さて、俺の実家は今住んでるアパートからは、直線距離で150キロ以上ある。
もちろん飛んで行けばあっという間ではあるのだが、折角の里帰りにそれでは情緒がない。
なので在来線を乗り継いでの電車の旅と洒落込むことにした。
そして今、
「あ~、景色がゆっくりと流れていくこの感じがたまらんなあ」
などとひとりごちつつ、電車のボックスシートで俺はぼんやりと窓の外を眺めているのであった。
ちょうど帰省ラッシュにハマったかと思ったが、在来線は意外と空いていて、ほぼ満席ではあるが、立って乗っている人間はそれほどいなかった。
俺はショルダーバッグを腹に抱え、ジュースをちびちびと飲みながら、久しぶりすぎるこのゆったりした感覚に少し感動を覚えたりしていた。
「兄さんは里帰りかい?」
唐突に話しかけてきたのは、正面に座っている少し頭髪のあやしくなった、人の好さそうなおじさんだ。
「ええその通りです。4月から電話すらかけてなかったので、帰るって言ったら怒られましたよ」
「うはは。若い内はそういうの気にしないからなあ。でも今はスマホで簡単に連絡できるんだと思うんだが、それもしなかったのかい」
「ええ、親の方がそういうの苦手なんですよね。まあ昔から放任主義みたいなところもあったんで」
「まあ、便りがないのはいい便りなんて言うしなあ。しかし家出て一人で働いてんのか、大したもんだね」
「ええ。地元で就職できなくてこっちの方まで出てきました。就職先は悪くないので、それはラッキーでしたけどね」
「今はブラック企業とかそんな言葉もあるし、いいところで働けるならそれが一番かもしれないなあ。ところで仕事は何を?」
「私立の学校で教員を――」
と答えているところで電車が減速を始めた。駅が近づいたようだが、俺が下りる駅はまだまだ先だ。
別の路線との接続がある少し大きな駅のようだった。この電車の乗ろうとする客が結構いるようで、ホームに並んでいる人の姿が、ゆっくりと窓の外を流れていく。
「……ん?」
その列の中に、俺は見慣れた3人組を見たような気がした。
いや、今日は盆の入りの前日だ。双党と新良はともかく、青奥寺は家族と一緒に過ごしているだろう。こんな駅にいるはずもない。
電車が止まり、扉が開く。向かいの席のおじさんはここが降車駅だったらしく、「気を付けてな」と言って席を立っていった。
その後新たな乗客たちが乗ってきたのだが、
「すみません、そちらの席よろしいでしょうか?」
と言ってくる若い女性がいた。
はす向かいに座っていたご婦人が「どうぞ」と言うと、若い女性はすすっと入ってきて俺の正面に座った。俺は駅のホームの方をなんとなく見ていたのだが、その女性の妙に洗練された体さばきがちょっと気になり、チラッとその顔を見た。
「あれ? 青納寺さん?」
「えっ!? あっ、相羽先生! うそっ、偶然ですね!」
なんとまさかの雨乃嬢の登場に、先ほどの3人組のことは俺の頭の中からすっかり消え去ってしまった。
「へぇ~、先生のご実家は私の実家に近かったんですね。ちょっと運命を感じたりして、ふふっ」
黒髪にポニーテール、キリっとした美人顔にパンツルックの雨乃嬢は、こうして見ると普通にデキる女子大生という雰囲気であった。そこには意味不明発言を連発する残念美人のイメージはない。
「青納寺さんも今日里帰りなんですね。もしかしてずっと帰っていなかったなんてことはありませんよね。俺みたいに」
「帰るのは春以来ですね。でもスマホでやり取りはしてるので、まあそこまで久しぶりって感じではないです」
「ああ、やっぱりそうですよね。ウチの親はそういうの弱くて」
「友達でもいますね、親御さんがスマホ苦手っていうのは。仕事とかでも使ってるはずなんですけどね」
「ウチの場合は電話にこだわってる感じですね。電話じゃないと出ないみたいな。なので面倒になって連絡しないっていうパターンです」
「あ~なるほど。なんとなく分かります。NINEとかならともかく電話は面倒ですよね」
雨乃嬢はニコニコしながら、ペットボトルのお茶を飲んだりしている。う~ん、こうして見ると本当に普通の美人なんだけどなあ。
「ところで例の力については、青納寺さんのご実家にはしらせる感じですか?」
