夜の空、上空200メートルほど。
眼下に広がるのは、田んぼや林に囲まれた場所にある、広大な敷地の工場であった。
4つの大きな建築物が並んでいるが、その建物間は渡り廊下やパイプなどでつながっているほか、外側には家ほどもある巨大なタンクも並んでいたりして、いかにも化学工場といった趣である。
そのうち1棟がすでに火に包まれていて、周囲の建物だけでなく、離れたところにある林や田んぼまでを赤く照らし出している。
遠くサイレンの音が聞こえるので緊急車両が近づいているようだ。
よく見ると工場の所員であろう人間が、敷地の外側に避難しているのが見える。数は20人くらいだろうか。土曜の夜なのでほとんどが警備員だろう。
上空から近づいていくと、燃えている建物の近くに魔力が感じられた。俺がそこに下りていくと、スーツ姿のカーミラが『隠蔽』を解いて現れた。
「ああ先生、よかったわぁ。来てくれてありがとうねぇ」
「とりあえずなにをすればいい?」
「できればまずは火を消したいところねぇ。その次に、火をつけた悪者を探すこと。それから『深淵の雫』のある場所を調査しましょうかぁ」
「了解。火は……温度をさげればいいか」
俺は『増幅』の魔法陣を二重に展開しつつ、範囲系凍結魔法『フリージングエリア』を発動。強制的に燃えている一帯を凍らせて消火する。燃えていたはずの建物にうっすらと霜がつきはじめて、表面が白くなっていく。
「凍結魔法で温度をさげて火を消すって無茶苦茶ねえ。たしかに向こうの世界の消防隊では時々使う手だけれど、魔道具使用が前提で人間だけでやるものじゃないのよねえ」
「道具によって誰でもできる方が技術的には上だろう。それと犯人の捜索だったな。どんな奴かわかるのか?」
「男の二人組で、白いバンに乗ってるはずよ。バンのナンバーは……」
それをリストバンド端末越しに『ヴリトラちゃん』に伝える。
ちなみにこういうときにいつも対応してくれる『ウロボちゃん』は今、のところイグナ嬢の研究に専念してもらっている。
『提督、発見いたしました。座標を送ります』
端末に送られてきた座標は高速で移動している。随分と車を飛ばしているようだ。
「上空まで転送頼む」
『了解しました』
カーミラと二人で幹線道路の上空に出る。地方の幹線道路であり、今は夜なので交通量はそこまで多くない。逆に言えば車を飛ばし放題であるが、目当ての白いバンはすぐに目についた。
俺とカーミラは『隠蔽』しながら『機動』魔法でそのバンを追いかける。
「車を停めたらどうする? 放火犯として捕まえるのか?」
「私がお話するわぁ」
「ああ、そういうことね」
俺はバンの上を飛びながら、『拘束』魔法をバンのエンジンにかけてやる。急に調子を悪くしたバンは徐々に速度を落としていき、最後は路肩に停止をした。
車から二人の男が降りてきて、一人はボンネットを開けてエンジンルームを覗き込み始めた。一人はスマホを取り出してどこかに連絡をとるつもりのようだ。
俺とカーミラは彼らの側に下りて、『隠蔽』を解かずにそのまま彼らを押さえ込んだ。見た感じとしては普通の会社員のようだが、身体はかなり鍛えられていることがわかる。なるほどたしかに普通の人間ではないようだ。
「ぐっ、なんだ……!?」
「はいはい、ちょっと素直になってもらうわねぇ」
カーミラが『精神魔法』を発動し、一人を催眠状態にする。もう一人の方も同様にして、そのまま車の後部座席に乗るよう指示をする。
カーミラはバンのリアハッチを開いて、荷室にあるスーツケースを引っ張り出して開いた。中に入っていたのは10個ほどの『深淵の雫』と、その他精密機器っぽい部品。なるほど盗みも働いていたというわけか。
カーミラはスマホを取り出して、どこかへ電話をはじめた。
「おイタをした二人を捕まえたから、引き取りにきてくだいますかぁ? 素直になっているはずですから、事情をよく聞いておいてくださいねぇ」
どうやら九神家関係のどこかに連絡をしたようだ。このあとこの二人はどこかに連れて行かれて、ゆっくりと『尋問』を受けるのだろう。
恐らくは九神グループのライバル会社とかの人間なんだろうが、まさか九神グループにカーミラのようなスパイの天敵がいるとは思わないだろうなあ。ご愁傷様としか言いようがない。
ともあれ現代社会のビジネスシーンの裏でこのようなことが起きているというのも、ただの教員にすぎない俺にとってはなかなかに刺激的な話だ。
「ありがとうねぇ先生。それじゃもう一度現場に戻りましょうかぁ」
「おう」
再度転送で、先ほど火事を消した現場に戻る。緊急車両のサイレンがすぐそこまで迫っていた。
「じゃあ問題の場所に案内するわねぇ」
カーミラはそう言うと、俺の魔法で冷え冷えになっている工場の中に入っていった。
完全に火事の現場になっている工場の中を歩いて行き、地下へ続く階段を下りていく。地下はあまり火事の影響を受けていないかと思ったが、むしろこちらのほうが激しく燃えていた。うっすらと石油のような匂いがするのはさっきの二人組の仕業だろうか。
地下は真っ暗なので、『光源』の魔法で周囲を照らしながら歩いて行く。地下の廊下を奥まで進むと、そこはたしかに研究室のような雰囲気の部屋があった。とはいえすでに部屋の大部分の備品は焼け落ちていて、今辛うじてわかるのは、部屋の中央に直径2メートルほどの円形の水槽があっただろうということだけだ。もっともその水槽も一部が破られていて、中の液体は流れ出てしまっている。
「ここはなにをするための部屋なんだ?」
「深淵の雫を九神家の力で別の物質、向こうの世界だと『魔導液』って呼んでるものにする部屋ねぇ。普段は九神家の術者が数人いて、作った『魔導液』この水槽に溜めていくみたいよぉ」
「ああなるほど、九神世海以外にもあの『憑き落とし』とかいうのをできる人がいるのか」
『憑き落とし』というのは、『深淵の雫』に『霊力』なるものを作用させて『魔導液』という有用な物質に変化させる技だ。以前九神に見せてもらったことがあるが、なかなか面白いものだった。
「それで、先生も感じるでしょう、このあたりに妙な魔力が漂っているのが」
カーミラが水槽のあたりを指差す。言う通り、たしかにかなり妙な魔力がそのあたりに漂っているのは感じる。しかしこれは……、
「これって単に流れ出た『魔導液』の反応なんじゃないのか?」
「あら先生らしくないわねぇ。この魔力って、この間の『応魔』が現れたときのものに似ている気がしないかしらぁ?」
「あ? ん~、言われてみればそんな気もするが……」
もしかしたらカーミラはそのあたりの感覚が鋭いのかもしれないな。勇者としては少し悔しいところだが。
水槽に近寄ってみる。魔力が水槽の底から湧きあがってくるよう感じがある。よく見ると、底の部分がうっすらと発光しているようだ。
「ちょっと光を消すぞ」
俺は『光源』の魔法をオフにした。部屋の中が一瞬で暗闇に包まれる。
ところがその闇の中で、ぼんやりと光を放っている場所があった。言うまでもなく水槽の底だ。
俺とカーミラはその光を覗き込んで、そして2人して顔を見合わせた。
「これってあの時の模様よねぇ」
「だな」
そこにあったのは、茨をこねくり回したような、気味の悪い魔法陣のような模様。
そう、それは『応魔』が現れる時に地面に現れる、あの魔法陣にかなり近いものであった。