とするクラージュ王、彼が率いたリュート王国軍を支援するために……。
六巻発売まであと二日!
そろそろ早い書店さまでは並び始めているころかと思います。
どうか引き続き応援をよろしくお願いします。
明日は特別篇② クラージュ王の決断をお届けします。