「例の力」というのはもちろん魔法のことである。俺の方では特に口止めもしていないので、どこまでオープンにするかは彼女たち自身に任せている。
「そうですね。身につけられるかもって話はしてあるので言わないといけません。ダメでしょうか?」
「いえ、別に構いませんよ。俺のほうに問い合わせが来るのだけは避けてもらえらえれば」
「それだけはしませんから大丈夫です。それにしても先生のご実家ですか。少し……いえ、大いに興味がありますね」
「本当に普通の家族ですよ。両親と妹と犬と猫がいるだけです。父はただの会社員、母も小学校の教員とかいう、極めて平均的な地方の家庭ですね」
「妹さんがいらっしゃるんですね。そういえば先生のご家族の話は初めて聞きますね」
「青納寺さんのお家はどんな感じで?」
「父母と祖父母と弟と妹がいます。弟は高校3年、妹は中学3年です」
「全員青納寺さんと同じような感じですか?」
「母と祖父は普通の会社員です。それ以外は同じですね」
なるほど、やはり青奥寺家とその分家筋は『裏の剣士』になる定めのようだ。今はもう当たり前みたいに感じているが、本当にそんな家が現代日本にあるというのは驚きである。
その後電車を乗り換えたが、雨乃嬢も最後に下りる駅が一つ違うだけなので、結局ずっと一緒になってしまった。ぼんやり旅とは違ってしまったが、これはこれで飽きないで済んだのでよかったかもしれない。
電車の旅はついに終わりを迎えた。と言っても数時間揺られていただけなので大したものでもない。
俺は地元駅の変化のなさに少し安心しつつ、南出口から駅前へと出た。
目の前の商店街はすでに寂れて久しい。駅から10分も歩くと住宅街になる、人口15万人くらいの、平凡な地方都市の近郊である。
「相羽先生の家は駅から近いんですか?」
「ええ、歩いて15分くらいですね」
「そうですか。それじゃ行きましょう」
「ええ。……ん?」
おかしいな、なぜ隣に雨乃嬢がいるのだろうか。
「あれ? 青納寺さんのご実家はもう一つ先の駅では?」
「大丈夫です。帰るのは遅くなると連絡を入れました」
「??? それはどういう意味でしょうか?」
「やはりせっかくですので、一度先生のご実家には挨拶をと思いまして。色々とお世話になっていますし」
「えぇ……」
雨乃嬢はピシッと姿勢を正して真面目な顔をしているので、どうも本気で言っているらしい。
青奥寺曰く根は真面目な人らしいので、挨拶を大切に思っているのは確かなのだろうが、さすがにこういうものは段取りが大切ではないのだろうか。
「もちろん思い付きみたいな感じなので、お邪魔でしたらすぐ退散します。ぜひ挨拶だけはさせてください」
「はぁ。ええと、まあ、そういうことなら……」
いきなりこんな美人女子大生なんて連れていったら両親がビックリしてしまうのは間違いないし、ご近所に知られたらあらぬ噂が立ってしまうのだが……まあここまで言われたらさすがに断るというわけにもいかないか。
社会人的にはアポなしはちょっとアレだが、彼女はまだ学生だしなあ。自分の学生時代を思い出すと、むしろ彼女は義理堅い素晴らしい人だとは言える。
諦め半分で雨乃嬢を連れて実家へ向かう。そう言えば熊上先生に雨乃嬢を嫁として連れていったらなんて言われたな。内容はまるで違うが形の上ではその通りになってしまった。
幸いご近所さんとは出会うことなく、実家へとたどり着いた。これまたなんの変哲もない、どこにでもあるような二階建ての5LDK、小さな庭付きの一戸建て住宅である。
インターホンを押すと、玄関の鍵が開く音がした。扉を開けると、そこにはショートヘアの高校生1年女子――妹の巡がいた。変わらないその生意気そうな顔に妙な安心感を覚える。
「あ~、ただいま、か。お客さんを連れて来たから、母さん呼んでもらっていいか?」
俺がそう言うと、巡は俺の後ろに立っている雨乃嬢を凝視して、いきなり叫びながら奥へと入って行った。
「お母さん大変だよ! 走兄ぃが彼女連れて来た! しかも超絶美人なんだけどどうしよう!?」
あ~これ絶対人の話聞かなくなるやつだ。
頭を抱える俺。
背後で「ふひひ、狙い通り」とかいう声が聞こえた気がした。