翌週、まずは校長と関森先生に、坂峰少年たちについてのことの顛末を話すことにした。
放課後の校長室での報告になったのだが、少年たちについてはそこまでの話にはならなかった。もともと明蘭学園の生徒でもない以上、彼らが元に戻ったのならこちらが関わることもない。なにかあればまた佐久田先生から関森先生に連絡があるだろう。
むしろ明智校長が興味を示したのは、『応魔』に関してだった。
「その『応魔』というのは、どういった姿をしていたのでしょうか?」
「ええとですね、身長が5メートルくらい、上半身は人間に似ていて……」
と説明をすると、校長は形のいい眉を寄せて、しばし考える素振りを見せた。
その姿を見て、関森先生が微妙に眼光を強くした。
「香津美先輩、なにか思い当たることがあるのか?」
「……ええ、少し似た話が、祖父の集めた文献のどこかに書いてあった覚えがあるのです。『はざまの世界』という言葉にも覚えがあります」
「それは非常に重要な情報ではないのか。相羽先生もできる限り情報は集めたいところだろう?」
「ええ、そうですね。戦う相手についてあらかじめ知っておくのは基本ですし」
しかしまさか校長が『応魔』に心当たりがあるとは思わなかったな。『応魔』がこの世界に来るのは初めてのことだとクウコの話から思い込んでいたが、クウコも世の中のことすべてを知っているわけでもないからな。
「だめですね、どんな話だったか、どの本に書いてあったかも思い出せません。今日帰ったら家で探してみましょう」
「ふむ……。いっそのこと相羽先生の力を借りたらいいのではないか? 香津美先輩一人で探すより効率的だろうし、結局情報が必要なのは相羽先生だ」
「確かに。相羽先生、どうでしょうか?」
なんかいきなり話が飛んできたぞ。でも確かに情報は少しでも欲しいしなあ。そういえば情報の精査ということならやはり本職にやらせるのが一番か。
「自分は構いませんが、助手を連れていっていいでしょうか? こういう時は未来の技術を借りるのが早いので」
「未来の技術、ですか?」
「ええ。『銀河連邦』のアンドロイドとAIの力を使います。見た目は人間なので大丈夫ですよ」
と言うと、校長よりむしろ関森先生が身体ごと俺に迫ってきた。
「人間型アンドロイド、私も是非見てみたいものだ。私も一緒して構わないな?」
「え~と……、それは校長先生の判断で……」
「香津美先輩!」
関森先生の気迫に圧され、明智校長はのけぞりながらうなずいた。
「ええ、それは構わないけれど……。では今日の6時に」
なんと、ここに来ていきなり校長の自宅に行くことになるとは思わなかったな。
まあでも明智校長の家にどんな資料があるのかは非常に興味はある。できれば『ウロボロス』に全部読み込ませてデータベース化でもしてみたいな。頼めばオーケーしてくれそうな気もするが、まずはどんなものか見てからにしよう。
6時に校長のところに行くと、そのまま校長の自家用車に乗せられて、学校から20分ほど離れた自宅まで連れていかれた。
と簡単に言ったが、車を降りて目の前にある家は、青奥寺の家に匹敵するような歴史あるたたずまいの和風の豪邸であった。
手入れが行き届いた日本式庭園は、それだけで人が呼べそうなレベル、家はお手伝いさんが複数いてもおかしくない大きさ……と思っていたら、校長、関森先生に続いて玄関に入ると、実際にお手伝いさんが出迎えに現れた。上品そうな老婦人で、和服の上に割烹着という出で立ちがあまりに似合っている。
「お嬢様お帰りなさいませ。それに摩耶ちゃんいらっしゃい。久しぶりだけど綺麗になったわねえ」
「摩耶ちゃんはやめてほしい。私はもうそんな年ではないよ里子さん」
「いえいえ、私から見れば、摩耶ちゃんはいつまでたっても摩耶ちゃんよ。それとそちらのお二人は……」
老婦人……里子さんは、俺とセーラー服姿の『ウロボちゃん』を見て言葉を止めた。ちなみに『ウロボちゃん』は、来る途中で校長の車の中に転送させていたりする。
「こちらは相羽走先生。以前話をした方ね。こちらの女の子はその妹さんで、ウロボという名前だそうよ」
明智校長が紹介をすると、里子さん俺たちに向かって頭を下げた。
「初めまして、如月里子と申します。当明智家の小間使いのようなことをしている者です。よろしくお願いいたします」
「相羽です。明智校長先生には大変お世話になっております。急な来訪で申し訳ありません」
『ウロボでっす。よろしくお願いしまっす』
う~ん、『ウロボちゃん』には敬語を教えた方がいいのかなあ。言えば勝手に学ぶ気もするけど。
「まあまあ、どちらも素敵な方ですね。あら、申し訳ありません、どうぞおあがりください」
里子さんに案内された客間は20畳は軽くありそうな部屋で、壺とか皿とか掛け軸とか文化的なものがいくつも飾ってあり、小市民に過ぎない自分としてはかなり恐縮するようなものだった。明蘭学園に来てから、いままで付き合ったことのない層のお宅に頻繁に出入りしてる気がする。
関森先生とともに里子さんが出してくれたお茶を呑んでいると、校長先生が30冊ほどの本を持って部屋に入ってきた。
