さすがに『深淵の雫』加工技術伝達については九神家の方で一度考えさせて欲しいという話になった。
もちろんそれは想定内である。いくら俺に借りがあるといっても、九神家そのものの根底に関わる話であるから即決などできるはずがない。ただ彼らが俺の提案を軽く考えるとも思えないので、信じて待つことにする。
さて翌週の月曜はいよいよ留学生の登校初日である。
2年1組には金曜の帰りのHRですでに留学生が来る旨は伝えてある。
俺は朝職員室でアメリカン留学生なレア・ハリソンと顔を合わせると、彼女を連れて教室へと向かった。
教室に入ると、生徒たちの視線が一斉に俺の後ろのレアに注がれる。
「先週すでに伝えてあったと思うが、彼女が今日から皆のクラスメイトになる、アメリカからの留学生のレア・ハリソンさんだ。彼女は日本文化の勉強をしたいということで留学を希望したそうだ。まあ仲良くやってくれ。じゃあハリソンさん挨拶をどうぞ」
促すとレアは前に出てニッコリ笑って胸を張った。その時点で何人かの女子が目を見張っていたが……女子同士でも気になるんだね。
「初めまして、ワタシはレア・ハリソンでぇす。ジャパンには色々と知りたいことがあって、こちらのメイラン学園に留学をすることになりました。お友達になって、いろいろと教えてもらえると嬉しいでぇす。よろしくお願いいまぁす」
定型文みたいな挨拶だが、あやしげなイントネーションの日本語に生徒たちは微妙に親しみを覚えたような雰囲気になっている。もし計算づくでやってるなら大したものだが、レアがただ者ではないのは勇者の勘的に明らかなのでその可能性は高かった。
青奥寺、新良、双党の3人娘のレアを見る視線は、俺が最初に浴びせられたものと同じ圧がある。当然彼女たちもレアが『訳あり』というのは瞬時に察知しただろう。まあ双党に関してはすでに『白狐』経由で正体まで知っているのかもしれないが。
「聞きたいこととかもあるかもしれないが、それは休み時間とかで適当にやってくれ。じゃあハリソンさんも席について」
「はぁい、わかりましたぁ」
そんな感じで、留学生のいる教室でのホームルームが始まった。
授業については留学生がいるからといって別になにか変化があるわけでもない。レアは言語コミュニケーションについてはまったく問題がないので気を使うこともなかった。
昼休みに教室の様子を見回ると、レアは複数の生徒に囲まれて談笑をしていた。その様子は完全に普通の留学生そのものである。
廊下を歩いていると、双党が俺のところにやって来た。
いつもの小動物ムーブで、ツインテールを揺らしながら俺を見上げてくる。
「先生先生っ、先生は分かってるんですよね?」
「それじゃなんの話かまったく分からんぞ」
「ええ~、国語の先生なんだから普通に文脈で理解してくださいよう」
「そんなブツ切りな文脈があるか。まあ一応は分かってるよ。その感じだと双党の方もか?」
「こっちには事前に連絡もありましたし。前にも言いましたが、別に対立してるわけでもないので」
「まあ双党たちにとってはそうだな。俺はしばらく様子を見るよ」
「なんか意外ですね。先生はそういうの隠さない人だと思ってましたけど」
「だって双党たちの方は俺のこと黙ってくれてるんだろ? 一応口裏合わせは必要かと思ってな」
「ああ~、確かにそうかも。まあ先生のことだから、そのうち面倒になってバラす気もしますけど」
「ん~、それも否定はできないな」
双党に性格をつかまれてるのは癪だが、今まで特に隠してるわけでもないからな。そのうち面倒になる可能性は十分にある。
双党が教室に去っていくと、代わりに4組の教室から金髪縦ロールお嬢様が出てきて、隙のないお嬢様ウォークで歩いてきた。
「ごきげんよう先生。お昼休みに見回りをなさるのは珍しいですわね」
「転校生が来てるから様子を見にきただけだ。それより土曜日は世話になったな」
「相羽先生がわざわざ相談にいらっしゃるとなれば、九神家としても私個人としても無下にはできませんわ」
「そこまで言われると恐縮するって。しかしやっぱり例の話は時間がかかりそうか?」
「さすがに九神家でも初のお話ですので父も慎重に動かざるを得ないようです。ですが先生のお話に協力することはほぼ決まっておりますのでご安心ください」
「ああ、それなら助かる。まあ協力してもらっても上手くいくかどうかも分からないんだが……」
「それは仕方ありませんわ。そもそもあのようなお話、先生だけで悩まれるものではありません。本来なら国レベルで対応するべきことですもの」
「まあ……そうかもしれないな」
確かにそれは九神の言う通りではある。ただ異世界の件やら俺の件やら、大々的に国に知られたら間違いなく面倒なことになる。レアに関して様子を見ているのも、彼女の背後に間違いなく国家があるからだ。
俺がちょっとだけ考え事をしていると、九神はさらに一歩俺に近づいてきた。
ん? この距離感は九神としては初めてだな。双党あたりは普通に踏み込んでくるが。
「ですが、先生のそのような大局観、そして世を安んじようとする心、なによりそれを実行できるお力を持っていることは素晴らしいと思います。九神家を継ぐものとしてもとても魅力を感じるところですわ」
「お、おお?」
なんか急に九神の様子が……。なんだろう、どことなく獲物を前にした肉食獣というか、勇者を前にした権力者というか、そんな感じの圧があるんだが。
「ふふふ、これからも先生とは長い付き合いになると思いますので、今後ともよろしくお願いいたしますわ」
そう言葉を残し、縦ロールを翻して九神は自分の教室に入っていった。
「……!?」
その時俺は背後……1組の教室から鋭い刃のような視線を感じて振り返った。
しかしそこには誰も居なかったのだが……もしかしてレアの視線だろうか。
だとしたらやっぱり油断できないな。そう思いつつ、俺は職員室へと戻っていった。