本はどれも和綴じの古文書で、どっかの博物館に所蔵されててもおかしくないオーラを放っている。
「こちらにある本のどれかには書いてあったと思います。なければ他もありますが、さすがに我々3人では全部当たるのは不可能でしょう」
「ふむ……この書体だと私は読めそうもないな」
関森先生が何冊かめくってみて残念そうな顔をする。確かに古い本なので、普通の人には読めなさそうだ。
「『ウロボロス』、いけるか?」
『ウロボちゃん』は一冊を手に取り、ペラペラと高速でページをめくって、
『問題ないと思いまっす。すぐに始めてよろしいでしょうか~』
とうなずいた。
「おう、やってくれ」
『了解でっす』
さっきよりも速いスピードでページをめくり始める『ウロボちゃん』。しかしその速さのわりに動きは正確で、本にほとんどダメージを与えない扱いをしている。さすが『銀河連邦』のアンドロイドは芸が達者である。
その人間離れした動作をじっと見つめながら、関森先生はマッドサイエンティスト的表情を浮かべている。
「これはすばらしいな。どこを見ても人間にしか思えないが、しかし確かに動作は人間のそれとは違う。う~む、地球でも遠い未来にはこのような存在が造り出せるようになるのだろうか」
「恐らくはそうでしょうが、何しろ原子力を古典的なエネルギーとか言うような文明圏の産物ですからね。本当に遠い未来の話だと思いますよ」
「想像も及ばない話だな。相羽先生が所有しているアンドロイドは彼女一体だけなのか?」
「いえ、宇宙に浮いてる戦艦には1000体以上いるはずですね。地球上でも何体かは『深淵獣』狩りに動員しています。例の『応魔』の対応にも出てもらう予定です」
「一体くらい貸してもらうわけには……」
「怖い組織とかに狙われても大丈夫ならばお貸ししますよ」
「むぅ……」
脅し文句にさすがの関森先生も考え込む。でも諦めたわけじゃないっぽいところがちょっと怖いんだよなあ。
「摩耶、深入りはやめておきなさい。ところで相羽先生、彼女の見た目が10代半ばの少女なのは元からなのですか?」
「は? あ、ええ、そうですね。どうも新良が最初に渡した地球のデータが偏っていたらしくて、AIが勝手にこの姿にしたみたいです」
「偏っていた?」
「たぶんアイドルとかアニメとか、そういうサブカルチャー方面のデータが多かったんじゃないでしょうかね」
「なるほど。新良さんも年齢的にはそちらの方面にも興味はあるでしょうからね」
微妙にクリティカルな質問だったが事なきをえた。というかこれに関して俺は完全にシロのはずである。
のだが、
『この姿は艦長の好みに合わせた結果でっす』
と、高速ページめくりをしながら『ウロボちゃん』が応答したせいで、唐突にギルティ臭が充満し始めた。
「そうなのですか?」
「ふむ、相羽先生の好みには興味があるな」
2人の女性の視線が突き刺さってきて、豪華な和室はにわかに処刑場めいてくる。
「いえ、私の好みとはまったく関係ありませんから。たまたまその場に青奥寺たちがいて、それで勘違いをしたようです」
『艦長の周囲の女性の平均年齢を考えると、この姿が最も最適であるとその後の追跡調査でも明らかになっていまっす』
そんな追跡調査誰も頼んでないんだけど!?
「相羽先生の周囲の女性というのは、学校の生徒たちのことでしょうか?」
『艦長と精神的に強いつながりがあると思われる複数女性が対象でっす』
「ほう。それは私たちは含まれるのかな?」
『いえ、お二人はまだ職場における同僚という分類ですね~』
ちょっとそのギリギリ個人情報に抵触しそうなところを攻めるのはやめてもらえませんかね。
まあ実際は、俺の周りにいる仲のいい女性の平均年齢という程度の話でしかないはずなんだが……。
「……まあ、相羽先生の周りには確かに生徒を含めて女性が多いようではありますね。山城先生の娘さんとも仲がいいようですし」
「なるほど、その辺りが平均年齢が下がる理由か」
なんかすごく微妙な言い回しをされているんだが、別に深い意味はないんですよね?
清音ちゃんを異世界に連れて行くこととかも校長には報告済みのはずですし……。
『あ、艦長、全データ収集終わりました~。「応魔」関連の情報も見つかりました~』
流れをぶった切るように、『ウロボちゃん』が報告をしてきた。まあこの流れを作ったのも『ウロボちゃん』なんだけど。
「画像で表示してくれ」
『了解でっす』
『ウロボちゃん』のリストバンドから光が伸びて、空中に大画面の映像が表示される。
それは本の1ページそのままの映像だったが、わかりやすくルビが追加で振られ、読みやすいようになっていた。さすが芸が細かいことに定評のある『銀河連邦』のアンドロイドである。
そのページを俺たち3人はしばらく黙って読んでいたが、ほぼ同時に読み終わり、そして一斉に深い溜息をついた。
なにしろそこに書かれていたのは、誰かが別の世界――『応魔』の棲む『はざまの世界』――に迷い込んで、この世界に戻ってきたという話であったからである。